歴代誌下19章
7節「今、主への恐れがあなたたちにあるように。注意深く裁きなさい。わたしたちの神、主のもとには不正も偏見も収賄もない」(新共同訳)
1節「ユダの王ヨシャファトは、無事にエルサレムの宮殿に帰った」。無事にエルサレムの宮殿に帰ったのは、預言者ミカヤの告げた通りだったことになる(18章16節)。エルサレムでは先見者ハナニの子イエフが待ち受けていた(2節)。ハナニはアサ王を諌め、その逆鱗にふれ投獄された預言者であった(16章7、10節)。イエフは、ヨシャファトの取った行動を厳しく批判をしたが、偶像を取り除き、ゆるぎない心で(口語訳=心を傾けて)、神を求めたことを評価している(3節)。
4節「ヨシャファトはエルサレムに住んでいたが、再び出かけて民の中をベエル・シェバからエフライムの山地まで巡り、彼らを先祖の神、主に立ち帰らせた」。先祖の神、主に立ち帰らせたというのは、既に17章7~9節で実施していた宗教復興運動の再確認であっただろう。5~11節は国の治安と秩序を保持するために取った司法と行政に関わる事項である。
5節「彼はその地、すなわちユダのすべての砦の町に、それぞれの町の裁判官を立てた」。ヨシャファト自身が職務の遵守を訴えた。それは人の為でなく主のためであり、注意深く裁くようにと勧める。
7節「今、主への恐れがあなたたちにあるように。注意深く裁きなさい。わたしたちの神、主のもとには不正も偏見も収賄もない」。主なる神のもとには不正も偏見も収賄もない。口語訳「主を恐れ、慎んで行いなさい」というのである(6~7節)。これは地方裁判所である。それだけなく、エルサレムでは、神殿祭儀に関する紛争解決のために「数名のレビ人、祭司、イスラエルの氏族の長を任命」した(8節)。高等法院である。ヨシャファトは、任命した裁判官と、エルサレムで選ばれたレビ人、祭司、氏族の長に対しては「主を畏れ敬い、忠実に、全き心をもって務めを果たせ」と告げた(9節)。申命記17章18~20節の実行である。司法と行政において、この様な国政が実施される政治は、三千年の時代を越えて、今日の民主主義国家の倣うべきではないだろうか。現代の国際社会で、今なお政治の腐敗と不正があとを絶たない。
10節「…あなたたちに訴え出るときはいつでも、それが傷害事件であれ、律法、戒め、規定、掟に関する問題であれ、彼らが主に罪を犯して、怒りがあなたたちと兄弟たちの上に降りかかることのないように、彼らを戒めなさい。このように行えば、あなたたちが罪を犯すことはない」。補足として主に関する事柄は祭司長アマルヤに、王に関する事柄はユダの家の指導者イシュマエルの子ゼバドヤの責任としている(申命記17章14節以下see)。
ヨシャファトが民に向けてした公告の結語は、勇気をもって行え。主が善を行う者と共にいてくださるようにである(11節)。
7節「今、主への恐れがあなたたちにあるように。注意深く裁きなさい。わたしたちの神、主のもとには不正も偏見も収賄もない」(新共同訳)
1節「ユダの王ヨシャファトは、無事にエルサレムの宮殿に帰った」。無事にエルサレムの宮殿に帰ったのは、預言者ミカヤの告げた通りだったことになる(18章16節)。エルサレムでは先見者ハナニの子イエフが待ち受けていた(2節)。ハナニはアサ王を諌め、その逆鱗にふれ投獄された預言者であった(16章7、10節)。イエフは、ヨシャファトの取った行動を厳しく批判をしたが、偶像を取り除き、ゆるぎない心で(口語訳=心を傾けて)、神を求めたことを評価している(3節)。
4節「ヨシャファトはエルサレムに住んでいたが、再び出かけて民の中をベエル・シェバからエフライムの山地まで巡り、彼らを先祖の神、主に立ち帰らせた」。先祖の神、主に立ち帰らせたというのは、既に17章7~9節で実施していた宗教復興運動の再確認であっただろう。5~11節は国の治安と秩序を保持するために取った司法と行政に関わる事項である。
5節「彼はその地、すなわちユダのすべての砦の町に、それぞれの町の裁判官を立てた」。ヨシャファト自身が職務の遵守を訴えた。それは人の為でなく主のためであり、注意深く裁くようにと勧める。
7節「今、主への恐れがあなたたちにあるように。注意深く裁きなさい。わたしたちの神、主のもとには不正も偏見も収賄もない」。主なる神のもとには不正も偏見も収賄もない。口語訳「主を恐れ、慎んで行いなさい」というのである(6~7節)。これは地方裁判所である。それだけなく、エルサレムでは、神殿祭儀に関する紛争解決のために「数名のレビ人、祭司、イスラエルの氏族の長を任命」した(8節)。高等法院である。ヨシャファトは、任命した裁判官と、エルサレムで選ばれたレビ人、祭司、氏族の長に対しては「主を畏れ敬い、忠実に、全き心をもって務めを果たせ」と告げた(9節)。申命記17章18~20節の実行である。司法と行政において、この様な国政が実施される政治は、三千年の時代を越えて、今日の民主主義国家の倣うべきではないだろうか。現代の国際社会で、今なお政治の腐敗と不正があとを絶たない。
10節「…あなたたちに訴え出るときはいつでも、それが傷害事件であれ、律法、戒め、規定、掟に関する問題であれ、彼らが主に罪を犯して、怒りがあなたたちと兄弟たちの上に降りかかることのないように、彼らを戒めなさい。このように行えば、あなたたちが罪を犯すことはない」。補足として主に関する事柄は祭司長アマルヤに、王に関する事柄はユダの家の指導者イシュマエルの子ゼバドヤの責任としている(申命記17章14節以下see)。
ヨシャファトが民に向けてした公告の結語は、勇気をもって行え。主が善を行う者と共にいてくださるようにである(11節)。