美津島明編集「直言の宴」

政治・経済・思想・文化全般をカヴァーした言論を展開します。

『古事記』に登場する神々について(その8)スサノオ・アマテラス神話④

2014年05月09日 12時55分42秒 | 歴史
『古事記』に登場する神々について(その8)スサノオ・アマテラス神話④


スサノヲノミコト絵 島根県松江市の八重垣神社にある

今回は、天の岩屋戸(あまのいわやど)の場面の前段を扱います。この場面は、スサノオ・アマテラス神話のヤマ場であると同時に、『古事記』神代(かみよ)篇のそれでもあると言われています。それで、私としてもそれなりに下準備をしようとして、けっこう時間がかかってしまうことになりました。前回アップしたのが、四月半ばですから、今回はおおよそ一ヶ月弱ぶりのアップです。

その約一ヶ月の間に読んだ古事記関連本でとくに印象に残ったのは、西郷信綱氏の『古事記の世界』(岩波新書 一九六七年)です。というより、最近はほとんどこの200ページちょっとの一冊にかかりっきりだったと言っても過言ではありません。『古事記』の叙述と歴史的事実との対応関係を過度に気にする、戦後の実証主義的な風潮を力技で押し返し、あくまでも神話の固有性から『古事記』の叙述内容を読み解こうとする西郷氏の真摯な姿勢に、私は魅了されてしまったのです。その姿勢には、政治の関与から、文学の固有性をあくまでも守り抜こうとした小林秀雄のそれに深く通じるものがあるのではないでしょうか。ふたりともに、文学の本質について深い洞察を有していることは、いうまでもないでしょう。

いま私は、不用意にも「文学の本質」と言ってしまいました。言ってしまった以上、それについてすこしだけでもふれておきましょう。たとえば、吉本隆明氏の次の言葉を引いてみます。


「政治と文学」とか「政治と芸術」といって、文学や芸術は芸術的価値と同時に政治的価値も具えていなければいけないんだと言い出す人たちがいました。でも、ぼくらにいわせれば、どう考えてもその考え方には「人間が人間である」ことや「人間性」の問題が入ってこないわけです。(中略)「人間が人間である」ことや「人間性」が入ってこないような芸術あるいは文学というのはもともと成り立たないのです。
(『日本語のゆくえ』吉本隆明 光文社知恵の森文庫 2012年)


この文章のなかの、「人間が人間である」こと、とか「人間性」といった言葉が、文学が立脚すべきものを指し示しているのは間違いないでしょう。では、「人間が人間である」ことや「人間性」とは、いったい何なのでしょうか。端的に言ってしまいましょう。それは、身体性に深く浸潤された観念領域のことです。それをいささか具体的に、ドストエフスキーが『地下生活者の手記』で語ったような、一本の煙草と世界を引き換えにすることも辞さないと臆面もなく言ってしまえる人間の心の偽らざるリアルな一側面のことである、と言ってもいいでしょうし、既婚者がひとりの女を得るために自分の社会的地位をかなぐり捨てたり家族などの身近な人々の幸福を犠牲にしたり彼らを悲惨な目にあわせたりするところに露呈されるエロスの暴力性を指していると言ってもいいでしょう。文学の本領は、人間のそういう赤裸々な姿を少なくとも絶対に敵に回さないという覚悟を決めるところにあるのではないでしょうか。吉本氏が言いたいのは、そういうことだと思います。その意味で、人間の赤裸々な姿を無視したりさらには敵に回すことさえをも辞さない社会倫理と文学の倫理とは最後のところで絶対に相容れない一点を有するのではないかと思われます。

いささか脱線が過ぎたような気がします。西郷信綱氏の古事記論に話を元に戻しましょう。

彼の、強い磁力を有する卓越した古事記論を、当拙論に取り込むことがどこまでできるのか、ちょっと分からないところがあります。というのは、その磁力があまりにも強いので、つまみ食い的な取り込みをしようとしても、あまりうまくいかないような気がするからです。かといって、氏の古事記論に全面屈服したような話を展開してみても、あまり面白そうな読み物にはならないような気もするのです。

