美津島明編集「直言の宴」

政治・経済・思想・文化全般をカヴァーした言論を展開します。

MMTの変わり種・モスラーの『経済政策をめぐる7つの嘘っぱち』を訳してみました(その2)

2019年06月19日 17時17分29秒 | 経済


*テキサス大学オースティン校教授のジェームズ・K・ガルブレイスによる序文の続きです。

財政赤字と国債、財政赤字と民間部門の貯蓄、貯蓄と投資、社会保障、貿易赤字といった諸テーマをつなぐ共通の導きの糸それ自体は、実にシンプルです。

それは、「現代貨幣は、spreadsheetすなわち表計算ソフトウェアである」という命題です。

政府が支出を増やしたり市場から借り入れをしたりするとき、政府は、市中銀行の諸口座の数字を増やすだけなのです。課税するときは、同じ口座の数字を減らすだけです。政府が民間から借り入れをするとき、政府は資金を準備金口座と呼ばれる普通預金から有価証券勘定と呼ばれる貯蓄に移しかえるだけなのです。実際的な諸目的のためになすべきことは、ただそれだけなのです。政府の支出に財源などないのです。そのために生じる犠牲などまったくない。

それゆえ、政府が財政的に行き詰まるなどということはありえなのです。

お金は、政府の支出かもしくは銀行の貸付(借り手にとっては預金)によって作り出されるものです。税金は、私たちにそのお金を欲しがらせるのに役立ちます。私たちは、税金を支払うためにそのお金を必要とする、ということです。課税は、社会的な全支出を調整するのに役立ちます。私たちが、出回っている価格でのそれ以上の出費を抑制するのに、言い換えれば、物価をつり上げる要因すなわちインフレ要因を調整するのに、課税は役立つのです。

しかし、社会的な支出、つまり、消費と投資を促進すべき局面において、課税は必要ではありません。というより、そうしようと思ってもできないでしょう。というのは、政府が支出するより前に課税のためのお金などまったくないから。

*ガルブレイス先生、短い文章なのに、ずいぶんと中身の濃いそうして本質的なことを述べていらっしゃいますね。当方としては、お腹一杯になりましたので、続きは次回に。
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MMTの変わり種・モスラーの『経済政策をめぐる7つの嘘っぱち』を訳してみました(その1)

2019年06月19日 00時05分37秒 | 経済


藤井聡氏が立ち上げた、ステファニー・ケルトン教授日本招聘プロジェクトへの寄付の額がとんでもないことになっていますね。当初の目標額が700万円だったのに対して、当月14日からわずか四日間で2300万円を突破しました。緊縮財政の跋扈を憂え、財務省のデマに腹を据えかねた方々の危機感と閉塞状況打破への熱い思いがひとかたならぬものであることを物語っています。一口100万円のスペシャルサポーターと一口1万円の個人サポーターの受付は終了していますが、一口3000円の個人サポーターはまだ受付ています。「自分も打倒緊縮財政の具体的な意思表示をしたい」とお思いの方、よろしかったら、以下のURLにどうぞ。
https://in.38news.jp/38KELTON_Project_fn
ちなみに当方は、一万円を振りこみました。ものぐさな性格にしては、めずらしいことです。

それはそれとして、正直なところ、当方はMMTの原書に当たったことが一度もありません。中野剛志氏や三橋貴明氏の紹介・解説を読んだことがあるだけです。むろん、彼らには感謝しています。しかし、英語がまったく読めないわけでもないし、いわゆる正統派経済学が問題だらけの困った代物であることも自分なりにけっこう理解しているつもりではあるので、原典にあたる労を惜しむのは、いわゆる怠慢と言ってもいいかと思われます。

そんなわけで、MMTの原典を読んでみようと思い立ったのです。

で、何にしようかと思案していたところ、ウォーレン・モスラ―(Warren Mosler)の存在が偶然目に留まりました。彼はいわゆる学者さんではなくて、金融市場の実務家です。そこが気に入ったのですね、当方としては。PCであれこれと調べていたら、『SEVEN DEADLY INNOCENT FRAUDS OF ECONOMIC POLICY』という彼の主著がアップされていることが判明しました。それをプリントアウトして、少しつ和訳してみよう、と。ほかにも和訳の試みがあるようですが、それはそれ、自分なりに原書読みにチャレンジして、得るところも少なからずあるでしょう。

