美津島明編集「直言の宴」

政治・経済・思想・文化全般をカヴァーした言論を展開します。

 『にゃおんのきょうふ』「一の巻」完全版  (イザ!ブログ 2013・12・6 掲載)

2013年12月28日 01時23分00秒 | 文化
『にゃおんのきょうふ』「一の巻」完全版

私は、二〇〇九年に『にゃおんのきょうふ』という拙著を上梓しました。実は編集者の判断で、「一の巻」の、いわゆるプログレッシヴ・ロックの趣味的なお話の部分が大幅に削除されました。一般人はそこに興味を持たないだろうという理由で、です。そのときは、それもやむをえないかと思ったのではありましたが、読書会で本書をテキストとして取り上げていただいたとき、「著者のプログレに対する思い入れがあまり伝わってこない」という感想を複数いただきました。そのとき、はじめてそのことを後悔したのでした。

その未生怨を成仏させるために、削除された部分を補った「完全版」を、以下に一般公開いたします。ご笑納いただければ幸いです。なお、you tube からの引用が出版当時になかったことをお断りしておきます。

*****

『にゃおんのきょうふ』―――体験的八〇年代思想論
一の巻 プログレ世代の憂鬱
             ――八〇年代前史



プログレとは
六十年代末から七十年代の半ばにかけて、「プログレ」というロックの一ジャンルが、わが世の春を謳歌した。私を含めた当時の若者たちの圧倒的な支持を得たのだ。とはいうものの、そのことを知っているのは、その時期に若者であった人々に限られると思われる。そこで、まず「プログレ」とは何なのか、かいつまんで説明しよう。

「プログレ」は、プログレッシヴ・ロックの略称で、プログレッシヴは、「進歩的な」という、森一郎の『試験に出る英単語』(浪人生のときにお世話になりました)のprogressiveのところで最初に出てくるくらいに、ありきたりな意味である。つまり、「プログレ」を直訳すれば、「進歩的なロック」ということになる。

「プログレ」 という言葉を目にして、即座に、イエス、ELP、キング・クリムゾンそしてピンク・フロイドというバンド名が条件反射的に出てくるならば、あなたはたぶん私と同年代だ。

また、ムーディ・ブルース、PFM、ジェネシス、マイク・オールドフィールドという名前が出てくるならば、あなたは当時かなりのプログレ・マニアだっただろう。

さらには、ソフト・マシーン、ジェスロ・タル、キャメルそしてU.K.の名が出てくるならば、あなたはおそらく当時プログレ・オタクの域にまで達していたはずだ。

また、それらのバンド名は出てこないけれど、グラム・ロックというロックのジャンル名なら分かっている。その言葉を目にしたならば、Tレックス、デビット・ボウィの名くらいは出てくる。そういえばストゥージーズだって知ってるぞ、と思い出してついノスタルジーに浸ってしまうあなた。そういうあなたなら、やはり間違いなく私と同年代だ。

ちなみに、私は今ちょうど(何がちょうどだ)四十代半ば。人生の悩みの大半が、いわゆる「経済問題」 に根ざしていることにいまさらながら気づきつつある、ちょっとズレた中年男である。

プログレ・ミュージックは、いわゆるロックにクラシックやジャズや民族音楽の要素を大胆に取り入れた。また、当時としては物珍しかったメロトロンやムーヴ・シンセサイザーといった電子楽器の斬新な音色を前面に押し出した。当時の言葉使いに習うなら、プログレは、それらを「フィーチャー」したのだ。リズム面では、変拍子の多用が特徴的だった。また、やたらと一曲の持ち時間が長かった。アルバムによっては、LP(CDではありませんよ)のA面B面で一曲なんてのもあったくらいだ。そこまでいかなくても、クラシックの交響曲風に組曲仕立てをしているアルバムが多かった。大曲志向が強かった、ということである。