そこで、というわけでもないのですが、いささかなりとも分かってきたのは、前回取り上げた三浦佑之氏が、西郷信綱氏の影響を深く受けながらも、その磁場から抜け出す自分なりの道筋を見つけ出そうとして試行錯誤しているということです。そのことは、例えば、次のような物言いからもうかがうことができるのではないかと思われます。

この神話(『古事記』一般ではなくて、そのなかの天の岩屋戸神話を指している―――引用者注)には、冬至の頃に行われる鎮魂祭や大嘗祭(天皇の即位儀礼)が反映していると指摘されている。冬至の頃に、さまざまな民族の間で太陽の死と再生にかかわる祭儀が行われており、この神話にもそうした性格があるだろう。ところが一方、この神話はエロと笑いのドタバタ劇という性格ももっているわけだが、それは、冬至における祭儀という側面と矛盾するものではない。祭儀には、ここに描かれているような喧騒が必要だったのであり、あまり真面目一方に考えたのでは神話の本質を見誤る危険があるということにもなる。(三浦佑之『口語訳・古事記・神代篇』(文春文庫)


西郷信綱氏は、『古事記の世界』において、天の岩屋戸神話に冬至の頃に行われる鎮魂祭や大嘗祭が反映しているという主張を、神話の本質論として展開しています(ここは、本書の白眉のひとつでもあります)。三浦氏は、当然そのことを踏まえたうえで、上に引いた文章を書いています。そのうえで、当神話の「エロと笑いのドタバタ劇という性格」にスポット・ライトを当てて、「あまり真面目一方に考えたのでは神話の本質を見誤る危険がある」という言い方で、西郷古事記論と一定の距離をとろうとしています。そうすることで、その論の成す強力な磁場に吸い寄せられるのを回避しようとしている気がするのです。

これ以上の具体論は、後ほど展開することにしましょう。

要するに、ゆったりとした論調の三浦古事記論に触れるときに、ときおり、西郷古事記論を引き合いに出すほうが、大上段に構えて西郷古事記論を論じるよりも、話の流れがスムーズになるような気がするので、そうしたいと言いたいわけです。言いかえれば、自分の力量に合ったやり方をするに越したことはなかろうと思うのですね。

そろそろ本題に入りましょう。

前提条件のない、風変わりなウケヒをした後、スサノオは「自(おのづか)ら我勝ちぬ」と一方的に勝利を宣言します。やはり自分にやましいところはない、というわけです。それで収まればよかったのですが、そうはいかないところがスサノオのスサノオたるゆえんなのですね。スサノオはスサブ神、つまりやり過ぎてしまう神なのですから。彼は、勝った勢いに乗じて、高天の原で乱暴狼藉の限りを尽くします。それを以下にリスト・アップしてみましょう。まずは、次のふたつの悪業をなします。

・アマテラスが営んでいた田の畔(あぜ)を壊し、その溝を埋める
・アマテラスが大嘗(おおにえ)を召し上がる殿に入って糞をし、それを撒き散らす

しかしアマテラスは、それを咎めず、かえってかばおうとさえするのでした。「糞をしたのは、祭りの酒に喜び酔うて吐き散らす愛しい弟の振る舞いが、そう見えただけでしょう。また、田の畔を壊し、溝を埋めたのは、稲を植えるところが狭くなって惜しいというので、そんな振る舞いをしたのでしょう」というふうに。けれど、スサノオの乱暴狼藉はいっこうにやみません。スサノオは、次のような悪業をかさねてしまうのです。

アマテラスが、忌服屋(いみはたや。神聖な機織小屋)に入って、機織り女たちに神御衣(かんみそ。神のお召し物として神に捧げる衣)を織らせていたときに、スサノオは、その服屋の棟に穴を空け、逆さ剥ぎに剥いだ斑(まだ)ら馬の皮を、そこから落し入れたのでした。すると、布を織っていた機織り女がそれを見て(あるいは、被ってしまって)驚きのあまり、放り出した梭(ひ)で思わず陰上(ほと)を突いて死んでしまったのです。

