植物園「 槐松亭 」

バラと蘭とその他もろもろの植物に囲まれ、野鳥と甲斐犬すみれと暮らす

王羲之の真筆があったら一生遊んで暮らせる

2020年11月24日 | 書道
 中国(香港・台湾を含む)と日本だけに共通するものの一つが漢字であり、「書」であります。韓国は、ハングル語にシフトして、書道は廃れてしまいました。

 そして、書道ではその礎を築き、中興の祖となった人物が「王羲之」であることは疑う余地がありません。西暦300年代に活躍し、東晋時代の政治家であり軍の将軍ともなりました。この人が、書を、ただ記録するための文字であった漢字を、芸術性の域に高め書体や書法・精神性までが後世に連綿と伝えられてきたのです。
 中国では、王羲之を「書聖」と呼び、歴代の中国の皇帝もこれをこよなく愛し、あまねくその偉業と才能を広く示したそうであります。彼の没後も、弟子や孫弟子が生まれ、無数の書家や研究者が彼の書を学び、模倣し、研究してきたのだろうと思います。

 当然のことながら、彼に師事し他人やその書を愛した人たちの間で、夥しい伝記、口述、資料王羲之にまつわる記録や逸話が残されております。しかしながら、それだけの人物の書でありながら、「真筆」つまり、王さん自身が書き残した書そのものは、現在実在しないのであります。

 最も有名な書「蘭亭序」は、王羲之の書の中でも最高傑作と呼ばれています。(ワタシは、書道を始める前は少しも知りませんでした 汗💦) この書は、王さんが、粋人や友人を招いて自分の所有する別荘の「蘭亭」で、宴会(座興で漢詩を詠む)を催した際、彼がその様子を書に記した「序文」であります。鼠鬚筆(鼠のひげ)を使って書いたとされています。この時相当に酒を飲んで酩酊して書いたもので、これを家に持ち帰り酔いがさめてから書きなおそうとして、90数回書いても、最初の書以上に上手く書けなかったという逸話が残されておりますね。

 この酔っ払って書いた蘭亭序は、彼の没後、弟子の末裔が保管していたのですが、300年後の唐の太宗が騙し取らせたと言われています。太宗は王羲之の書の熱狂的なコレクターで、蘭亭序を自分の墓に埋葬させたのであります。この墓がどうなったかは存じません。蘭亭序は盗掘されて彼方へ運ばれたものか。あるいはネズミや虫の餌になったか、黴菌やら水気で溶けて消えたかでしょう。
手元にある 蘭亭序の拓本の一部がこれです

王さんの真跡を真似て、3世紀に弟子や書道家が書いた蘭亭序(写し)の一つを石碑に刻んだものを拓本にとって、さらにコピーしたものでしょうか、おそらく何の価値もありません(笑)

 話は戻りますが、王さんが存命の頃、まだ紙というものは、質が悪くかつ貴重品であり、破損・汚損・劣化しやすいものでありました。従って、大事な記録は、紙に書くだけでなく竹簡に書き残したり、腕利きの石工に彫らせて石碑として保存したのです。当時はカメラもコピー機もありませんからね。この蘭亭序は繭で作られた紙に書いたそうです。絹に近い物だったんでしょう。
 
 王羲之の書は、そうした歴史的文書や記録と言うよりも、書の手本として多くの書家たちが臨書(真似て書く)したといいます。恐らくはそれも、真跡を模倣した能筆、弟子の手によるものを模したもので、真跡を見て書いた方はほとんど居なかったでしょう。現在までに伝わっているものだけで二十数種だそうです。王羲之に限らず、現存している古来の中国の名筆はほとんどがこうした石碑に残され、その拓本をワタシ達が真似して書いているのです。

 少し意地悪な見方をすると、書の伝言ゲームであり、真筆がどうであったかは歴史の闇の中に消えているのです。それにしても、沢山書き残し、多くの書道家政治家が挙って珍重したであろう王羲之の真跡が、一枚も無いというのも奇異に感じますね。墓に副葬されたというのは蘭亭序のみの記録であり、太宗の収集品2千余は残った可能性が高いのです。

 話は少々飛びますが、日本に漢字が伝来したのはどうやら弥生時代末期、紀元300年頃の様です。実際に漢字が普及したのは5世紀、日本最古の書と言われる「日本書紀」は7世紀に編纂されています。一方世界最古の書物は、中国の「易経」で、書かれたのは紀元前3,4千年だそうです。これだけを考えても、3世紀に書かれた王羲之の書が、一枚も残っていないというのは何か変な話です。

 中国も長い歴史のなかで、大きな都市は戦火に包まれたことが幾度もあったでしょう。近世でも日清戦争、アヘン戦争、第2次大戦と大きな戦争が起こり、以降も文化大革命などの争乱があって膨大な書籍・文化財が焼失しています。紫禁城から多くの文化遺産財宝が運び出され、一部は台湾に蒋介石が持ち出しました。こんなどさくさ紛れの盗難は、中国王朝の末期にもたびたび繰り返されて、財物が散逸していったのだろうと思いますね。案外、その価値も知らない田舎の旧家に流れて行って、現存しているかもしれません。
 もし、その真筆が発見されたなら、数十億円か数百億円の価値があるでしょうね。

 王羲之に関する記録や書の写しは後世まで数多く残されています。最後に一つトリビアを紹介します。

 王羲之はとても筆の勢いが強く、筆力がすごかったといいます。ある時、王さんが木簡に書いた書き損じの文字を削ろうとしたら3分(1㎝)も深くしみ込んでいた、との故事があり、これが起りで「入木」という熟語が生まれました。日本でも一時書道の事を「入木道」と呼んだ時代があったようです。時折書道筆などの銘名にも、この文字を見かけます。

 いずれにせよ、王羲之に関するすべての記述・記録もあくまで、残された書物に書かれているだけのことなので、その真偽は確かめようもなく、おおかたは、後世に相当デフォルメ、脚色されているものだろうと思います。
 洋の東西を問わず、歴史は為政者が塗り替え書き換えてきたのも事実であります。歴史は、壮大な伝言ゲームでもあるのです。
 ましてや、あの中国です。ものごとを大袈裟に表現し、似ても似つかないパクリ・粗悪コピーの本家でもありますからね。 




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