ちなみに、どうやら世間ではウォーレン・モズラ―という呼び名が流通しているようですが、私は、「モスラ―」を採ります。「モスラ―」は、「モスラ」に通じます。あの、日本が窮地に陥ったときに、ザ・ピーナッツの祈りによって深い眠りから目覚め、命がけで私たちを救いに来てくれる「モスラ」に。そんな験担ぎをしたくなるくらいには、当方なりに危機感があることは正直に認めましょう。願わくは、当方のささやかな試みが、救国の祈りを捧げるザ・ピーナッツの後塵を拝する類のものでありますように。

和訳の方針は、著者が言わんとしていることをなるべく適切な日本語でズバリ訳す、です。

では、始めます。

***

『経済政策をめぐる、とんでもない無知による7つの嘘っぱち』 (ウォーレン・モスラ―)

〔目次〕
・序文
・プロローグ
・概要
・パートⅠ ひどい無知による、7つの嘘っぱち
 嘘っぱち1
 嘘っぱち2
 嘘っぱち3
 嘘っぱち4
 嘘っぱち5
 嘘っぱち6
 嘘っぱち7
・パートⅡ
・パートⅢ

〔序文〕
*当序文は、テキサス大学オースティン校教授のジェームズ・K・ガルブレイスの推薦文です。ジェームズ・K・ガルブレイスは、あの偉大な経済学者ジョン・K・ガルブレイスのご子息です。ジェームズ自身、著名な経済学者です。血は争えないものですね。
 

ウォーレン・モスラーは、さながら、稀有な鳥のような存在です。彼は、独学の経済学者ではありますが、決して奇人変人の類ではありません。成功した投資家ではありますが、決して大ぼら吹きではありません。教師の資質を備えた実業家であり、公益に対して真の責任感を有する財政家でもあります。

私たちは、共著を出版したり、いっしょに時局的な記事を書いたりしてきましたが、彼の貢献度が私の貢献度を上回っていることは、はっきりと断言できます。

多くの経済学者は、複雑な議論が複雑であるがゆえに価値がある、としています。現代経済学のどの専門誌を読んでも、そう思います。実のところ、どうしようもなく理解不能な議論こそが大いに名声をもたらしうるのです!しかしながら問題は、議論が理解不能になったとき、議論の当事者も同様にしばしば理解不能に陥っているということです。私は冗談を言っているのではありません(*この一文は、当方が付け加えたものです)。フィンランドのヘルシンキで、ヨーロッパ中央銀行の重鎮たちや国際的な貨幣論の経済学者たちが出席した会議が催されたとき、あるレポートの1ページが読み終えられた後、私は、スウェーデンのある著名な経済学者に、「一体どれくらいの人たちが、あなたの高等数学の議論についてこられているとお考えですか」と尋ねたところ、彼は言下に「誰もついて来られていません。下手をすると自分さえも」と答えました。

ウォーレンが著した本書は、実に明快です。彼は、物事はできうる限り簡潔に考え抜かれるべき
だと考えています。彼はそのような流儀でたくさんの作品を著してきました(真の意味での簡潔さは、実はとても難しいのですが)。彼は、親しみを覚えるようなたとえや卑近な例を好みます。あなたは、彼が言っていることをほとんどの子どもたちに説明することができるでしょう(少なくとも、私は自分の子どもにそうできます)。同じく、大学生や金融市場で働いている人々にも説明することができるでしょう。ただし、固定観念に縛られた経済学者さんだけは、その限りではありません。もちろん、政治家たちも理解する場合がけっこうあるけれど、彼らが彼ら自身の思いを率直に語ることはまれです。

さて、この小冊子において、ウォーレン・モスラ―は、7つの論点に即して彼の論を展開しています。それは、財政赤字と国債に関わり、財政赤字と民間部門の貯蓄に関わり、貯蓄と投資に関わり、社会保障に関わり、貿易赤字に関わっています。ウォーレンは、それらを「とんでもない無知による7つの嘘っぱち」と呼んでいます。このフレーズは、私の父の最後の著作のタイトルとして使われたものからひっぱってきたものです。父は、このことをあの世で喜んでくれていることでしょう。

*序文だけでも、けっこう長いのですねぇ。その後半は、次回に回します。ご了承ください。
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