さらには、ジャケットがやたらと凝っていて、幻想的な細密画のタッチが主流だったこともつけ加えるべきだろう。ロジャー・ディーン、マーカス・キーフそしてヒプノシスなどという、懐かしいジャケット・アーティストの名前が浮かんでくる。彼らの作ったアルバム・ジャケットが、プログレのコズミック(宇宙的)なロマンティシズムを大いに盛り上げてくれたという印象が残っている。

その手法やアウトプットされるサウンド(といわなければならないのだ、当時の語法としては)に衝撃を受けた当時の音楽評論家たちが、彼らの音楽を「プログレッシヴ」と形容したのだろう。後に、先にあげたビッグ4(イエス、ELP、キング・クリムゾンそしてピンク・フロイド)のいわゆる「マネッコバンド」が雲霞のごとく結成され、プログレが一定の様式をなぞり始めマンネリズムに陥ると、その形容はプログレに対する揶揄の格好の材料になったのだけれど。つまり、もはや「保守的」なのに「進歩的」という形容(動)詞をいまだに冠し続けている、という形容矛盾をからかわれたのである。

いずれにしても、右にのべたようなアプローチによって、プログレは、ロックをアートにし文学にした、と言ってもよいのではないかと思われる。


何故プログレなのか
『体験的八〇年代思想論』とサブタイトルをつけた本書を、「プログレばなし」 から始めるのには、それなりのワケがある。

六十年代末から七十年代の半ばといえば、私の場合、小学校高学年から高校卒業までにあたる。思えば、柔らかい感受性を外に向かって剥き出しにして生きていたころである。恐ろしく内向きであることと、外に対して無防備であることとが妙な具合に「共存」していたのである。多かれ少なかれ、思春期の子どもはそんなものではないかと思うのではあるが。

そんな感受性「全開」 の時期に、私(たち)は、プログレ全盛期を迎えている。そして、好きこのんでプログレ・サウンドのシャワーを全身にたっぷりと心ゆくまで浴びたのだった。

たとえば、私は、イエスのヴォーカリストのジョン・アンダーソンが、キング・クリムゾンのサードアルバム『リザード』 のB面でリリカルに美的思い入れたっぷりに歌っていることをまるで世紀の大発見でもしたかのように狂喜乱舞して友人にふれまわったりした。これは、中学三年生のときのことだった。


King Crimson - Lizard I (Lizard)


また、ELPのセカンドアルバム『タルカス』のA面を占める二十分の組曲「タルカス」のキーボード・パートを友人が口真似で、ドラムパートを私が指で机を叩いて、放課後えんえんとやりつづけたりした。私たち二人に対するクラスの女の子たちの冷ややかな視線の記憶がかすかに残っている(そりゃあ、そうだよな)。これは、高校一年生のときのことだった。

Tarkus - Emerson, Lake & Palmer [1971] (HD)


あるいは、「ピンク・フロイドの『炎』の原題は「Wish you were here」 で、要するに「あなたがここにいてほしい」という意味なのだが、ここでの「あなた」とは、バンド結成時のリーダーのシド・バレットのことで、かれは今、統合失調症患者として余生を過ごしている、という友人のプログレ薀蓄話をこの世の真理をかいまみるような思いを抱きながら神妙に聴き入っていた。これは、高校二年生のときのことだった。

Pink Floyd - Wish you were here - Remastered [1080p] - with lyrics


そして、これは毎度のことなのだが、ステレオのヴォリュームが大きすぎるということでよく親父に怒鳴られた。だったらヘッドホーンで聴けばよさそうなものなのに、それでは物足りなくて、音は小さくても全身で聴くほうがよかった。で、少しずつヴォリュームを上げて、どうかなぁという限度のところに差し掛かると、やはり親父に怒鳴られた。

多感な時期におけるそんな愚行の繰り返しが、感受性の質に決定的な影響を及ぼさないはずがないと思うのである。そして、それは私の個人的な経験にとどまらないという思いがある。さらに、その、「私の個人的な経験にとどまらない」ものが、実は、八十年代の底を流れるものの少なくとも一つを成したのではないかと思われるのである。むろん、それが大げさなもの言いであることは百も承知だ。

