ケインズ、ルーズベルト大統領に物申す
ケインズは、一九三三年十二月に、第32代米国大統領フランクリン・ルーズベルトに公開書簡を出しています。同政権発足から約一年後のことです(ちなみに、第26代大統領セオドア・ルーズベルトは従兄(12親等)に当たります)。
ルーズベルト大統領といえば、大規模公共事業を柱とするニューディール(新規巻き直し)政策でデフレ不況から果敢に脱しようとした、いわゆるケインズ政策を実施した人物、というイメージが残っています。しかし、同書簡を読むと、同政権の発足後の歩みは、それほど平坦なものではなかったようです。
まずケインズは、同政権が力を注いできたNIRA(National Industrial Recovery Act:全国産業復興法)を槍玉にあげます。同法律は、企業の生産を規制して、企業に適正な利潤を確保させ、一方、労働者には団結権や団体交渉権を認め、最低賃金を確保させ、生産力や購買力の向上を目指そうとした、今日から見れば、リベラル左派色の強い政策で、同政権は、ニューディール政策の柱としていました。ケインズは、同法律について「本質的には『改革(reform)』であって、おそらく『回復(recovery)』を遅らせるNIRAが、誤って『回復』の手段であるとみなされて、拙速に進められている」という印象を持っていることを率直に語っています。
これを今日の状況に敷き移せば、規制緩和や既得権の打破を柱とする構造「改革」や行財政「改革」を推進することによって、デフレ不況からの「回復」を実現しようとすることの根本的な誤りを指摘していると読みかえることができるでしょう。
ケインズによれば、NIRAの思想は、「意図的な主要経費の引き上げ(最低賃金の確保など)や生産制限を原因とする物価上昇」を惹起することで労働者を経済的窮状から救い出そうとするものです。しかしそれは、手段と目的を取り違えた政策であって、あくまでも、国民総生産を増加させ雇用を拡大するために、総購買力を増加させ、生産を刺激した結果として、物価上昇が起こるのが正しい筋道である、とケインズは力説します。今日的な言葉遣いをすれば、デフレ不況から脱却するうえで、デマンド・プル・インフレ(有効需要牽引型の物価上昇)は望ましいけれど、コスト・プッシュ・インフレ(コスト上昇による物価の押し上げ)は望ましくない、と言っていることになります。その点、今日の日本経済における、誤ったエネルギー政策に起因する貿易赤字の増大と円安による物価上昇は、きわめてまずい事態であるといえるのではないでしょうか。日本経済は、いまだにデフレから脱却し切っていないのですからね(中小企業のみなさん、給料は全然上がっていませんよね)。ここは、原発の適正な再稼働によるエネルギー政策の正常化によって、貿易赤字を縮小することが望まれるところでしょう。
以上をふまえてケインズは、「『回復』の初期段階における主要なおける主要な原動力として、租税を通じての既存所得からの単なる移転ではない、公債によって資金調達された政府支出の購買力の圧倒的な力を、私は強調したい。実際、政府支出に比肩しうるような手段は存在しないのである」とデフレ不況からの脱却の処方箋を提示します。
ここでケインズが言っていることに耳を傾けると、デフレ不況下で子ども手当を実施しようとした(その本質は単なる所得移転にほかなりません)民主党政権の救いがたい経済音痴ぶりがあらためて思い出されます。また、安倍政権がしきりに経団連などに賃金アップを要請しているのが、実は虚しい所業にほかならないことも痛感します。もう終わってしまったことですが、安倍総理が消費増税などという馬鹿げた政策を意思決定しなければ、そんな要請をしなくても自ずとそういうことになったのではないかと、私は思っています。四月以降の「経済の崖」がどれほど深甚な悪影響を日本経済に与えるのか、いまのところだれにも分かりません。
話を戻しましょう。ケインズは、金融・財政政策に関して、次のような含蓄のある言い方をしています。
不況期には、政府の公債支出が物価上昇と生産増加をすばやく実現する唯一確実な方法であり、戦争が常に産業活動を力強く促進してきたことが、その証である。過去、正統派の財政論は、戦争を、政府支出による雇用創出の唯一正当な口実とみなしてきた。そのような束縛がない大統領には、これまで戦争と破壊という目的にのみ貢献してきた手段を、平和と繁栄のために用いる自由がある。
第一次世界大戦を経て、世界の覇権は、イギリスからアメリカに移りました。そのことをふまえて、ケインズはルーズベルトに対して、「今後の世界に平和と繁栄がもたらされるかどうかは、覇権国家のリーダーであるあなたが、適切なデフレ不況脱却政策を実行できるかどうかにかかっている。それが実行できなければ、世界は、戦争という解決策を否応なく採るに至りかねないのだ」と直言しているのです。いまの言葉に直すならば、デフレ不況から脱却するためには、緊縮財政の呪縛から脱して、果敢な積極財政と大胆な金融緩和によるほかないし、覇権国家アメリカが、そういう適切なデフレ対策を実行することによる世界経済に与えるプラスの効果には、計り知れないものがある、とケインズは言っているのです。彼には、その後の世界の行方がおおむね見えていたような気がしてなりません。
