日毎の糧

聖書全巻を朝ごとに1章づつ通読し、学び、黙想しそこから与えられた霊想録である。

不正も偏見も収賄もない

2012-09-07 | Weblog
歴代誌下19章 

  7節「今、主への恐れがあなたたちにあるように。注意深く裁きなさい。わたしたちの神、主のもとには不正も偏見も収賄もない」(新共同訳)

  1節「ユダの王ヨシャファトは、無事にエルサレムの宮殿に帰った」。無事にエルサレムの宮殿に帰ったのは、預言者ミカヤの告げた通りだったことになる(18章16節)。エルサレムでは先見者ハナニの子イエフが待ち受けていた(2節)。ハナニはアサ王を諌め、その逆鱗にふれ投獄された預言者であった(16章7、10節)。イエフは、ヨシャファトの取った行動を厳しく批判をしたが、偶像を取り除き、ゆるぎない心で(口語訳=心を傾けて)、神を求めたことを評価している(3節)。
  4節「ヨシャファトはエルサレムに住んでいたが、再び出かけて民の中をベエル・シェバからエフライムの山地まで巡り、彼らを先祖の神、主に立ち帰らせた」。先祖の神、主に立ち帰らせたというのは、既に17章7~9節で実施していた宗教復興運動の再確認であっただろう。5~11節は国の治安と秩序を保持するために取った司法と行政に関わる事項である。
  5節「彼はその地、すなわちユダのすべての砦の町に、それぞれの町の裁判官を立てた」。ヨシャファト自身が職務の遵守を訴えた。それは人の為でなく主のためであり、注意深く裁くようにと勧める。
  7節「今、主への恐れがあなたたちにあるように。注意深く裁きなさい。わたしたちの神、主のもとには不正も偏見も収賄もない」。主なる神のもとには不正も偏見も収賄もない。口語訳「主を恐れ、慎んで行いなさい」というのである(6~7節)。これは地方裁判所である。それだけなく、エルサレムでは、神殿祭儀に関する紛争解決のために「数名のレビ人、祭司、イスラエルの氏族の長を任命」した(8節)。高等法院である。ヨシャファトは、任命した裁判官と、エルサレムで選ばれたレビ人、祭司、氏族の長に対しては「主を畏れ敬い、忠実に、全き心をもって務めを果たせ」と告げた(9節)。申命記17章18~20節の実行である。司法と行政において、この様な国政が実施される政治は、三千年の時代を越えて、今日の民主主義国家の倣うべきではないだろうか。現代の国際社会で、今なお政治の腐敗と不正があとを絶たない。
  10節「…あなたたちに訴え出るときはいつでも、それが傷害事件であれ、律法、戒め、規定、掟に関する問題であれ、彼らが主に罪を犯して、怒りがあなたたちと兄弟たちの上に降りかかることのないように、彼らを戒めなさい。このように行えば、あなたたちが罪を犯すことはない」。補足として主に関する事柄は祭司長アマルヤに、王に関する事柄はユダの家の指導者イシュマエルの子ゼバドヤの責任としている(申命記17章14節以下see)。

  ヨシャファトが民に向けてした公告の結語は、勇気をもって行え。主が善を行う者と共にいてくださるようにである(11節)。


まず主の言葉を求めてください

2012-09-06 | Weblog
  歴代誌下18章 

  4節「しかし同時にヨシャファトはイスラエルの王に、「まず主の言葉を求めてください」と言った」(新共同訳)