あっさりと認めるのだが、プログレ派は、同世代の中で少数派なのである。中学時代、圧倒的に人気があったのは矢沢永吉率いるキャロルである。また、そのころはアイドル歌手の全盛期で、森昌子、桜田淳子そして山口百恵のいわゆる「花の中三トリオ」が大人気だった。彼女たちは、私(たち)と同い年である。その中で山口百恵は徐々に進化し別格の存在になっていき、ついには「菩薩」と崇められるところにまで到達した(「菩薩」を嫁にした三浦友和は、どこかしら聖徳太子の風格を備えることになった)。

また、高校時代圧倒的に人気があったのは、井上陽水である。あるいは、吉田拓郎である。そして、これはその後判明したのだけれど、本音のところでは岩崎宏美のファンだった者が大勢いた。あの扇情的な声がしっかりと私(たち)の股間と心をつかまえていたのだ。洋楽(と、いまでもいうのだろうか)では、ポール・マッカートニーであり、オリビア・ニュートンジョンであり、サンタナだったのだ。

彼らに熱中したわが同世代の大半は、自分たちがプログレ世代として一くくりにされることに違和感を覚えることだろう。「プログレはまあ聞いたことはあるしそれなりに懐かしいけど、世代という言い方をするなら、われわれは陽水世代でしょう、実際のところ」という反応が返ってくるのではないか。


されど、われらがプログレ世代なのだ
私は自分の属する世代が「陽水世代」と呼ばれることに文句をいうつもりはまったくない。むしろ、的を射たネーミングだと思うし、そういう論を誰かに展開してほしいくらいだ。

要するに、私には同世代を「陽水世代」として論じる資格がないということだ。というのは、私には、当時井上陽水に熱中した経験がないからだ。そういう経験がないのにそういう風に同世代を論じるのは、当時陽水に熱中した人たちに対して申し訳がないような気がする。とりわけ、高校時代に私が所属していた美術部の部室で、ずば抜けて絵のうまかったA君が陽水の〝心もよう〝をアカペラで絶唱していたのを思い出すとそう思う。

むろん、かくいう私だって、友人から陽水の『断絶』や『氷の世界』などというLPを借りて一応聴きこんだりしてはいた。プログレを聴くときのような胸騒ぎまでは覚えなかったものの、少なからず印象に残った。陽水が心の底から「いい」と思えるようになったのは、四十歳を過ぎてからだ。四十を過ぎて、私の中で確かに何かが死んだ。そして、何かかが死ぬことで、モノの感じ方が少しだけ変わったような気がする。ここで、四十という年齢にひとつの墓碑銘を刻み込むことを、読者よ、許したまえ。

   四十代この先生きて何がある風に群れ咲くコスモスの花
                             道浦母都子

私には、音楽のジャンルに関しては、プログレに血道を上げた経験があるだけだ。そして、そこには、六十年代末から七十年代の前半という時代の、少数派としての同世代体験と呼ぶに値する実質がある、ということだけはいいうるように感じるのだ。だから、読者よ、とりわけ同年代の読者よ、私が「プログレ世代」を自称することを今しばらく黙認していただきたい。

私は、プログレそのものについてえんえんとオタッキーに論じ続けるつもりなどない。そういうことではなくて、プログレに血道を上げることによって全身で吸い込んだ、時代の空気の核心に迫りたいと願っているのだ。それがもしもうまく取り出せたならば、「プログレ世代」を自称した甲斐があったということになるだろう。そういうわけで、「プログレばなし」にうつつをぬかしたりせずに(というか、その欲望を禁圧して)、次のステージに移りたいと思う。


プログレ世代の憂鬱 
プログレをめぐる私の個人的なかかわりがどういうものだったのかについて、以下に要点をかいつまんで述べておきたい。これが、私なりに回顧して語れる「時代の空気の核心」の正体である。

