まだ学生の頃は、デートにせよ合同ハイキングにせよ、鎌倉や北鎌倉を散策したりハイキングコースを尋ねたりしたものです。18歳のワタシは、油絵などにも興味があって絵をかいたりしたのです。通算何人かの女性とも連れだって、明月院(紫陽花寺)などを訪ねたのをぼんやりと思い出しました。少年から大人に変わっていく年頃であったのでしょう。
さだまさしさんの「縁切寺」という名曲が流れていたのもこの時代で、「今日鎌倉へ行ってきました。二人で初めて歩いた街へ ~♬」という歌詞通り、あの頃、手を繋いで歩いた数人の女性たちとは全く縁が切れています。
就職が決まった時、結果としてお世話になった方を裏切ることになり、その方に亡父が上京してワタシの不始末のお詫びをしたのも鎌倉の料亭でありました。
それから30年ほど後に、スケッチブックを手に、金沢文庫や・八景園、鎌倉と、平日に写生したのも今となっては懐かしいです。その時、金融機関勤めであったワタシは、「出向先から戻って自宅待機」という不名誉な境遇であったのです。
そして昨日は、10数年ぶりに鎌倉を訪れました。三男が鎌倉八幡宮で結婚式を挙げることになり、夫婦で貸衣装の衣装合わせに小町通の衣装屋さんに出かけたのでした。訳あって今年は、なんと3回目のモーニングの衣装合わせでありました。
その時ふと思いついたのです。「ウジンさんに会いたい」冬のソナタのユジンさんではありません(笑)。篆刻家の雨人先生であります。彼は鎌倉篆助というお店を持ち、世界で最も早く印を彫るという特技を持った気鋭の篆刻家さんです。ワタシは、かつて独学で篆刻を始めた時、YouTubeでこの方の動画で印刀の使い方を学んだのでした。またワタシが集めた篆刻印の中で1本だけ「雨人刻」の印がありました。膨大なストックの中の1本なので探しても見つかりませんでしょうが。篆刻に関しては雨人さんがワタシの師匠なんです。
貸衣装屋さんの担当の女子は、母が書道家なんです、とさらっと答える、そんな文化や伝統が深く息づく街であります。早々に衣装を決めて申し込みを終え、彼女が教えてくれた老舗の蕎麦屋「山路」さんで、それはそれは美味しい、コシの効いたそばをすすりながら、これから寄る所があると、家内を先に帰し、北鎌倉で下車して鎌倉篆助さんを訪ねました。北鎌倉駅から徒歩数分のこじんまりしたお店で、雨人先生もいらっしゃいました。
気さくな明るい方で、15分ほど立ち話をしました。内容は、知り合いの篆刻家の先生のことなど、取り留めもない篆刻に関わる話で、初対面で素性もわからぬこのお爺さんに、嫌な顔もせず聞いてくれました。記念にと思って、短冊などを飾れる、機織りだか紙漉きだかの古い木の部品を分けてもらいましたが、やはり篆刻家さんならば、遊印の一つも頼むのだったか、と帰りの東海道線で思い直したのは遅かりし、10秒で彫り上げるという刀捌きを見たかったかなと。帰りに名刺を置き、何か将来縁が繋げればと期待しつつ帰路についたのです。
この秋には自分の息子が鎌倉で挙式することも、なにか鎌倉との縁を感じます。これまでの人生の節目で幾度も来ることになった「鎌倉」、これからもそこで新たな縁や人との交わりを紡いで、縁切りならぬ縁繋ぎということもありうべしと、微かな期待を感じて大変有意義な一日でありました。
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