昨日の続編、文彭さんの篆刻印は本物かぁ?であります。
二つの印の内一つは、20×20×28㎜で、上部には珍しい丸い亀の紐が彫られております。石は黒味が強く、経年相当の汚れがしみついていると見えました。もう一つは9×19×30㎜で典型的な「関防印(引首印)」で、紐はなく、側款は「文彭」のみです。
通常篆刻の世界でも、非常に値打ちの高い希少材は彫らずに観賞用とします。高価で希少な石は、昔から手のひらに載せ眺め、触って楽しんでいたようです。こうして賞玩により独特の色味が醸し出されます。地中深く何万年も眠っていた石は、空気に触れ陽光を浴び人間の皮脂などが付着するうち、ほんのすこしずつ変質し、古趣の味わいが出て暗い落ち着いた色あいとなります。
側款には、隷書体で「嘉靖 丁未冬日 作文彭」と刻されております。そして、注目の蠟印が付着、それに「章統 同治 150」と青地のスタンプが押された紙札が付いています。章統は「印章」の統括部門、同治は中国の元号かあるいは担当者名かもしれません。
印面は白文で「〇長于它」、勉強不足で最初の文字が読み取れません。もう一つは「酒中仙」と彫られています。いずれも印面が非常に美しく鏡面やガラス板のように真っ平、ツヤツヤであります。これは、きわめて肌理の細かい砥石で平面にした後、皮などで丹念に磨きをかけたのでしょう。側面はややざらつきや研磨時にできる細く浅い筋が残っているのも共通しています。
とりあえず石の色や種類を確認するため、朱泥汚れがある目立たない場所を、アルコールで丁寧にふき取りましたが、若干の汚れはとれるもののほとんど、その色は落ちません。元からかなり濃い茶色で半透明な印材であったと思われます。よく見ると、どちらもうっすらと黒茶色の筋模様が流れて入っています。二個の石は色・模様も石質も酷似しているのです。青田石の一種「醤油青田」かもしれません。確実なのは、側款の名前の筆跡はおそらく同一で、同じ印材を同じように彫った、つまり二つの印が同一人物によって生み出された可能性が極めて強いということです。
この種の色合いの印は、見た目は地味で、ヤフオクなどでも数百年前に彫られた古印によく見られます。その後に珍重される田黄石・芙蓉石などと系統が異なります。
さて、その彫りの様子や技術です。以前紹介した「徐三庚 」さんの白文に比べると、明らかに切り口にスパッと切ったような鋭さが無く「気負い」がない印象です。字画に丸みがあり、一種拙さをも感じます。そのかわり、自然で素朴な印刻であります。ワタシにとっては好ましい作風といえます。「篆刻の祖」という後世の呼び名は、篆刻を普及させた功労者と言う意味合いが強く、文彭さんが、篆刻家としての力量や作品の芸術性が、必ずしも極めて高いと評価されているわけではありません。篆刻作家としての名声の高い人は、他にごまんといるのです。
文彭さんの印そのものにそれほど芸術的・骨董的価値が高いとも言えないので、プロテクトされず、「蝋印」付きで売られたのだと推測も出来るのです。
さて、その真贋はどうかといえば、決め手がなく「わからない」という結論になります。疑えばきりがありません。蠟印もよくできたニセモノをつけることがあると聞きます。年代物の手あかがついたような古い印の雰囲気を出すために、土中に長く埋めたり、繊維の汁をしぼった液で煮詰める、といった贋物作りもあるようです。ワタシのような素人をだます程度の細工はいかようにも出来るでしょう。
しかし、思うのです。一説では「伝存しないと」される文彭さんの印を、わざわざ疑われる可能性が強いのに偽造するだろうか?そもそも現物がないなら、贋作が作れないでしょう。蒐集家にとってマイナーな文彭さんの印です。
ワタシがひともうけをたくらんで、手間暇かけて偽物を作って売ろうとするなら、一見高そうに見える印材を使い、篆刻にたけた贋作家を雇って、呉昌碩、 趙 之謙、 鄧石如、斉白石さんなどの超有名な大家で、きわめて高値になるような印を偽造します。そして、古びて高そうな印箱に収めます。どうせ偽物をつくるなら数万円でしか買われない程度のものより、一発でドンと高値になる人に目をつけます。
彼らの印は、ほとんどヤフオクではみかけません。ごくたまに出品されると最低40~50万円位に値段が付きます。当然ながらそうした大家の作には「蝋印」がついていません。オークションにかかるもので本物であれば、文物保護が出来なかった100年以上前に国外へ流出散逸したものでしょう。今は国外持ち出しできない歴史的文物なのですから。
この小ぶりで、ふるぼけたくすんだ印が、450年ほど前に、文徴明の長男の文彭さんが製作したのかも、と思うとワタシにはこのうえない至福を感じます。時空を超えた不思議な感覚に陥ります。1年前に巡り合った「篆刻」のおかげで、書印文化の世界や歴史を体感し、浪漫を感じるのであります。