ケインズは、「世界恐慌と脱却の方途」という1932年の五月に発表した論考で次のように言っています。
各国が自らの相対的な立場を改善しようとする努力が、他の隣国の繁栄を妨げる手段となる。そうした行動によって利益を得る以上に、隣国の同様の行動によって損害を被ることは、この例に留まらない(「この例」とは、貿易収支の黒字をやみくもに増やそうとする試みが、他国の雇用や有効需要を奪い取ることを指している――引用者注)。実際、今日、人気があり、支持されているすべての救済策は、この共倒れの特徴を有している。賃金切り下げ競争、関税競争、競争的な外国資産の流動化(「流動化」とは現金に変えること――引用者注)、通貨の切り下げ競争、競争的な節約キャンペーン、そして新しい資本開発の競争的な縮小――これらはすべて近隣窮乏化の方策である。
ここには、個別的な善が決してそのまま全体の善につながらないとする「合成の誤謬」を指摘するケインズの鋭い眼差しがあります。「各国が自らの相対的な立場を改善しようとする努力が、他の隣国の繁栄を妨げる」ことによって、世界経済全体の有効需要を縮小させ、それが逆に自国経済にはねかえってくる事態を指摘しているのです。ケインズは、ルーズベルトが正しいデフレ脱却策を実行するのを促すことによって、アメリカに世界経済の牽引役を期待し、世界各国が、近隣窮乏化という愚策に陥らないように歯止めをかけようとしたのでしょう。
公開書簡に戻りましょう。ケインズは、通貨政策や為替政策について次のように言っています。
一国の通貨および為替政策は、適正水準に生産や雇用を回復させる、という目的に完全に従うべきである。
このごく短い提言は、今日においても十分に有効であると思われます。というのは、1985年のプラザ合意以来の政府・日銀は、円高・ドル安を事実上放置し続けることによって、輸出産業を窮地に陥れ、自国工場の海外流出を野放しにすることで、自国民の雇用の機会を奪い有効需要の減退を招いてきたからです。一昨年末以来のいわゆる「異次元緩和」によって、やっとその傾向に一定の歯止めがかかった、というのが実情ですね。間違った金融政策は、一国の経済を滅ぼすに至るほどの怖しいものであることを、私たちは、上記のケインズの金言とともに、肝に銘じたいものです。
最後にケインズは、望ましい政策とは何かについて、ルーズベルトに対して率直に語っています。
国内政策の分野では、私がこれまで述べてきた理由から、政府主導による大規模な公債支出を強く求める。どのようなプロジェクトを選ぶべきかは、私の領分を超えている。しかし、大規模でかつ短期間で着手できるプロジェクト――たとえば鉄道網の整備や復興などが優先されるべきである。
言いかえればケインズは、国富を増大させ一般国民の所得向上に資するような公共事業の大胆な実施を提言しているのです。デフレ不況下において、「個人」が進んで支出を増やす誘引は生じにくいし、「産業界」では、将来への確信が高まって投資を増やす誘引が生じにくいので、「政府」が、借り入れやお金の増発による支出を通じて追加的な新たな所得を生み出すことで、いわゆる「乗数効果」が生じるような起爆剤の役割を果たすほかはないのです。ここで「乗数」とは、〈新たな追加的な所得(投下資本)×「乗数」=国民所得の増加分の合計〉という式で表されます(むろんかなり単純化しています)。例えば、1兆円の公共事業を実施することで、めぐりめぐってGDPが2兆円増えたら、乗数は2ということになります(現内閣府は、乗数を1.1としていますが、それはIMFモデルを基にした、ケインズ政策に対して不当に否定的な、きわめて怪しい数字です)。
第二に私は、低利で潤沢な信用供給の維持、とくに長期金利の引き下げを求める。
ケインズは、デフレ脱却のために、産業界が新たな投資に乗り出す誘引を生み出す上での長期金利の引き下げの重要性を強調するだけではなくて、一般に、長期金利は低く押さえられるべきである、と考えていました。資本主義社会が自らの潜在的な豊かさ(莫大な生産力)を現実のものとし、一般国民が豊かさをおおらかに享受するうえで、企業家の「アニマル・スピリット」が十分に発揮されることがとても大事だと考えてのことでしょう。ケインズは、古典派経済学者のように、金利が自ずからなる均衡点を見出すなどとはあまり信じていなかったようです。
典拠『デフレ不況をいかに克服するか ケインズ1930年代評論集』(文春学藝ライブラリー・松川周二氏編訳)
