今更ワタシが「北京オリンピック」の総括する意味もその立場にもないのですが。
2週間ちょいの間、家内は犬中心から五輪中心の生活にシフトし、毎日見るべき有望な種目や興味がある競技の放映時間を調べてちゃぶ台の上のメモ書きにつけておりました。食事時間・外食、入浴までもこれに合わせていたのです。
ワタシはというと、夜を除いて忙しく動き回っていてほとんどの日中のライブ放送は見ておりませんでした。結果が分かっている勝った競技だけつまみ食いみたいなものでした。4年に一度のスポーツの祭典、アスリートがここを目標に集まって来ただけあって、随所に記憶に残るようなプレーや感動を引き起こしたのは紛れもないことです。
結論から言えば、十分楽しめる大会だったが、やはり北京でやるべきでは無かったということです。コロナのオミクロン感染者が世界に広まっている時期でもありました。オリンピックの意義を否定するものでは無いけれど、今回起きた様々な問題やら疑惑の多くが、今のオリンピックの開催国決定や運営の在り方に起因するものであったことも事実であります。偏った判定や審判、日本人の有望な選手たちが転倒となった氷のコンデション管理、極端に高難度でリスクをともなう競技やトリックが増え、アスリートに生命の危険を強いるパフォーマンスを要求するようになっていると感じました。
本来は国家間の競争ではないはずが、現実は国別のメダル獲得数が国力の証となり、事あるごとに選手が国旗を掲げるのです。中国は、女子のホッケー選手の過半数が外国人(帰化選手)、スピードスケートで2個金をとったのもアメリカ人でした。露骨に帰化選手を増やして、中国のスポーツが隆盛で一流なのだと偽装しておりました。
共産圏・社会主義国家に露見するドーピング問題は歴史が長く根深いものです。一部のスポーツ選手にとっては、禁止薬物に手を出してまで、その発覚のリスクと健康被害を承知の上で、成績や能力を上げようとします。それが周りの関係者や国家までも関与するのがロシアであります。ワリエアがなぜ禁止薬物を摂取したのか、そして4位に終わった失敗の演技が本人が意識したのか、それがだれかの指図だったのか、恐らく解明されないままに終わるでしょう。相手がロシアだからです。
これだけ疑惑とトラブルを感じた大会は無かったのです。今回の大会では、日本人の強さに胸を熱くし、日本人の弱さに失望するを交互に繰り返して感じました。最終コーナーでまさかの転倒で大きな悲鳴を上げた解説者、泣きじゃくる高梨さんや高木選手、会心のショットで4点のビッグエンドを出した藤沢さんの1投、そんなシーンは心に写真のように焼き付いております。しかし、嫌な感じ、納得できない結末が多くあって、もやもやした気分が最後まで残りました。
世界で注目している五輪裏番組として、ロシアによる「ウクライナ侵攻」の危険性の高まりが暗い影を落としていました。ワリエワさんがドーピングでクロとなっても出場し、ウクライナの選手は即アウトで帰国、それが象徴的でもありました。戦争を起こすつもりは無くても、世界に対して「脅かし」をかけてロシアの優位になるような条件闘争をする、というプーチンさんの意図が透けて見えているのです。
そして、醜い大人たちがオリンピックの高邁な精神を汚し、オリンピックの歴史に残る汚点を残しました。その張本人は習近平さんでありプーチンさんであり、IOCのバッハであります。
オリンピックを政治に利用してはならない、アスリートの人権、健康や生命、そして長い人生が先にあることを関係者は常に念頭に置くべきだろうとも思います。ワリエアが競技を終えるや否や「コーチが悪い」といい、フィギュアのシニアの最低年齢を17歳、18歳と上げる方針を仄めかしたバッハさんは、さすが政治家、風を読む事に長けた人物で変わり身だけは天下一品でありました。