・プログレ体験を共有したことのない異なる世代に、その体験のニュアンスをうまく伝えられないのではないかという思い。
・多くの人とは、どうにも分かち合えそうにない感覚。
・心の奥の切なる思いは、それが深いものであればあるほど、人から理解されにくい。
・「美」をめぐる求道者のようなイメージ。
・美の極限への内なる視線。
・徹頭徹尾「本気(マジ)」な、この世ならぬ美への志向性。

さらに言うならば、これは以下の本書の記述に大きくかかわってくるのであるが、次のように言い換えてみてもよいように思う。
・内なる思いの伝達不能性への怖れの感覚
・現実的ではない美へのあこがれ
・孤立感、あるいは追い詰められ、無理解に包囲された共同性
・内的な宇宙への関心

こういう言葉を踏まえたうえで、少数とはいえプログレに熱狂した者たちの心の核を成していた世代体験と呼ぶよりほかにないものをなるべく明晰な言葉に置きかえようとすると、次のようになる。

――何も起こらないし、起こったとしてもそこには本当は何の意味もない。そういう砂を噛むような味気ない現実を目の当たりにし続けた若者たちが、なおも消しがたい内なる美への衝動、あるいは「ほんとう」への志向性を自覚したとき、彼らは、おもむろにその真摯な視線を外界から引き上げ、自らの内面に向ける。そこには、現実なるものに対する静かなそして決定的な断念がある。それが、わが「プログレ世代の憂鬱」の核心なのではないだろうか。

彼らは、現実社会を変革する夢を見ないし、それに対して期待するものなど何もない。心のエネルギーは、なるべくそういうことから引き上げて、できることなら全て自分の内的世界に注ぎ込みたい。現実社会なるものに自分の内的世界をかき乱されるのは、なによりも苦痛で耐え難い。お前を否定する気はないのだから、お願いだから、必要以上に俺に関わろうとしないでくれ。そういう、言葉にすることさえない、現実忌避の感覚。それが、多感な時期に私(たち)が「全身で吸い込んだ時代の空気の核心」、言い換えれば、時代の「毒」 なのではないだろうか。それが、吉本隆明が言うところの「自己表出」として明確に外化されるのは、もう少し後のことであるにしても。

オウム真理教との関連について触れれば、「プログレ世代」は、その精神性に「オウム的なもの」のいっぱい詰まった卵を孕みながら独特の自我を共時的に形成したのである。ここで、「オウム的なもの」の核心をとりだせば、それは、「ほんとう」への志向性を自覚した者の真摯な視線が外的世界から引き上げられ、もっぱら内的世界へ向けられるということをめぐる不可避性の感覚のことである。同じことを別様にいえば、現実忌避の感覚が、政治的な形もとらず、倫理的な形もとらず、もっぱら文学的かまたは宗教的な形をとることである。また、先の「自己表出」とは、その感覚が外的世界との接点を持ったときサリンをばらまくという形をとったこと、あるいは、自分がばらまきはしなかったものの、オウムの行為にたいして微妙な共犯感覚を持ってしまったことを指している。

冒頭の「はじめに」のAくんとMくんという「二人の天才」にみられる、野心なるものの決定的な欠如は、彼らの精神の核において、現実社会とのつながりが見失われていることに基因する、と私は感じている。その「天才」を誇示する現実社会という対象があらかじめ見失われているのである。むろん、そのことと、彼らが、職場で高い評価を得て今もしかしたら出世しているかもしれないこととは、別に矛盾しない。彼らは、世間的に言えば、十二分に有能であるからだ。事は、ひそやかな内面に関わることである。

物事は、それが自分にとって大切だと思われる事柄であれば、はっきりさせないよりは、間違っていてもとりあえずはっきりさせたほうがよい。これは、私が四十数年間生きてきて得た、数少ない「教訓」のうちの一つである。だから、その「教訓」にしたがって、冒頭に掲げた問題提起になるべくはっきりと答えてみた。

以上展開した「仮説」を頭の片隅に置きながら、次の時代に目を移してみることにする。 (「一の巻」終わり)

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