ケインズは、一九三三年十二月に、第32代米国大統領フランクリン・ルーズベルトに公開書簡を出しています。同政権発足から約一年後のことです(ちなみに、第26代大統領セオドア・ルーズベルトは従兄(12親等)に当たります)。
ルーズベルト大統領といえば、大規模公共事業を柱とするニューディール(新規巻き直し)政策でデフレ不況から果敢に脱しようとした、いわゆるケインズ政策を実施した人物、というイメージが残っています。しかし、同書簡を読むと、同政権の発足後の歩みは、それほど平坦なものではなかったようです。
まずケインズは、同政権が力を注いできたNIRA(National Industrial Recovery Act:全国産業復興法)を槍玉にあげます。同法律は、企業の生産を規制して、企業に適正な利潤を確保させ、一方、労働者には団結権や団体交渉権を認め、最低賃金を確保させ、生産力や購買力の向上を目指そうとした、今日から見れば、リベラル左派色の強い政策で、同政権は、ニューディール政策の柱としていました。ケインズは、同法律について「本質的には『改革(reform)』であって、おそらく『回復(recovery)』を遅らせるNIRAが、誤って『回復』の手段であるとみなされて、拙速に進められている」という印象を持っていることを率直に語っています。
これを今日の状況に敷き移せば、規制緩和や既得権の打破を柱とする構造「改革」や行財政「改革」を推進することによって、デフレ不況からの「回復」を実現しようとすることの根本的な誤りを指摘していると読みかえることができるでしょう。
ケインズによれば、NIRAの思想は、「意図的な主要経費の引き上げ(最低賃金の確保など)や生産制限を原因とする物価上昇」を惹起することで労働者を経済的窮状から救い出そうとするものです。しかしそれは、手段と目的を取り違えた政策であって、あくまでも、国民総生産を増加させ雇用を拡大するために、総購買力を増加させ、生産を刺激した結果として、物価上昇が起こるのが正しい筋道である、とケインズは力説します。今日的な言葉遣いをすれば、デフレ不況から脱却するうえで、デマンド・プル・インフレ(有効需要牽引型の物価上昇)は望ましいけれど、コスト・プッシュ・インフレ(コスト上昇による物価の押し上げ)は望ましくない、と言っていることになります。その点、今日の日本経済における、誤ったエネルギー政策に起因する貿易赤字の増大と円安による物価上昇は、きわめてまずい事態であるといえるのではないでしょうか。日本経済は、いまだにデフレから脱却し切っていないのですからね(中小企業のみなさん、給料は全然上がっていませんよね)。ここは、原発の適正な再稼働によるエネルギー政策の正常化によって、貿易赤字を縮小することが望まれるところでしょう。
以上をふまえてケインズは、「『回復』の初期段階における主要なおける主要な原動力として、租税を通じての既存所得からの単なる移転ではない、公債によって資金調達された政府支出の購買力の圧倒的な力を、私は強調したい。実際、政府支出に比肩しうるような手段は存在しないのである」とデフレ不況からの脱却の処方箋を提示します。
ここでケインズが言っていることに耳を傾けると、デフレ不況下で子ども手当を実施しようとした(その本質は単なる所得移転にほかなりません)民主党政権の救いがたい経済音痴ぶりがあらためて思い出されます。また、安倍政権がしきりに経団連などに賃金アップを要請しているのが、実は虚しい所業にほかならないことも痛感します。もう終わってしまったことですが、安倍総理が消費増税などという馬鹿げた政策を意思決定しなければ、そんな要請をしなくても自ずとそういうことになったのではないかと、私は思っています。四月以降の「経済の崖」がどれほど深甚な悪影響を日本経済に与えるのか、いまのところだれにも分かりません。
話を戻しましょう。ケインズは、金融・財政政策に関して、次のような含蓄のある言い方をしています。
不況期には、政府の公債支出が物価上昇と生産増加をすばやく実現する唯一確実な方法であり、戦争が常に産業活動を力強く促進してきたことが、その証である。過去、正統派の財政論は、戦争を、政府支出による雇用創出の唯一正当な口実とみなしてきた。そのような束縛がない大統領には、これまで戦争と破壊という目的にのみ貢献してきた手段を、平和と繁栄のために用いる自由がある。
第一次世界大戦を経て、世界の覇権は、イギリスからアメリカに移りました。そのことをふまえて、ケインズはルーズベルトに対して、「今後の世界に平和と繁栄がもたらされるかどうかは、覇権国家のリーダーであるあなたが、適切なデフレ不況脱却政策を実行できるかどうかにかかっている。それが実行できなければ、世界は、戦争という解決策を否応なく採るに至りかねないのだ」と直言しているのです。いまの言葉に直すならば、デフレ不況から脱却するためには、緊縮財政の呪縛から脱して、果敢な積極財政と大胆な金融緩和によるほかないし、覇権国家アメリカが、そういう適切なデフレ対策を実行することによる世界経済に与えるプラスの効果には、計り知れないものがある、とケインズは言っているのです。彼には、その後の世界の行方がおおむね見えていたような気がしてなりません。
