植物園「 槐松亭 」

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本物の田黄石を求めて 懲りないワタシ

2023年11月03日 | 篆刻
毎度変わらぬお題で恐縮です。

ワタシの石印材蒐集のメインテーマ「田黄石」のお話になります。
一応サラッと説明しておきますが、中国福建省寿山郷にある田黄坂の周辺の農地一帯で土中から採石された石で、もとは寿山山系の杜陵坑や高山が母岩の出所と言われています。数億年もの歳月の中で形成されたヨウロウ石、山の崖や洞穴にあった半透明で黄金色のこの原石が、がけ崩れなどで剥落し、流れる小川や雨水などの水の中から土砂もろとも下流に押し流されるうちに角が取れて丸くなったものが、田黄坂の土の中で更に何万年という歳月を送ったのです。

それで、表面が変化・酸化して黒みを帯びた皮に覆われます。その小石を見つけて削ってみたところ、琥珀色の美しい地肌が出て来た、ということらしいです。これが、印材として非常に彫りやすいのみならず、艶を帯びたまことに美しい鑑賞石として珍重され、金と同じ目方で取引される大変なお宝となったのです。昔この原石を発見したら、家が建つと言われたくらいです。

遠くから多くの人が田黄を求めて「ゴールドラッシュ」さながらあたり一面を採掘したのです。1900年代後半にはほとんど掘り尽くされたようです。

それほど貴重で「宝石」同様の扱いをされていた田黄でありますが、いまやその気になればいくらでも入手できます。何故なら、ほとんどが偽物・類似品・新田黄と言われる、別ものを田黄石と称して流通させているからであります。ヤフオクをチェックしても、検索したらたちどころに数十件ヒットします。本物なら100g程度の重量なら100万円以上してもおかしくないのです。

田黄石として出回っている品物の特徴は大別すると、二つの傾向があります。古色蒼然とした時代箱に収められ、座布団の上に載せられ、著名な作家の側款などが入っています。だいたい角形の大きな石(多分200g以上)で、上部は立派な紐(持ち手の飾り彫)。
もう一方は、あくまで土から掘り出したときの原石の形を残したような体裁で、自然石形・不整形であります。ほとんどが丁寧に表皮を削りつやつやになったものに「薄意」と言われるレリーフのような山水彫があります。これも立派な箱に収められているケースもあります。
愛読書「墨スペシャル」によれば、半透明・微透明の黄色味を帯びた艶やかな石であって、正当な田黄を特定するためのシビアな要件があるようです。
①当然ながら、産出地は「田坑」で寿山郷の田黄坂に限定される
②外皮に「格」がある=裂痕紋という一種の紅い疵がある
③皮が付いている、またはその痕跡がある
④ダイコンを輪切りにしたような紋様「羅蔔(らふく) 紋」がある
といった特徴を兼ね備えているらしいのです。

ワタシはこれに、「名人の手によるレベルの高い印を彫っている」ことを加えておきたいと思います。田黄石として世に出て、数百年前から少なくとも数十年経過しております。その間には何人もの手に渡るはずなので、どこかで誰かが実際に「印」として彫る、ことがあって当然なのだと思うのです。

田黄石は、大変その数は少なく、ほとんどが小石なのです。漬物石のようなものがゴロゴロ埋まっているわけではありません。ですから、切り出した「角材」というものはほとんど存在しえないのであります。ところが、そういう希少な石がヤフオクあたりにはごまんと出品されているのです。人造石は論外、これ以外に天然石であっても「鹿目格・高山凍・坑頭田石・掘性都成坑または杜陵坑」などでも田黄とみまごうような石もあります。その一部は田黄石の母岩がある山の中に眠っているからであります。

さて、そうした貴重で高価な田黄石は、丁寧に磨かれ更に表面に薄く彫を入れて取引されることになります。一部態と美しい皮を残すこともあり、その皮を利用してグラデーションがある浮き彫りにするのです。ワタシを含めて素人が田黄と判断する材料として「①それらしい箱に収められている ②自然石の形で必ず彫るための平面がある ③美しく丁寧な浮彫がある」ことを一応念頭に入れたほうがいいのです。→あくまで参考程度ですが

さて、そこで本題(笑)
例によって田黄擬きの印を2件落札し、昨日届きました。繰り返しますが、田黄は本物は千に一つ万に一つ、と考えていいし、本物は、おおむね100g以下の小さな石で、一個数十万円以上しても何の不思議もありません。
それが、大きい方が325gで15千円。小さい方が94gで9,625円で落札できたのです。この時点で、田黄石では無い何かの天然石であろう、と思って入札したのでなんの期待も疑いもありません。

まずはこれ。4×4.3×9㎝という堂々とした大型の印であります。角印に近いややいびつな石なので、原形が方形に切り出した角印とも断定できません。
側款には、中国の著名な篆刻家・印材の蒐集家の「丁敬」の名が彫られています。印面に近い部分上の写真の右下は、地の石と明らかに異なる皮らしき茶色の変色部があります。丁敬先生(1695年 - 1765年)で、干支の「 庚申」を信ずれば1740年が該当しますね。

印全面に薄意が施されていて、着色されている形跡も無いのです。石が大きいせいもあって非常に緻密で薄意の専門家の手になるように見えます。肝心の羅蔔紋、うーむ、上部に薄く黄色いダイコンの断面のような筋紋が見えるなぁ。

もう一つはやや小ぶりの天然石形の印で、こちらにはやはり中国の名人「秋堂」先生の側款があります。

秋堂と言えば、本名「陳 豫鍾 」(1762年 - 1806年)の篆刻家さんであります 。ネットでもこの人の側款は多く見かけます。多分この中国の世界では最も有名なのではないかと思います。側款の申午から該当する年は、1774年になります。
この石は、「丁敬」さんに比べるとやや赤みを帯びていております。
彫られている印影はこうでありました。
悪くはないけれど、中国の偉人の印か?となるとこれまた判断が付きかねるのです。

これだけの大きさの石で、しかも中国の著名な作家の作がある田黄石が出回るわけないだろう、しかも友箱も無いのだから、偽物に決まってる、と皆さんは思ったのですよ。(ワタシも然りですが)

ただ、はっきり言えるのは、田黄でなくてもとてもいい石で、ワタシの田黄擬きコレクションの中では、最も上位クラスと思えました。美しく風情の良い石材、良心的で丁寧な薄意があるだけでめっけものであります。
もし・・・これらが本物の田黄石ならば、新車一台くらいは買えるだけの価値があるのですが・・・

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