植物園「 槐松亭 」

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斉白石先生の印章 ここに鑑定結果を発表!とはいかない

2022年09月21日 | 篆刻
斉先生の印と箱に表記され、底には「蘭径」さんという美術研究家の鑑定印がある篆刻印であります。

ネット上で見つかった、同じ内容の側款がある印は、とうてい斉白石の真作・オリジナルではないだろうということが、前回までの結論でした。だからと言ってワタシの手元にある印が真正の作と言う証拠には全くなりません。少なくとも二つの印に共通する情報(印影や側款の拓本等)のソースになる印がどこかに存在したと考えるべきでしょう。中国の文化研究院みたいな場所に資料が有ったり、もしかしたら現物が、中国の富豪か故宮博物館かどこかにあるかもしれません。
その情報さえ見つかれば、ワタシの印が贋作か否かはたちどころに判明します。

摸作・贋作だと仮定しましょう。その場合、作者は中国の文献か何かでこの印を摸刻した可能性が高いのです。必ずや側款の拓あるいは現物の写真も見ているはずであります。共箱・鑑定印などの細工は、日本で扱われる骨董品に見られるものですから、日本人あるいは日本国内で行われたと考えるべきでしょう。

中国内の文物ならば、布箱が一般的ですが、更に高級な品物であれば、内側に派手な赤や金地の布を張った木箱(黒檀などの硬木)で、台座なども誂えます。こうした中国高級品の箱に入っていないのは①斉先生が作出した時点ですでに「箱」は無かった ②印箱はどこかに行ってしまった(壊れたか紛失)という事が考えられます。

従って、中国で作られた偽物は、ちゃんとした印箱がないまま日本に渡って来て、そこで本物に仕立てるために箱を作ったとも考えられます。偽物と知っていて、日本仕様の箱書きを拵えたのなら、日本人向けに販売したのでしょう。この友箱はとてもしっかりとした細工物で指物師によるものと思われます。骨董に詳しい人なら、鑑定したという紙を底に張り付けたのも、本物と信じ込ませるのに役立ちますね。もう一つ、既に出来上がった偽印と印箱で「本物」の鑑定家を騙したという可能性もあります。
そうして、日本で、さほど専門的な知識がない財閥やお金持ちに売り込んだ、というシナリオが考えられます。あくまで想像ですが、現在の価格に換算して数十万円であったかもしれませんし、数百万円以上であったかもしれないのです。

ワタシにとって都合がいいのは、専門の鑑定家に見て貰って、本物との鑑定結果であったのを機に、箱や布箱を発注し、これに「蘭径鑑」の紙(お墨付き)を張ったという筋書きですが(笑)。これに、由来や名前・作者名などの保証書(折り紙)が付いていれば言うことなしであったのですが。

そこで気になるのが、印の背面の縦にある3㎝の切り傷です。
これは自然にできたものでは無く、明らかに印刀などで彫った跡であります。まさに印材に使われた丸石の材質・種類を確かめる為に刃を入れたのでしょう。これが、実際に鑑定した、あるいは、相当期間経過していて数人の方の手に渡っているであろうという事実を裏付けるものであります。本物であれ偽物であれ、入手した人にとって「品物としての価値が高く高価格」だったことを意味するかもしれません。

さて、肝心の印の彫りであります。オリジナルが分からない以上、その彫り方や技法を想像するよりないのです。
篆刻家さん(Kisen先生やPekepekeさん)によれば「是」の字が「弱い」点が気になるというご指摘がありました。ワタシは単純に、石の形故に、その字のスペースが狭かった分、やや文字全体が小さくなったかなという印象でありますが。

ただ子細に観察すると、斉先生が駆使したと言われる単入刀法による特有の線が出ております。大きめの印刀で、片側から、ざっくりと刃を進め一刀のもとに線を引いて終わり。すると、片側は直線的になり反対側は、石がはじけ欠けるために凸凹・ぎざぎざとなります。そうした特徴が良く出ていると思います。
因みにワタシのような(へぼ)中級篆刻では、遠巻きに何度も刃をあてて少しづつ削る、という彫り方をする結果、線の鋭さや迫力に欠ける出来になるのです。(´;ω;`)。専門家さんがみれば、もたもたした線ですぐにばれてしまいますね。

また、篆刻で注目することの一つは、彫った深さです。これは白文・朱文でも差異がでますし、なにより印材の硬さにも左右されます。ワタシが印を彫っていて意識するのは、出来るだけ浅く彫る、であります。特に白文(文字の部分を彫下げる)は、よほど線を太くしない限り彫り残しは出にくいのです。高級な印材であればあるほど浅く彫るようにしています。

今までに数知れず入手している中古の印には、下手な彫りが多く見られます。そんな彫りに限って、深く彫り下げた箇所があります。ワタシは、これは彫ったのではなく、石を無闇に傷つけたと言うべきなのです。万一失敗して彫り直す、あるいは人に渡ったものが再利用されるという観点からは、浅く彫るのが正しいのだと思っております。
※この印に対しては随分深堀りしておりますが・・・💦

この印は、全体的に浅く彫られております。また、躊躇なく一刀で一気に彫り進んだように見え、後から手を入れ補刻されてはいないのです。 

斉先生が74歳ならば、当然筋力も衰えていたでしょう。枯淡の心境が持ち味で、痩せ細って髭を長く蓄えた風貌の年寄りが、野太い線でガリガリと深く彫っていくことは想像できません。目の前にあるこの石の浅い彫は、そうした観点からも、斉先生の手によるものかと思い抱かせるのであります。 

こうした調査・推理の過程で、さらにワタシは禁断の手を打ったのであります。名付けてDKS作戦であります。続きはまた明日m(__)m


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