  1節「ヨシャファトは大いなる富と栄光に恵まれるとともに、アハブとも姻戚関係を結んだ」。敬虔王ヨシャファトの弱点が伺える処である。富と栄光に恵まれると落とし穴になる。それがアハブとの婚姻関係を結んだことである。21章5~6節に出ているが政略結婚であろう。数年後アハブを訪ねると、アハブは多くの牛と羊を屠って一行をもてなし、一緒にアラム軍対戦の軍事的要所となるラモト・ギレアデを攻撃しようと誘った(2~3節)。ヨシャファトは「先ず主の言葉を求めて下さい」と言った(4節)。アハブは四百人の預言者を召集して主の託宣を求めた。彼らは攻め上れと応えたが、ヨシャファトは、他に預言者はいないのかと尋ねた(4~5節)。四百人の預言者が口を揃えて対戦に賛同の予言をしたことに、ヨシャファトは異議を挟んだのである。全員一致に疑いを持ったと思われる。山本七平(ペンネーム=イザヤ・ベンダサン)が著「日本人とユダヤ人」で、全会一致は一致でないと書いていたのを思い出す。アハブは幸運でなく、災いばかり予言するミカヤがいると告げた(6~7節)。
  9節「イスラエルの王はユダの王ヨシャファトと共に、サマリアの城門の入り口にある麦打ち場でそれぞれ正装して王座に着いていた。預言者たちは皆、その前に出て預言していた」。ここでケナアの子ツィドキヤ(ゼデキヤ)が出てくる(10節)。彼は勝利の象徴行為をして見せた(申命記33章17節see)。しかしミカヤは「神が言われることをわたしは告げる」と言って、一つは「羊飼いのいない羊の群が散らされる」ことで、アハブの死を告げるもの(13~16節)、そして、四百人の預言者は王を唆す偽りの霊の働きとなることが「天上の会議」で決められたのだと告げた(17~22節)。この予言を聞いたツィドキヤは怒って彼の頬を殴り、アハブは彼を捕えて戦地から帰るまで、僅かな食べ物を与えて投獄するようヨアシュという人物に引き渡した(23~25節)。その時ミカヤは、王が無事に帰ってきたら主が私を通して語られなかったのだと告げている(27節)。これは申命記18章15~22節に出ている。
  29節「イスラエルの王はヨシャファトに、『わたしは変装して戦いに行きますが、あなたは御自分の服を着ていてください』と言い、イスラエルの王は変装し、彼らは戦いに行った」。変装して敵の目を欺こうとしたアハブは、偶然放った矢で傷を負い死んだ。この時ヨシャファトもこれに同調し「王の正装」して戦地に赴いたが難を逃れた。人の目は誤魔化しても、神の計画は変わらない。「流れ矢一本も神は支配される」と新聖書注解(いのちのころば社)に出ている。

  主イエスは一羽の雀さえ、あなたがたの父のお許しがなければ、地に落ちることはないと言われた(マタイ福音書10章29節)。
                            2008年8月14日ブログを更新

主の道に心を励まし

2012-09-05 | Weblog
歴代誌下17章 

 6節「そこで彼は主の道に心を励まし、さらに高き所とアシラ像とをユダから除いた」(口語訳)

  1節「アサに代わってその子ヨシャファトが王となり、イスラエルに対抗して勢力を増強した」。ユダの王位を継承したのはヨシャファトの事績は17~20章まで記されている。二五年間の在位であったが、その時彼は35歳であった(20章31節)。並行記事は列王記上22章41~51節である。列王記上では、アサが死にヨシャファト王となった後は、北イスラエルの歴史が綴られ、アハブの時の預言者の活躍が記されている(15章25節~22章40節)。
  3節「主はヨシャファトと共におられた。父祖ダビデがかつて歩んだ道を彼も歩み、バアルを求めず~」。彼は先祖の神を求め、その戒めに従って歩んだとある(4節)。主は彼と共にあって、王国を堅固なものとされた(5節)。これまで取り除かれなかった「聖なる高台」を彼は取り除いたとある(6節・15章17節see)。「ヨシャファトの心は主の道にとどまって高められ」たとある(6節)。口語訳では「彼は主の道に心を励まし」とある。
  7節「彼はその治世第三年に、高官たちベン・ハイル、オバドヤ、ゼカルヤ、ネタンエル、ミカヤを遣わして、ユダの町々で教育を行わせた」。五人の高官たちとこれに同行した九人のレビ人と、祭司エリシャマ、ヨラムらが、律法の書を携え、全ての町々に行き、人々に律法教育を行ったのである(8~9節)。この時代、敵との交戦はなく、ペリシテ人のもとから和解の貢物が届いた。好戦的なアラビア人からは雄羊と雄山羊がそれぞれ七千七百匹届けられた(10~11節)。また平和を維持するための勇士、兵士総勢116万人と(その中には武装兵も含まれた)、隊長や指揮に当たる勇士が選任されている(12~18節)。文武両道である。
  父アサの不徹底だった姿勢を正すことになった(15章17節see)。

  ただこの一時に努める one thing I do! 姿勢が欲しい(フィリピ3章13節)

あなたは愚かだった

2012-09-04 | Weblog
 歴代誌下16章 

  7節「主は世界中至るところを見渡され、御自分と心を一つにする者を力づけようとしておられる。この事についてあなたは愚かだった。今後、あなたには戦争が続く」(新共同訳)。