ここは、分かりにくいところ満載ですね。少しずつ解きほぐしましょう。

まず、おやっと目を疑うのは、アマテラスが機織り女たちに神のお召し物を織らせているというくだりです。アマテラスは、高天原に君臨する最高神だったはずです。なにせ、父のイザナキから、高天原の統治を任されたのですから。そのアマテラスが、目下たちに神のお召し物を織らせているということは、自分がそれを着ると明言する言葉がない以上、アマテラスのほかに最高神がいるということになってしまいますね。その神のために織っている、と。このつじつまのあわなさに関しては、本居宣長や平田篤胤や鈴木重胤といった国学の超大物たちでさえも少々閉口したようです。では、それをどう考えればいいのでしょうか。西郷信綱氏は、その点について、次のように言っています。

天照大神の亦の名は大ヒルメ(紀)(日本書「紀」の意―――引用者注)で、これが太陽神の妻つまり巫女のいいであるゆえんを説いたが、忌御屋で神御衣を織る天照大神には、まさしくこうした巫女の面影がうかがえる。果たしてこの段の紀一書には、稚日女(わかひるめ)なるもの、斎服殿で神御衣を織っており、スサノヲが斑駒を逆剥ぎにして投げこむや機から落ちて死んだとある。稚ヒルメは大ヒルメの妹だなどと昔は考えられていたが、「大」と「稚」は巫女の位づけを示すもので、稚ヒルメは下にいう「服織女」にあたる。何れにせよ、ここにうかがえるのは紛れもなく巫女としての天照大神の姿である。ところが、これも前に指摘したように天照大神はもはやたんなるヒルメではく、“solarization”とともに光りかがやく日神として天上に持ち上げられた、新たな至上神なのである。(神の代理人である巫女が神そのものになる例は少くない。)(中略)しかしこの神には閲歴があり、天空にかがやく至上神と化した後もなお古いヒルメの影がつきまとっているわけで、神衣を織るのがすなわちヒルメとしての姿だとすれば、「大嘗きこしめす」のは高天の原の至上神としてであったと見ていい。 (西郷信綱『古事記注釈 第二巻』)


西郷信綱氏は、端的に「こうだ」という言い方はなるべく避けて、「こう読める」という言い方を好んでします。より良い読みに向けて開かれた読みを心がけているからこそ、そうなるのでしょう。それはそれでできうるかぎり尊重されるべきこととは思われますが、私なりに、彼が言わんとするところをまとめると、「神はその出自を引きずる」となります。あるいは、「神はその出自を引きずることにおいて神たりえる」と。アマテラスは、太陽神の妻としての巫女、すなわち、ヒルメという出自を引きずっているし、また、それを引きずることにおいて、アマテラスたりえている。だから、″アマテラスが機織り女たちに神のお召し物を織らせる″という言い方になる。とりあえず、そういうふうに言うことができるのではないでしょうか。

次に、原文で「天の斑馬(ふちこま)を逆剥ぎに剥ぎ」とありますが、「逆剥ぎ」とは何なのでしょうか。どうやら、獣の皮を尻の方からさかさまに頭の方に剥ぐことのようです。

そこで疑問が湧いてきます。天井から、獣の血まみれの大きな皮が落ちてきて、それが自分の身に降りかかったら、さぞかし驚くだろうとは思います。しかし、驚きのあまり放り出した梭(ひ)で思わず陰上(ほと)すなわち女性器を突いてしまうとは、ちょっと大げさ過ぎるしまた不自然なのではなかろうか。さらには、それで死んでしまうのはありえないことなのではなかろうか。正直にいえば、そう感じられてしまうのです。


