美津島明編集「直言の宴」

政治・経済・思想・文化全般をカヴァーした言論を展開します。

平成天皇陛下について――岡部凜太郎さんの投稿「『欺瞞の時代』と奪れた天皇」に関連して (天道公平)

2016年02月17日 10時52分03秒 | 文化


〔編集者より〕拙ブログに掲載された、岡部凜太郎さんの二月七日付の論考「『欺瞞の時代』と奪れた天皇」が、少なからず反響を呼んでいます。現役の高校一年生が硬派の保守思想の論陣を張っていることへの驚きがもたらしたもの、という側面があるのはたしかなのでしょう。しかし、彼の真摯な論調が読み手の心に響いたがゆえのもの、という面があることも間違いないと思われます。逃げ場を作らない、潔い文章ならではのすがすがしさ・迫力は、人の心を動かすものです。

次にご紹介する、天道公平氏の、ご自身のブログに掲載なさった文章も、岡部さん(かなり年下なので、どうしても、「氏」ではなくて親しみを込めて「さん」付けになることをご容赦ください)の文章の真摯さに触発されて綴られたものであるように思われます。

岡部さんのコメント中に、「特に東日本大震災以後の天道さんと天皇陛下とのある種の個人的な体験にはぐっとくるものがありました」とあります。私もまったく同じ感想を持ちました。私は、根にそういう感性を有しない天皇論をまったく信用できないのです(あの政治学者・丸山眞男や文学者・中野重治でさえも、そういう感性をその言説の根に隠し持っていたと、私は思っています)。


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平成天皇陛下について(岡部凜太郎さんの投稿「「欺瞞の時代」と奪れた天皇」に関連して)
2016-02-13 15:15:52 | 時事・風俗・情況


岡部凜太郎さんという方の、美津島明氏編集「直言の宴」に投稿された、「『欺瞞の時代』と奪れた天皇」http://blog.goo.ne.jp/mdsdc568/e/a0aa85ded6cdc2a5e0167f84562c93c6という論考を読み、若い世代(現役の高校生らしいです)の真摯な考察に感服しました。

しかし私としては、(多くは年齢の違いに帰してしまいそうで卑怯な言動になってしまいますが)氏の思考がとても気になり、また、そのブログにkkさんという方のコメント投稿がありましたが、その方の心情や考えにも歩み寄れるような気がしました。私とすれば、その方の考えに対するコメントを含め何か書きたいと思いました。

しかしながら、いつものように、たぶんいたずらに長く冗長になってしまうように思われ、コメント投稿にはなじまないとも思いますので、私のブログでその内容について、申しあげたいことを書かせていただきたいと思います。

今上平成天皇(そういう呼称が正しいかどうかも知りません)の人となりについては、ほぼ私の父に近い世代であり、また、昭和天皇が長く在位されたこともあり、自分の父親が煙たかったように、私は、あまり興味が持てませんでした。昭和天皇は幸いご壮健であり、日本国の有史以来の大敗北という苛酷な時代を経て、長らく、それこそ激動の時代を経て、経済的にも復興を遂げた昭和期を長く生きぬかれました。平成天皇とすれば、そんな方を父君としていただくことには、大きな重圧(?) があったのではないかと愚考します。

昭和天皇については、かつて吉本隆明が、ある対談の中で、「あの人が生きているうちは、私は死ねないと思っている」と述懐していたことを思い、戦中派の(天皇に対する)想念がアンビバレントで、複雑であったことを思います。

長らく一緒に暮らし、戦争期(太平洋戦争)のことは殆ど語らなかった、私の祖父母も、皇室を思いやり、 十分に尊王的でした。個人的には、無関心で、「既存秩序とはそんなもんだろ」と思い、大学に入るまでは「天皇及び天皇制」など考えてみたこともありませんでした。私のアドレセンス(青春期、発情期)までの道行きで、幼少期から、民放で「皇室アルバム」とか、明らかにアイドル番組のようにして、皇室の幸福なそして平凡で退屈な様子が放映されていたのも、その当時の自分の率直な気持ちに反映していました。

