美津島明編集「直言の宴」

政治・経済・思想・文化全般をカヴァーした言論を展開します。

山本太郎の手紙騒動は低レベルの深刻な問題である (イザ!ブログ 2013・11・3 掲載)

2013年12月26日 06時32分46秒 | 政治
山本太郎の手紙騒動は低レベルの深刻な問題である



国会で、山本太郎の園遊会での振る舞いを、問題視する動きがある。彼の振る舞いが、天皇の非政治性を規定した現行憲法に抵触するという。「皇室の政治利用はけしからん」のだそうである。

しかし、今回のことは、憲法を持ち出して大騒ぎするほどの高級な政治問題だろうか。私はそう思わない。単に、場をわきまえぬどうしようもないバカが、目立ちたいという一念で我知らずとんでもないことをしでかしただけのことなのではないか。しでかしてしまった後、騒ぎが想像以上に大きくなってしまったのでびっくりしてしまい、どうしていいのか分からない、というのが真相ではないのか。

記者会見での発言を読んでみた。自分が何を言っているのか、まるで分かっていない者に特有のうら悲しさが感じられた。要するに、頭の悪さがはなはだしすぎるのである。「法律に書いていないから、(天皇陛下に)手紙を渡しても良い」なんて言い草には、唖然とした。これでは、口喧嘩している子どもが返答に窮して「法律に書いてあんのかよぉ。あるんなら言ってみろよぉ」と毒づいているのと変わりがない。絶句するほどのレベルの低さである。自分を取り巻く情況の本質がどういうものなのかまったく分からないまま、自分を守るために使えそうな言葉を闇雲に使っているだけのことである。

私はかねてから、彼の議員としての資質に疑問があった。能力的に国会議員が務まらないのではないかと思っていたのだ。そのことが今回の件ではっきりしたのではないかと思う。結論は、明らかだ。即辞職、以外に彼に残された道はない。そうしなければ、一般国民の腹の虫は収まらないだろう。国民感情からすれば、彼がやったことは、李明博・韓国前大統領が天皇を侮辱する発言をしたときに感じた不快感と同等のものなのだから。つまり、許容の限度を越えているのである。

朝日新聞が、彼を「平成の田中正造」扱いしようとしていたが、とんでもない勘違いだ。田中正造は、天皇に直訴することがどういうことなのかをよく分かっていた。だから、直訴する前に議員を辞したのだ。暗愚の山本太郎とは、雲泥の差である。朝日新聞に、おいお前、頭大丈夫かと言いたい。

また、今回の件は、原発がどうのこうのということともまったく関係がない。そういう問題ではないのだ。私は反原発論者ではないが、真摯に反原発運動に関わっている人たちにとっても、今回の件は、はた迷惑なのではなかろうかと思っている。まともな反原発論者なら「あんなバカとわれわれを一緒にしないでくれ」と思うのではなかろうか。彼を変に擁護して、今回の件に関わって陰謀論を持ち出したりするならば、反原発運動は大打撃を蒙ることになるだろう。

いちばん大きく言えば、今回の件は、日本の民主主義が、こんな無能な人間を国会議員として選んでしまうほどに劣化し、衆愚政治の段階に入りこんでしまったことを象徴している、ということになる。それゆえ、山本太郎の手紙騒動は、低レベルであるがゆえにとても深刻な問題である、といえよう。

以上のような考え方をしていた私にとって、この問題に関する次の文章は、腑に落ちるものだった。視点にブレのない優れた論考である。以下、引くことにする。

*****

醜悪な山本議員の直訴 ――田中正造との比較から
                        石井孝明(ジャーナリスト)


予想通りダメな人だった

山本太郎参議院議員が10月31日、園遊会で天皇陛下に手紙を渡した。いわゆる直訴という行為だ。(写真はテレビのキャプチャー)

その後、山本議員は目立ちたいのかわざわざ記者会見し、「原発事故によって、このままだと子どもたちの被ばくが進み、健康被害が出てしまう。さらに現場で対応に当たっている作業員は劣悪な環境で搾取され、命を削りながらやっている。こうした実情をお伝えしようと、手紙にしたためた。自分の政治活動に役立てようという気持ちはなく、失礼に当たるかもしれないという思いもあったが、伝えたい気持ちが先立った」と、述べた。「手紙を書くことの何が政治利用ですか?」とも質問に答えたという。