機織り機の梭

ちょっとだけ言葉の説明をしておくと、梭(ひ)とは、機織り機で、張られた縦糸に横糸を通す道具です。尖った船のような形をしていて、糸が巻きつけてあるそうです。ここで想像を逞しくすると、馬→巨大な男性器→梭→陰上(ほと)への突き刺さり→性交となります。それで死ぬというのですから、そこには、タブーの侵犯という罪の存在が想定されることになるでしょう。書紀本文では、服織女ではなくアマテラス自身が傷ついたことになっています。そのことと、上記の連想とをすり合わせると、近親相姦の匂いがそこはかとなく立ち込めてくるような気がしてきます。すくなくとも、その痕跡が感じられることは間違いありません。

ここで、話の角度を変えましょう。

スサノオが、ウケヒの「勝ちさび」に高天原でなした悪業の数々は、「天(あま)つ罪」としてひとくくりにできるものです。天つ罪という言葉は、『祝詞』(のりと)の中の「大祓の詞」(おほはらへのことば)に出てきます(そのことの重要性に着目したのは、国文学学者・折口信夫氏で、それをきちんと評価したのは、吉本隆明氏です)。天つ罪の内容に入るまえに、『祝詞』に触れておきましょう。以下は、藤永芳純氏の「日本古代思想における悪」という論考を大いに参考にさせていただきました。https://ir.lib.osaka-kyoiku.ac.jp/dspace/bitstream/123456789/14627/1/doukyr_4_061.pdf

『祝詞』は現存のものとしては、『延喜式』〔延喜五年(905)下命、延長五年(927)成立〕の巻八にあるのが主なものです。『古事記』成立の約200年後に作られたことになりますね。だれが作ったのかについては何も記述がないそうです。なお、その中の「大祓の詞」には、罪の名前が書かれているだけで、それが何を意味するかについては諸説があることをおことわりしておきます。

「大祓の詞」で天つ罪としてあげられているのは、次の九つです。(記)は『古事記』に記載があるもの、(紀)は『日本書紀』に記載があるもの、です。

① 畔放(あはなち):田のあぜをこわすこと。(記紀)
② 溝埋(みぞうめ):用水路をこわすこと。(記紀)
③ 桶放(ひはなち):木で作った用水路をこわすこと。(紀)
④ 頻蒔(しきまき):他人が種を蒔いたうえに重ねて自分の種を蒔くこと。(紀)
⑤ 串刺(くしさし):他人の田に棒を立てて所有権を主張すること。あるいは、他人の田に串を刺して人を傷つけようとすること。(紀)
⑥ 生剥(いけはぎ):生きている馬の皮を剥ぐこと。(紀)
⑦ 逆剥(さかはぎ):馬の皮を逆から剥ぐこと。(記紀)
⑧ 屎戸(くそへ):神聖な場所に大小便をまき散らして汚すこと(記紀)
⑨ 許多太久の罪:その他多くの罪

以上九つのうち、スサノオは、①②⑦⑧の四つの罪を犯したことになります。では、天つ罪とは、いったいどんな罪なのでしょうか。これらの罪のうち、①~⑤は農耕に支障をきたしたり、農耕にまつわる所有権を侵害したりする振る舞いであって、農耕社会において到底見逃すことのできない罪といえるでしょう。また、それらの振る舞いは、共同体の秩序のみならず、支配者層の権力の源泉に対する看過しがたい脅威でもありました。古代史家の石母田正氏が、「大化前代における灌漑施設が、共同体または族長に所有・規制される公的財産であったとみるほかはなく、それに対する侵害が『国之大祓』の罪のなかで、性的タブーとならぶもっとも基本的な罪とされているのは当然であろう」(「古代法」『日本歴史4』)と言っているのは極めて妥当というよりほかはないでしょう。また、⑥~⑧は神聖なものを汚すことであり、祭を冒涜することです。さらには、そのことを通じて、祭祀王としての支配者すなわち天皇に対する反逆を意味する行為であると言っていいでしょう。