三島事件のときは、高一だったと思いますが、知識人が、自己の理念に対し現実的に命を懸けることは十分衝撃的でしたが、彼の檄文が、当時響いたかどうかといえば、田舎の高校生にはあまり影響はありませんでした。それが、当時の多くの人たちの社会通念というか雰囲気としてあまり間違っていたとは思えません。むしろ、しばらくして、村上一郎が、明らかに三島事件に呼応するかのように、頸動脈切断の自殺をした(1975年)ことに、私は決して熱心な読者ではなかった人でしたが、戦争を戦った軍人として、自己に殉じた行為として、当時の、いわゆる平和ボケ(?) の時代に背を向けたような、何か昏い記憶があります(昏い記憶といえば、吉本隆明に教わった、戦中の法華経系過激派宗教団体「死のう団事件」もその一つと思われます)。

その後、三島由紀夫の様々な、私的な事情が明らかになるにつれ、澁澤龍一が述べていた、「友人三嶋は、エロスの極北の行為として切腹したのだ」、といったようなことも、分からないことはないと思った覚えがあります。

大学時代(1974年~1978年)、当時の「反帝、反スタ」の隆盛の政治の時代においても、私自身は、天皇及び天皇家を積極的に敵と思えたかどうかについて特に感想はなく、ただ、大学のキャンパスのそばに京都御所があり(本当はその逆かもしれませんが(笑い))、皇宮警察が常駐し、二回生の中途から、電子警備となり、「(御所の周囲を流れる30cm幅くらいの)疎水溝を越え、白塀に近寄ると、センサー反応で、あいつら出てきよるで」という話を聞いて、「つまらんことで税金を使いやがって」と反発を覚えた思い出があります。当時、そのように考えたことが特殊であったとは思えません。多くの国民大衆はおおむね無関心であったのではないでしょうか。

昭和天皇の崩御を経て、ご闘病中に、私の義母、妻は、ご回復の記帳に参加させていただきましたが(言葉に、ちょっと「違和」を感じますが)、「まあ、寿命だからしょうがねー」、と私は参加しませんでした。

閑話休題、平成の御世になって、今上の天皇になられた、平成天皇が謙虚に勤勉に国務をお勤めになっていることは知っていました。我々の世代では、皇后美智子様とのご結婚のイベントは存じ上げなかったので、その後も、ひたすら、地味に、堅実であることを意識的に目指されているように思われました。また、二男一女をもうけられ、美智子妃を核としてそれぞれの育児に励まれ、親としても素晴らしい方であると思えます。後年、マスコミ会見などで話される彼らの様子を見ればよく分かります。

私が、今上天皇に、初めて、お会いした、と感じたのは、もちろん3.11の後のことです。

(石原慎太郎のような)周囲の諌言もあったでしょうが、私に最も印象深かったのは、厳しい日程の中で、自らを叱咤するように、個別の避難所を、目立たぬ普段着で懸命に巡回され、「時間がない」との側近からの制止もあったでしょうに、被災者に対し、子を亡くした、母を亡くした悲しみにより添うようにいつまでもひざまずかれたそのお姿でした。自分ながら不思議ですが、「かたじけない」というのが、それをみたときの正直な感想でした。万一、人智の及ばない大きな事件が起こった時に、国民の、その悲しみを受感し、共感していただく、というのが、大きな、陛下の仕事であることが良く分かりました。100年に一遍という大災害と国民の危機に、そのような仕事を直ちにできることが、今上陛下の偉いところです。

さすがに、偏向したサヨク商業新聞を含め、批判記事は見当たりませんでしたが(ばかサヨクとして国民にふくろ叩きになったろうからなー)、バカの民主党(なぜバカかは何度も書きましたが)の首班菅直人が、被災した災害時におたおたし、急遽現場へ行くなど、愚かな行為や迷走を繰り返し、何より東北地方の住民大衆に対し、未曽有の災害に対し適切な善後策が取れなかったことに比べ、なんと見事な行動であったか、時間がたつにつれても、諄々と国民の胸に迫るような尊い仕事でした。