幼稚すぎる行動で、山のような問題をはらむ。皇室の政治利用、社会儀礼上の無礼さ、常識のなさなどだ。テロ行為を重ねる極左暴力集団の中核派との関係を公言する山本氏が皇室に間近に近づいたことは、警備上の問題も明らかにした。テロ行為も可能であったということだ。

そして彼の(古風な言い方をすれば)上奏文の内容はでたらめだ。現状では子供にも、作業員にも健康被害は出ていない。福島原発事故によって普通の生活を送る限りにおいて、健康被害はこれからも起こらないと私は判断している。

山本氏は放射能をめぐるデマ発信、そして中核派など極左暴力集団の支持など、特異な異様さを持っていた。私は彼の当選翌日にコラムで懸念を述べ、さまざまなことを学んで支持者と共に変わってほしいと願った。(「山本太郎氏当選に思う--噛みしめるべき格言「教育のない民主主義は無意味」」)やはり、ダメなままだった。議員になってからのめちゃくちゃな活動の行き着いた先が、この直訴騒動だ。

足尾銅山鉱毒事件と福島原発事故
ここで私は近代史上有名な直訴事件を思い出した。日本初の公害とされる足尾銅山鉱毒事件の解決に奔走した政治家の田中正造(1841~1913)の行動だ。

栃木県の足尾銅山は、そこから流れ出る鉱毒によって、渡良瀬川流域の土壌を汚染し、農作物や人体に被害を及ぼした。しかし政府、経営する古川財閥は、対策が遅れた。銅は重要な輸出品、そして工業化に不可欠な物資で、増産しか選択できなかったためだ。

地元出身の民権運動家で、衆議院議員になっていた田中は問題解決に奔走。しかし政府の対策は遅れた。絶望した田中は明治34年(1901年)12月、明治天皇に直訴状を出す。(ネットサイト「田中正造の業績」)ただし政府は単に狂人が馬車の前によろめいただけだとして不問にすることとし(田中本人の言及による)、即日釈放されたという。(Wikipediaより)

この行為は世論に大きな反響を呼び、政府の対策が加速することになった。ただし、その解決策は、渡良瀬川の下流域の谷中村を水没させ、鉱毒の沈殿池をつくるというもの。田中はそれに反対した。

田中は後世では賛美一色の人だが、私が当時の資料を読む限り、正論を唱えて妥協を許さない、気難しい人柄が浮かび上がる。住民の大半は政府案を飲んで強制移住を仕方なく認めるのに、田中は谷中村に住み続けた。当時は唱える人がほぼいなかった軍備全廃も主張した。もちろん田中の無私の精神と気骨に私は敬意を持つが、最後には周囲の人から浮いてしまった面もあるようだ。彼は貧窮の中で亡くなる。

2013年は田中正造が亡くなって100年だ。栃木県でイベントや再顕彰が行われた。そして福島原発事故を取材した私は、福島の地域社会が崩壊したことに衝撃を受けた。この事故と足尾銅山事件の類似性から、田中の足跡に関心を持ち、いくつかの文献を読んだ。

もちろん原発と銅山は、時代背景も、その事業の特徴も違う。足尾鉱毒事件は、人権や環境の意識が乏しい時代ゆえに、その被害はあまりにも凄惨だ。しかし2つの出来事は、共に国策として、巨大プラントの運営を国が推進した。それは社会に利益をもたらす一方で、事故により弱者が被害を受け、特定地域の社会を壊してしまった負の側面もあった。

調べる中で田中の直訴文も知った。私の漢籍の素養は乏しいが、名文で気迫のこもったものだ。当時の知識人の教養の高さもうかがえる。(全文)

「我日本帝国憲法及ビ法律ヲ正当ニ実行シテ各其権利ヲ保持セシメ、更ニ将来国家ノ基礎タル無量ノ勢力及ビ富財ノ損失ヲ断絶スルヲ得ベケンナリ。若シ然ラズシテ長ク毒水ノ横流ニ任セバ、臣ハ恐ル、其禍ノ及ブ所将サニ測ル可ラザルモノアランコトヲ。

臣年六十一、而シテ老病日ニ迫ル。念余命 幾クモナシ。唯万一ノ報効ヲ期シテ、敢テ一身ヲ以テ利害ヲ計ラズ。」

(帝国憲法の権利を維持し、将来の国の無限の力、そして豊かさを維持するべきなのに、公害が断ってしまうかもしれません。鉱毒の水が流れ続ければ、その損害は計り知れないものになることを、一臣下として怖れます。61歳になる私は、病を得て、余命はわずかです。陛下と社会のご恩に報いることを考え、利害を考えず申し上げます)(拙訳)