 1節「アサの治世第三十六年に、イスラエルの王バシャはユダに攻め上って来て、ラマに砦を築き、ユダの王アサの動きを封じようとした」。15章までと本章に出てくるアサ王は違っている。彼が予言者アザルヤによって指示された国政は、平和だったが、晩年の五年間は失政と言わねばならない。この並行記事は列王記上15章16~24節にある。イスラエルの王バシャの挑戦に対して、アラムの王ベン・ハダドに神殿と王宮の宝物庫から金銀を取り出し、贈り物をしてイスラエルを攻撃するよう依頼した。これを受け入れたベン・ハダドは直ちに、イヨン、ダン、アベル・マイムおよびナフタリの町々の補給基地を攻略した(2~4節)。ラマで構築中だったバシャは作業を中止したが、アサはその構築に用いた石材と木材を奪って、ゲバとミズパに砦を築いた(5~6節)。
  7節「そのとき、先見者ハナニがユダの王アサのもとに来て言った。『あなたはアラム王を頼みとし、あなたの神、主を頼みとしなかった。それゆえ、アラムの王の軍隊はあなたの支配を離れる』」。アサの変節した態度を、ハナニから厳しく糾弾された。命を賭けた主との契約(15章13節)はどこにいったのであろう。“始め良くとも終わり悪るし”では話にならない。“終わり良ければすべて良し”でありたい。
  9節「主は世界中至るところを見渡され、御自分と心を一つにする者を力づけようとしておられる。この事についてあなたは愚かだった。今後、あなたには戦争が続く」。これを聞いたアサは激しく怒って彼を獄に投じ、民の中のある者たちを虐待したのである(10節)。治世39年に極めて重い足の病を罹ったが、この時彼は、主を求めず、医者に頼ったとある(12節)。癒えた記録がないので、この病が致命傷になったと思われる。宗教改革者として41年もの長い治世であったアサ王の晩年に於ける汚点というべき記録である。
  主は民族と国境を越えて「ご自分と心を一つにする者を見渡し求められるお方」である(9節)。

アサ王は母を~太后の位から退けた

2012-09-03 | Weblog
  歴代誌下15章 

  16節「…アサ王は母マアカがアシェラの憎むべき像を造ったので、彼女を太后の位から退けた。アサはその憎むべき像を切り倒して砕き、キドロンの谷で焼き捨てた」(新共同訳)

  1節「オデドの子アザルヤに神の霊が臨んだ」。レハブアムの時は、預言者シェマヤが王に神の託宣を伝えているが(12章5節)、アビヤの時には無かった。そしてアサの治世では、預言者アザルヤが主の言葉を伝えている。前章に記された10年間(13章23節see)の治世では、彼が直接主の名を呼んでいる(14章10節)。しかしこの平穏な中で、主なる神はアザルヤによって、アサに釘を刺して忠告をした。「耳を傾け、主と共にいるなら、主も共にいる。…そうでなければ主は捨て去られる」とは主信頼の基本である(2節)。「長い間、イスラエルには真の神もなく云々」は過去にあった混乱の時代を回顧し、これは士師記の時代を思わせる(3~6節)。アサ王は預言者の言葉を聴き、不徹底だった宗教改革の完成を実行した。
  8節「アサはこの言葉と預言者オデドの預言を聞いて、勇気を得、ユダとベニヤミンの全土から、またエフライムの山地で攻め取った町々から、忌むべき偶像を除き去り、主の前廊の前にある主の祭壇を新しくした」。ユダとベニアヤミンの全住民、寄留者、その後北イスラエルから投降した者らと治世十五年第三の月、五旬祭(七週の祭)を守り、主を求めない者は死罪という契約を結んだ(12~13節)。その祭りに参加した全住民は大声で叫び、ラッパと角笛を吹き、誓いを喜び合った(14~15節) 。
  16節「更にアサ王は母マアカがアシェラの憎むべき像を造ったので、彼女を太后の位から退けた。アサはその憎むべき像を切り倒して砕き、キドロンの谷で焼き捨てた」。11章21~22節、13章23節によると、マアカは母でなく祖母になる。預言者の言葉に勇気づけられたアサが、最後に断行したのは、マアカを退け偶像を切り倒しキドロンの谷に焼き捨てたことである。一説によれば、若年で即位したアサはマアカの権威に抗しえなかったという。「アサの心はその生涯を通して主と一つであった」とある(17節)。口語訳「正しかった」、新改訳「完全であった」、原文はシャロームで、主なる神から平和が与えられたことを指す。その後治世35年まで戦争のない時代であった(19節)。
  主イエスも肉親の情に流されなかったことが、マルコ福音書3章31~34節に記されている。信仰の決断は「血肉に相談せず」である(ガラテヤ1章16節)。
  日本人は、信仰を情緒的に受けとめて、家族両親の理解を求めようとする。とりわけ12~18歳の世代の入信に対して牧師や教会指導者がそうである。多分に経済的自立を問うことからであろうと思うが、それは大きな間違いである。