ケインズは、「世界恐慌と脱却の方途」という1932年の五月に発表した論考で次のように言っています。
各国が自らの相対的な立場を改善しようとする努力が、他の隣国の繁栄を妨げる手段となる。そうした行動によって利益を得る以上に、隣国の同様の行動によって損害を被ることは、この例に留まらない(「この例」とは、貿易収支の黒字をやみくもに増やそうとする試みが、他国の雇用や有効需要を奪い取ることを指している――引用者注)。実際、今日、人気があり、支持されているすべての救済策は、この共倒れの特徴を有している。賃金切り下げ競争、関税競争、競争的な外国資産の流動化(「流動化」とは現金に変えること――引用者注)、通貨の切り下げ競争、競争的な節約キャンペーン、そして新しい資本開発の競争的な縮小――これらはすべて近隣窮乏化の方策である。
ここには、個別的な善が決してそのまま全体の善につながらないとする「合成の誤謬」を指摘するケインズの鋭い眼差しがあります。「各国が自らの相対的な立場を改善しようとする努力が、他の隣国の繁栄を妨げる」ことによって、世界経済全体の有効需要を縮小させ、それが逆に自国経済にはねかえってくる事態を指摘しているのです。ケインズは、ルーズベルトが正しいデフレ脱却策を実行するのを促すことによって、アメリカに世界経済の牽引役を期待し、世界各国が、近隣窮乏化という愚策に陥らないように歯止めをかけようとしたのでしょう。
公開書簡に戻りましょう。ケインズは、通貨政策や為替政策について次のように言っています。
一国の通貨および為替政策は、適正水準に生産や雇用を回復させる、という目的に完全に従うべきである。
このごく短い提言は、今日においても十分に有効であると思われます。というのは、1985年のプラザ合意以来の政府・日銀は、円高・ドル安を事実上放置し続けることによって、輸出産業を窮地に陥れ、自国工場の海外流出を野放しにすることで、自国民の雇用の機会を奪い有効需要の減退を招いてきたからです。一昨年末以来のいわゆる「異次元緩和」によって、やっとその傾向に一定の歯止めがかかった、というのが実情ですね。間違った金融政策は、一国の経済を滅ぼすに至るほどの怖しいものであることを、私たちは、上記のケインズの金言とともに、肝に銘じたいものです。
最後にケインズは、望ましい政策とは何かについて、ルーズベルトに対して率直に語っています。
国内政策の分野では、私がこれまで述べてきた理由から、政府主導による大規模な公債支出を強く求める。どのようなプロジェクトを選ぶべきかは、私の領分を超えている。しかし、大規模でかつ短期間で着手できるプロジェクト――たとえば鉄道網の整備や復興などが優先されるべきである。
言いかえればケインズは、国富を増大させ一般国民の所得向上に資するような公共事業の大胆な実施を提言しているのです。デフレ不況下において、「個人」が進んで支出を増やす誘引は生じにくいし、「産業界」では、将来への確信が高まって投資を増やす誘引が生じにくいので、「政府」が、借り入れやお金の増発による支出を通じて追加的な新たな所得を生み出すことで、いわゆる「乗数効果」が生じるような起爆剤の役割を果たすほかはないのです。ここで「乗数」とは、〈新たな追加的な所得(投下資本)×「乗数」=国民所得の増加分の合計〉という式で表されます(むろんかなり単純化しています)。例えば、1兆円の公共事業を実施することで、めぐりめぐってGDPが2兆円増えたら、乗数は2ということになります(現内閣府は、乗数を1.1としていますが、それはIMFモデルを基にした、ケインズ政策に対して不当に否定的な、きわめて怪しい数字です)。
第二に私は、低利で潤沢な信用供給の維持、とくに長期金利の引き下げを求める。
ケインズは、デフレ脱却のために、産業界が新たな投資に乗り出す誘引を生み出す上での長期金利の引き下げの重要性を強調するだけではなくて、一般に、長期金利は低く押さえられるべきである、と考えていました。資本主義社会が自らの潜在的な豊かさ(莫大な生産力)を現実のものとし、一般国民が豊かさをおおらかに享受するうえで、企業家の「アニマル・スピリット」が十分に発揮されることがとても大事だと考えてのことでしょう。ケインズは、古典派経済学者のように、金利が自ずからなる均衡点を見出すなどとはあまり信じていなかったようです。
典拠『デフレ不況をいかに克服するか ケインズ1930年代評論集』(文春学藝ライブラリー・松川周二氏編訳)
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