寒いです。一年で一番寒い季節だからしょうがない、今朝も庭先に霜柱が立っておりました。朝焼けの富士山も雪をかぶってますが、あんなところに登る人もいるんでしょうね。
その一番寒い時期にワタシは生まれた(大寒)のです、しかも九州の内陸高地にある寒村でありました。冬になれば当たり前のように大雪になり吹雪の様に雪が降るような地域であり、時代でもありました。
それが、今は関東でも最も気候が暖かく穏やかなエリアに住むようになり、また地球温暖化の影響か、滅多に粉雪さえ見ることはありません。さすがにこのところメダカのプールに薄氷が張り、早朝の気温がー1℃を指していることもありますが、午前中には溶けて気温も10℃ほどに上がってきます。
さてそんな寒い時期今週はまたえらく忙しい7日間になりました。
私の誕生日には何もありませんが、まず21日に所属する書道会派の新年会・懇親会が上野精養軒で行われました。開始が夕刻5時となると私の住む平塚の家を3時前には出なければなりません。ついでに御徒町の上野松坂屋で買い物もありましたから。懇親会では、ワタシは初参加になりますが、たまたま先日同会が中心の公募展「日書展」の2科(篆刻部門)でワタシの初出品作品が入選したので、表彰されると聞き欠席するわけにもいかなかったのです。
翌日22日は、書道関連のオープンチャットで知り合った方(男かと思ったら女性でした)がお友達と一緒にワタシの仕事場に訪ねてきました。以前ワタシの石印材が数が増えて収拾がつかなくなった、と書き込んだら「なんなら行って整理を手伝いますか?」と書いて来た(らしい)のです。そしてその方が偶然ワタシの師事する篆刻の先生の門下生でこないだまで2時間半かけて教室に参加していたとか。
教室を辞めて、パートさんをやっているがインテリア・荷物などの整理収納の仕事を始める計画が具体化し、まざ手始めに縁のあるワタシのところで軽く肩慣らしをするか、みたいなことになったのです。
ワタシはと言えば風邪と鬱病などで疲れやすく、人と話す事も苦痛になっていましたが、月曜日の午後半日、彼女たちと片づけやらワタシの作品の説明、普段の生活などを話し合うことになったのでした。
翌火曜日23日は、毎週お願いしてきてもらっているマッサージさんに2時間みっちりもんでもらいましたが、午後は九州でお茶屋さんを営む中学時代の友人が新たに喫茶店を開業するというので、お祝いに看板製作をいたしておりました。木の板を彫ったり書いたりしては塗った塗料を乾燥させたり修正したりと1週間以上かかるのです。
それだけでもう疲労困憊であったので「水曜日」は完全休養日に充てると決めました。早朝に起床し、8時過ぎには朝寝、お昼をしたらそれから1時間半昼寝、その後は室内でメジャーな書作品公募展「謙慎書道会展 」用の作品制作にかかりました。ワタシは主に「篆刻」作品を出品するので、昨年秋に彫った石を手直しし、半紙に落款を入れるための書の練習が必要なんです。
そして夜にはサッカーアジアカップの予選3戦目「インドネシア戦」が夜8時半から2時間!。正直ワタシにとっては大変な夜更かしなんです。
木曜日25日には以前から予約していたゴルフのいつもの仲間たちとのプレーが待っていました。早朝6時に家を出ていつものホームコースへ向かい、実際のスコアなどはつけないで、ただボールを打っては歩くだけの健康増進以外の目的が無いゴルフであります。お互いにこのホール幾つだったなどとも言いませんし、パットは短いのは勝手にピックアップ、打つ順番も何も好き勝手でルールやマナーはほとんど無視であります(笑)。
しかし、一か月ぶりのゴルフで、基本的にカートに乗らずに歩いてコースを回るので、一日2万歩近く歩く事になります。今月引いた風邪ば抜けず、うつ病で体が思い半病人のワタシは本当に疲弊し、帰りの車の中で幾度あくびをしたかわかりません。帰宅したらそのまま2時間昼寝し、夜は8時過ぎに布団に入りました。寝るよりほかに回復の手段はありません。
それでも昨日26日はまだ疲れが取れず、眠気も強かったので、昼過ぎに1時間半、爆睡いたしました。しかしそう休んでも居られないのです。100種類ほどの室内植物の水やりも必要です。
そして、ようやく謙慎会の作品に出せる程度の落款を書き上げることが出来ました。
夕べも8時に寝て、起きたのが5時半、丸一日の間に12時間近く寝た、という計算になります。
早い話、無職の70歳近いおじさんにとって大変タフな1週間だったのです。それだけではありません。今日の夕方は菩提寺の世話人が集まって「新年会」をやるんだそうです。ワタシお医者様から飲酒は控えるように指導されておるのです。困ったもんですね。
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