⑥⑦から、馬に対する支配層の強いこだわりが感じられます。そのことにちょっと触れておきましょう。

わが国に馬が渡来したのは古くても弥生時代末期ではないかといわれています。四世紀末から五世紀の初頭には乗馬の風習も伝わっていたようです。馬の用途は、主に軍事・輸送・農耕の三つですが、当初は軍事(儀礼用を含む)が中心であったようです。首長が死ぬとその愛馬を殉葬する風習もあったようですが、後になるとその代わりに土人形の馬(埴輪)を葬るようになりました。六四五年の大化の改新以降、駅馬・伝馬の制度がつくられ、公的通信手段としての馬の利用が制度化されています。六六三年、百済救援のために朝鮮半島に出兵し、新羅と唐の連合軍に大敗したこと(白村江の戦)をきっかけに馬の軍事的利用が政策課題となりました。http://www.hidaka.pref.hokkaido.lg.jp/ts/tss/umabunka/04-shiru/01-ningen-history/01-nihon-history/01-denrai-kamakura/index.htm

以上、古代における馬の歴史をざっと振り返ってみましたが、この一瞥からだけでも、古代の支配層にとって馬がいかに貴重なものであったのかが分かるでしょう。馬を愚弄することは、支配者の権威に挑戦する振る舞いであったのです。

天つ罪に触れたついでに、国つ罪にも触れておきましょう。「大祓の詞」は、国つ罪として次のものをあげています。

(1)生膚断(いきはだたち):ひとを傷つけること
(2)死膚断(しにはだたち):ひとを殺すこと。あるいは、死人を傷つけること。
(3)白人(しらひと):肌の色が白くなる病気で、いわゆるハンセン病の一種。
(4)胡久美(こくみ):背中に大きな瘤ができること(所謂せむし)
(5)己(おの)が母犯せる罪 :実母との相姦(近親相姦)
(6)己が子犯せる罪 :実子との相姦
(7)母と子と犯せる罪 :ある女と性交し、その娘とも相姦すること
(8)子と母と犯せる罪 :ある女と性交し、その母とも相姦すること
(9)畜犯せる罪 :獣姦
(10)昆虫(はうむし)の災 : 地面を這う昆虫による災難
(11)高つ神の災 :落雷による災害
(12)高つ鳥の災 :猛禽類による家屋損傷などの災難とされる
(13)畜仆し(けものたおし):家畜を呪い殺すこと
(14) 蠱物(まじもの)する罪 :ひとに呪いをかけること
(15)許多太久の罪:その他多くの罪

(1) は傷害罪、(2)は殺人罪と死体損傷に当たります。これを罪とするのは、私たち現代人の罪感覚になじみます。(3)と(4)は、病気・障害なので、私たちの罪感覚にはなじみませんが、ここが古代に特有なところです。個人の責任でどうにかなるものではないのですが、健常ではないものを、生を阻害する穢れとしてしりぞけるのです。(5)~(9)には、近親相姦・乱倫・獣姦など性的に忌避すべきものがリスト・アップされています。なお、『古事記』人代篇・仲哀天皇段に、それらが罪として掲げられています。(10)~(12)は天災であり、これらもまた、個人の力ではどうにもならないものではあるのですが、古代人にとっては、生を阻害する災いとして罪になります。(13)~(14)は呪術です。古代人が、呪術の力を大いに恐れていたことがうかがわれて、とても興味深いですね。もっとも、いまでも「人を呪わば穴ふたつ」という諺が残っていますから、その力を軽く見過ぎないほうがいいような気がしないでもないですけれど。

仏教では、五悪として殺生(せっしょう)・偸盗(ちゅうとう)・邪淫(じゃいん)・妄語(もうご)・飲酒(おんじゅ)が挙げられます。それらと国つ罪とを比べると、重なるのは、殺生と邪淫だけです。偸盗と妄語と飲酒とが、国つ罪には見当たりません。あるいは、それらは(15)の許多太久の罪に入るのかもしれませんが、明記された項目として見当たらないのは、もしかしたら特筆すべきことなのかもしれませんね。つまり、偸盗と妄語とを禁止しなくて済むほどに、古代日本は平和な社会だったのかもしれないと思うからです。