私が思う天皇陛下は、やはり日本国の祭司です。お布施を捧げずとも、政治的に力を持たないとしても(あるいはそのように振る舞われることを嫌悪されても)、大惨事に際しては、国民により添い、国民と一緒に悲しみ、ひそかに国民の幸せを望んでおられるそのような賢い方です。その意味で私は「国民統合の象徴」という言葉に対し、何の疑問も、違和もありません。

しかしながら、祭司は、当然その日常生活を問われます。国民はそれを見ていると思います。たとえば、イギリスのチャールズ皇子の、自己欲望の開放の次第を考えれば、わが皇室と明らかに異質であり、他国の王族は、私は好きになれません。少なくとも、私には、天皇陛下はそれと無縁と信じられるからです。新興宗教の俗な教祖は別にして、日本国最大の祭司に、そのような、醜聞があろうはずはないではありませんか。

昔から今に至るまで、天皇家の外戚(?) というか、皇族の方々の素行が同時に、幾たびも女性週刊誌の俎上に上がりましたが、そんなことがあろうと、同根の、皇族提灯持ち記事と同様で、何の興味も、違和もありません。

先ごろ『「シャルリ」とは誰か』http://www.nikkei.com/article/DGKKZO97254170T10C16A2MY7000/ というエマニュエル・トッドさんの新書が出ていましたが、信仰なき、祭司なき、ロールモデルも不在のフランスの状況をお気の毒と思いましたが、もし「シャルリ誌」が、他国の聖者モハメッドを侮辱したように、日本の天災による原発事故をおひゃらかしたり、万一、天皇家を侮辱するような風刺(?) があれば、上京して、フランス大使館(どこにあるのか知りませんが)に抗議しに行くことを考えます。日本国民を侮辱したと直感的にそう思います。天皇家及び天皇制は、日本にとって誇るべき歴史であり、危機において発動する誇るべき制度なのです。

私が思うのは、私はバカ左翼でもなく、天皇陛下が政治的に行動することを求めるわけでもない、ただの保守的な人間ですが、福澤諭吉の「帝室論」で、「社会秩序が乱れるのは、情誼にもとづく徒な対立にあるのだから、そうした信念対立が非妥協的になって恐ろしい事態を起こさないためには、人民の激した感情を慰撫する不偏不党の大きな緩和勢力がなければならず、それはあらゆる政治勢力を超越した、すべての日本人にとって精神の源となるような形をとっていなくてはならない。それこそが帝室の役割だというのである。『国の安寧を維持するの方略』ときっぱり言い切っている。」(『日本の七大思想家』中「第7章福澤諭吉」篇p449の、著者小浜逸郎氏の現代語訳篇から孫引き)、と論じられたように、近代以降、天皇制は論じられてきたし、
たとえバイアスのかかったバカでも国民は国民であり、信憑対立を超え、また制度は制度のみでは味気ないものであり、「かたじけない」あるいは「勿体ない」と多くの国民に感じさせる祭司=人格者の存在は、日本国にとって是非に必要であると思います。

私は、莫大な皇室財産を解放せよ、とか、まったく考えておりませんが、エコロジスト天皇家のおかげで、皇室財産という誇るべき日本の森や自然が古来のまま守られ、現在までに、無慈悲で没義道なビジネスにおける乱開発で、腐った億ションや、腐ったリゾートに変わらず本当によかったと衷心から思っております。

しかしながら、君側の奸とまでは言いませんが、宮内庁の管轄での、箸墓などの古墳が、学術的な発掘も許されず、日本国の起源の解明につながっていかないのを大変に残念に思っています。
また、現在の日本国の皇太子も、気さくで、正直に思われる方であり、時々お見受けする、その人となりと、私の代ではまだ大丈夫(?) と、その温和な人間性に安堵しているところです。