田中の行動を見て思ったのは、いつの時代も、物事の意味は多面的であること、そして人は誤りを繰り返すことだった。「真の文明は山を荒らさず 川を荒らさず 村を破らず 人を殺さざるべし」。彼はこのような言葉を残しているという。そうした文明を私たちは田中没後100年経っても、今だにつくることができない。

「目立ちたい」という身勝手な願望
田中の前例を山本議員は、知っているかもしれない。田中龍作氏という自称ジャーナリストが山本氏に滑稽なほどの賛美を続けている。今回も山本氏を田中正造のようだと持ち上げた。

あほか。あきれた。

田中正造は主権者たる明治天皇に直訴した。当時は不敬罪など天皇の尊厳を守る法や国家制度があって直訴が禁じられた。田中は国法を犯すことを恥じたのか、議員辞職をして直訴に及んだ。反体制活動家であっても、社会秩序を乱すことを恥とする、強い倫理観が感じられる。そして、この行為には国事に奔走し、命を投げ打つという覚悟と気迫がある。

山本太郎議員は主権者である国民の、東京選挙区の代表である。そして現代の日本では、明治憲法の反省に立って天皇は政治性を抹消し、中立の立場におかれている。そうした制約を山本氏は平気で犯した。また請願法という法律で天皇への請願は総理大臣を通すこととされている。

園遊会というまったく目的の違う行為で、関係のない皇室を巻き込み、その人気、注目を利用するために手紙を渡した。天皇陛下に人間として礼儀の上で失礼であろう。そして民主主義制度に傷をつけた。議会にも、行政にも迷惑な行為だ。そして、この行為には「目立ちたい」という矮小で身勝手な願望だけしか感じない。

山本議員と支持者らは、脳内に自分でつくった放射能の恐怖に怯え、空想の中の福島や原発被災者の勝手な代弁者になっている。それに関係ない天皇陛下をはじめ、私たち多数派の国民を巻き込もうとしている。その姿はとても不快だ。卑劣な行為であり、甘えがある。遊びと言ってもいい行為だ。

田中正造と比較をすれば、山本議員の行動の醜悪さが一段と浮かび上がる。田中正造の直訴事件の結末は、田中の意図に反する方向ではあったものの、政府が事態の収拾に動いた。

山本議員の直訴は、見る限り社会の大半の態度は無視か嘲笑のようだ。政府も迷惑がって、まじめにコメントさえしていない。支持者と山本議員本人は反省してほしい。平成の直訴事件は、明治の直訴事件の田中正造と比較にならない、醜悪な活動家の勝手な騒擾だ。

この異常な、そしておかしな事件をきっかけに、放射能をめぐる無駄な騒擾やデマを徹底的に批判する状況を生みたい。こうした人々は周囲が騒げば「目立てた」と図に乗る。政治的な、そして社会的意味のある主張と認めてはならないだろう。ただし、おかしな主張者にも言論の自由はあるので行為をつぶすのは好ましいことではない。それらの姿が荒唐無稽で馬鹿げていることを社会全体で指摘し、その上で無視し、孤立させるのが一番適切な扱いかもしれない。
以上、http://agora-web.jp/archives/1566093.html より


参考までに、山本太郎の記者会見の模様は、以下のとおりです。私は、その愚かしさに嫌悪感が募るのみです。マスコミの活用ということが自己目的化してしまった者の馬鹿さ加減がよく出ていると思います。冒頭の、ミミズが這い回ったような、何の品格もない、彼の文字を念頭に置きながらお読みください。

*****

Q:手紙は前から準備していた。

A:前からというわけではないですけど、書いたのは前日ですね。

Q:異例のこと。自民党の中には世が世なら大変なことだと言う批判がある。官房長官がその場にふさわしいかどうか常識的に判断していただくことだと発言。どう受け止める。

A:確かにいろんなご意見もあると思います。園遊会という場において手紙を渡すことがどうなのかということもあるかと思いますが、本当にこの切羽詰まった状況の中で時間との戦いですよね。その中でどうやって子供達をまもれるのかという部分において、実情をお伝えするのは、この国に住む者として、この世に生まれたものとして、情報をお伝えしたいという気持ちがあふれでたものだということをご理解いただきたい。

Q:国会議員という立場で。手紙をだすことが政治利用にあたるのではないかという指摘がある。

A:もちろん僕は国会議員なので、そのようなお声もあると思いますが、これが政治だとかという問題ではなく、それ以前の問題で、この国では命が切り捨てられようとしている。その現実というものをたくさんの人たちに認識していただかなければいけないし、もちろん、陛下は聡明な方なので、すでにご存じなこととは思うんですが、自分の中で、この国のおかれた現状、世界中が、たったことのない、そして家族もふみこんだことのないようなところに僕たちは立たされていて、そして、やっぱり健康被害であるとか、と言う部分に関してはほとんど考えられていない中、本当にこの先、この国がどうなっていくのかということを本当に憂いてその気持ちがあふれたという部分ですね。

Q:パフォーマンスじゃないですか。

A:うん?