私は別に古代日本社会を美化するつもりはありません。ここでちょっとだけ個人的なお話しをします。私は、長崎県の対馬で生まれ育ちましたが、小学校の低学年の頃(一九六七年)まで、我が家は縁側を開けっ放しにして寝ていました。それは、当時の田舎ではそれほど珍しいことではなかったのではないでしょうか。泥棒などの侵入者を心配していたら、そんな無防備な振る舞いはできませんね。そういう牧歌的な記憶が残っているので、けっこうすんなりと、古代日本はとても平和な社会だったのではなかろうかと想像してしまうのですね。

話を戻しましょう。スサノオは、ウケヒの勝ちに乗じて調子に乗りすぎたあまり、天つ罪を犯し、高天原の神聖さを汚し、その秩序を乱したがゆえに、結局、贖罪の品物を科され、鬚と手足の爪とを切って祓えを科され、高天原から追放されてしまうことになります。それはしかたのないこととは一応思いはしますが、どこかしっくりきません。なぜでしょうか。

よくよく考えてみれば、そもそもスサノオは、イザナキから神やらひされて根の堅洲国に行く前に、アマテラスにお別れの挨拶をするために高天原に立ち寄っただけだったのですから、高天原からあらためて追放されるいわれは実のところまったくないのです。スサノオからすれば、スサノオの痛くない腹をさぐって馬鹿げた大騒ぎをやらかし、事を大きくしたのはアマテラスの方なのです。すべては、アマテラスの疑心が招いた災いである、といえなくもない。おまけに、ウケヒの成立要件を欠いたウケヒをすることを余儀なくされてもいるのです。さらには、「男神は、私の子ども」というアマテラスの「詔り別け」だって、どことなくあわてて横槍を入れられた感触があって、スサノオとしては、これまたすっきりとしません。読み手としてもすっきりしません。

どこがどうとは細かく言えないけれど、どうにも腹の虫が納まらない気分に陥ったスサノオの乱暴狼藉ぶりは、深い同情に値するものだと言えなくないのではないでしょうか。ウケヒに勝って喜んでいる者が、あそこまで自滅的な振る舞いに及ぶとは、私には到底考えられないのです。そういうひっかかりを、三浦佑之氏は、次のように述べることでうまく言い表しています。

日本書紀では、男が生まれたら清、女が生まれたら濁、という前提がきっちりと語られている。また、オシホミミの名が、マサカツアカツ(正に勝つ我が勝つ)という冠辞を持っているのをみても、男が生まれたら勝ちというのが自然である。とすれば、スサノヲは負けたことになり、濁心があったということになるが、もう一つ厄介なのは、子を生み終えた後の、アマテラスの「詔り別け」である。考えようによっては、アマテラスが横やりを入れてスサノヲの吹き出した男神を奪い取ってしまったとも読めるわけで、もともとは「詔り別け」はなかったのかもしれない。そうだとすれば、男神を生んだのはスサノヲということになり、スサノヲの心は清かったということになる。どうも、この神話は本来の形からねじまげられているように思えてならない。そして、そのねじ曲げは、天皇家の、アマテラスから男系への接続を語るためにこそ必要だったのではないか。
                                     (三浦佑之『口語訳 古事記〔神代篇〕』)


そのねじ曲げは、アマテラスにとっては能動的な意識です。いっぽう、スサノオにとっては受動的な無意識です。それゆえ、スサノオは我知らず乱暴狼藉を働き、アマテラスはそれを甘受し、甘受しきれなくなると、天の岩屋戸のなかに姿を隠し籠もってしまったのでした。アマテラスのその弱々しげな姿に、私は、勝利者の抜け目なき狡知を感じとってしまいます。その狡知が、あくまでも意識的なものであるのかどうか、いまの私にはちょっと見通せないところがあります。それは、アマテラスが、岩屋戸の薄暗がりで、太陽神に仕える巫女であった自らの出自をどこかで懐かしんでいるところがあるのかどうかよく分からないという言い方と重なるものです。あまり分かりやす言い方になっていないような気がしますけれど、現状では、これでいっぱいいっぱいです。
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