岡部さんの論考とは随分違った安易なことを書いたかもしれませんが、こういうことを考える人間もいる、ということで理解していただければありがたいと思います。

今後も、ラジカルで(昔流行った言葉なのですが)、真摯な、岡部さんの活動を期待します。



〔コメント欄〕

岡部凜太郎 「記事ありがとうございます。」 2016-02-14 03:20:02小論についてブログで書いていただきありがとうございます。

小論を「直言の宴」に掲載後、各所から思わぬ反応があり、驚きながらも嬉しく思っています。
天道さんの実体験を踏まえた論考、人生経験の浅い私からすると他者の人生の経験の凄みを感じる圧倒的な文章であると感じました。

特に東日本大震災以後の天道さんと天皇陛下とのある種の個人的な体験にはぐっとくるものがありました。

比較はできませんが、私も天皇陛下のご尊顔を拝見したことがあり、その時に神はここにいるかもしれないと大袈裟かも知れませんが心の中で思ってしまいました。

最近ではその天皇陛下の御言葉を政治的に利用しようとする輩もおりますが、私も含めて天皇陛下について政治的な道具としないよう肝に銘じていきたいと思います。

ラディカルで急進的な私ではありますが(笑)、これからも執筆活動を行っていきたいと考えていますので、これからもよろしくお願いします。

天道公平 「コメントありがとうございました」2016-02-14 18:21:23 早速、コメントありがとうございました。

私が、大学に入ったサークルで、最初に皆で読んだのが、吉本隆明編著の「国家の思想」(筑摩戦後日本思想大系 (1969年)でした。名著であり、私にとってとても印象的な本です。ただ、戦中派の直接体験を考えれば、ひよってしまい、昭和天皇への言及は躊躇しがちになってしまうのが本音です。ブログ=コメントで言及された、長谷川先生の本は不勉強で読んでおりません。申し訳ありません。

もう一つ、ラディカルというのは、もう一つ、「根源的な」という意味があったと思います。それは岡部さんもご承知でしょうが、今後の岡部さんの営為と精進を見守りたいと思います。
 ついでに、与太話をしますが、私が就職した際(はるか昔ですが)に、新採研修で、ディベートする機会があり、その時、つい、「ラディカルな」と言ってしまい、しばらく、同期に「ラディカル君」と揶揄されました。たぶん、人事課は、瞬時に、私の出自を見抜いたでしょうが。笑ってやってください。

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2 コメント

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追記(菅元首相のために) (天道公平)
2016-02-19 22:23:02
 さる方から人づてに聞いた話で、私が現認した話でないのはお断りします。
 かの民主党元党首菅直人氏、元内閣総理大臣が、国事行為で、今上天皇陛下の傍らにに控えているはずのとき、陛下の面前で両足を無造作に投げ出していたそうです。列席されていたかの方は、さすがに憮然とされたそうです。
 もし彼の行為が観察のままであるならば、「人」が尊いと思うものに敬意をはらうわけでなく、何より自分の職責と、国民の代表であることに無自覚で、政治家としての退廃のみならず、「人」としての退廃を疑ってしまう、まことに無残なものですね。
 「あなたは何のために生きてるの」と、シャルリ誌の記者と同様に、審尋してみたいものですね。やはり、これは、「表現の自由」であるのか。また、「風刺」であるのか。
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そんなところでしょうね (美津島明)
2016-02-22 19:45:48
思うに、菅元総理は、若いころの左翼市民運動家時代に培った青臭い反権力意識をまるごと温存させたまま政治家になってしまった人なのではないでしょうか。だから、なにかのめぐりあわせで総理大臣にまで登りつめてしまったものの、権力を担う公人としての心構えなどまったく持ち合わせていなかった。つまり、責任感などまったくない人物であった、ということです。ノーブレス・オブリージュの感覚など、逆立ちしても掴むことのかなわぬ人なのでしょう。察するに、その天皇観のレベルは、山本太郎などとそれほど変わらないもので、「天ちゃん」などと言って溜飲が下がったような気分にひたる類のものなのではないかと想像します。前からそんなふうに考えていたので、天道公平さんのコメントを読んで、さもなりなんと思いました。
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