美津島明編集「直言の宴」

政治・経済・思想・文化全般をカヴァーした言論を展開します。

ローマ法王、ケニアを歴訪す (美津島明)

2015年11月26日 00時15分10秒 | 政治
ローマ法王、ケニアを歴訪す (美津島明)



今日のBBCワールド・ニュースをぼんやりと観ていての感想。

今日のBBCワールド・ニュースは、ローマ・カトリック教会のフランシスコ法王がアフリカのケニアを訪れたことを、繰り返し報道している。法王は、ケニアに向かう飛行機のなかで、記者たちのインタヴューに答えて「宗教的和解を伝えるつもり。しかし、すべては謎」という意味のことを言っているそうである。いまのところ、マスコミを煙に巻くよりほかはないだろう。

ケニアといえば、イスラム過激派組織「アッシャバーブ」がキリスト教徒を狙った大規模なテロを繰り返している国である。よほどの覚悟があっての同地訪問なのであろう。ほかに、ウガンダと中央アフリカを歴訪するとの由。いずれも、とても安全とは言えない国ばかりである。

二週間前のフランス・パリでのISILによる同時多発テロを受けての歴訪であることは、だれにでも分かる。それに対するメッセージを、わが身への危険の及び難いバチカンからではなくて、厳重な警戒態勢を敷かざるをえないほどに危険なケニアから発信しようとする法王の胸の内は、キリスト教徒ならざる私にも、いかほどかは、察することができるような気がする。

法王は、豊かな「勝ち組」である欧米社会の唱える反テロの「連帯」なるものはあまり意味がない、と思っているのではなかろうか。さらには、豊かな「勝ち組」である欧米社会の「自由」こそが、イスラム社会を追いつめ、イスラム原理主義という同社会のエイリアンをその体内ではぐくみ、この世に送りだしてしまい、豊かな「勝ち組」である欧米社会に、いま牙を剥いているのだ、という思いがあるのではないだろうか。そのことに対する反省のまったくない、欧米社会の反テロ運動など、犬も喰わぬ、という言葉さえも、法王は胸の内にしまっているのではないか。

どうも、そういうことであるような気がするのである。安全圏から、キリスト教とイスラム教の和解を唱えてみたところで、それは、なんの意味もない。キリスト教徒が力なき少数派である地において、多少なりとも力のある言葉を発することで、もしもわが身が滅びるのなら、それは神の意思なのだから、自分は、それを喜んで受け入れる。

法王は、問わず語りにそう言っているように、私には感じられるのである。

とすればこれは、大変なニュースである。西側諸国のただなかから、西側諸国を一方的被害者として美化することの愚を指弾する声を、あのローマ法王が発した、という大変な事件なのだ。

これをきちんと報じようとしない日本のマスコミの国際感覚はどうかしている、と私は感じる。

シチリア・マフィアとの腐れ縁が取り沙汰されるバチカンを美化する気など毛頭ない。しかし、法王の心意気だけは買わねばならないと思うのである。その身の安全を心から祈る。
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