Q:パフォーマンスじゃないですか。

A:パフォーマンスですか。何のためのパフォーマンスですか。

Q:単なる、政治パフォーマンスにしかみえない。

A:どうしてですか。

Q:天皇陛下を政治利用したことにはつながらないか。

A:つながらないですね。

Q:なぜつながらないのですか。

A:僕が天皇陛下に対してお手紙を書いたということがどうして政治利用につながるのですか。どのような。どのような利点があるかということをお聞かせ願いますか。

Q:それについて、なぜ政治利用でないと言い切れるのか、根拠がよく分からない。

A:今のお話を聞いていただければわかると思うんですけど。

Q:政治家だったら何をしてもいいということか。

A:そんなことは一言も言ってませんが。

Q:山本議員は実際にやっていますよね。

A:だから、先ほども言ってます通り、この国に生きるものの一人として、政治家である前に人間として、この、今僕たちがおかれた立場というものに対して、ものすごく憂いをもっているということですよね。そして、やはり、今日園遊会という場所にまねいていただいて、天皇陛下にたいして自分自身で伝えられること、伝えたいことというものがあふれた形です。

(中略)


Q:現状を伝えたいというのは分かったのですが、陛下にどうしてもらいたかったのか。

A:どうしていただきたいというよりも現状を知っていただきたいという思いが強い。というのも、みなさんよくよくご存じだと思いますが、やっぱりいろんなバイアスがかかりますよね。メディアといえども。スポンサーの影響を受けたりだとかいろんな部分があると思うんです。今、フリージャーナリストという人達がすごくがんばってくれていて、僕たちに真実を伝えてくれていると言う部分がありますが、この先、特定秘密保護法とかということになっていけば、そのような人達は排除されていってしまうという現実がありますよね。とにかく今この国でおこっている、本当は●いけない部分を一切無視して、安全だといわ続けると言うことに対しての憤りであったり、不安であったりという思いが自分の中にものすごく大きくて、そういう部分に対してやっぱり、こういうせっかくの機会をいただいたので、もちろんただ陛下と会えるという時間というのは素晴らしいものだと思うのですが、自分の思いであったりとか、陛下にその思いを伝えたいという部分なんですかね。

Q:陛下は何かおっしゃいました。

A:とくに何か僕の言葉に対して、何かお答えを下さったというわけではないですが、手紙を読んでいただけますかということをお伝えしたら、うけとってくださったということですね。

Q:受け取ったのは侍従長。

A:いや違います。天皇陛下が直接受け取っていただきました。

Q:なぜ陛下だったのか。

A:なぜ。

Q:なぜ天皇陛下だった。

A:今日、園遊会という場面だったのでということなんですかね。

Q:陛下は山本さんの中では特別ではないんですか。

A:この国の象徴であるという意味合いで、やはり、全国民にとってはそれぞれ思いのある存在だとは思いますけれど。

Q:足尾銅山鉱毒事件があって、国会議員の田中正造が天皇陛下に同じように直訴した。それは、今でも歴史的にたたえられている。今回の手渡しで、ツイッター上では平成の田中正造という評価がある。田中正造のことは意識したか。

A:意識というものははっきりといえば特にはないです。田中正造さんの存在は知っています。直訴されたということも知っています。当時も公害であったりとか、そういうものに苦しんでいる人がいる人たちがいて、やむにやまれずというか、本当にそのメッセージをつたえたいという部分で行動なされたと思います。

Q:直訴をして何かしてほしいということか。

A:現状を、さきほどから繰り返しているとおり、僕が感じる現状というものを陛下に知っていただくためにお手紙をしたためたという形です。

Q:足尾銅山の鉱毒事件よりも今回は広がりが大きい。切羽詰まった感じはありましたか。

A:もちろんそうですね。プルトニウムの半減期2万4000年ですよね。プルトニウムもうおそらく気化したであろうと。なぜならプルトニウムが気化する温度よりもっと高いモリブデンというものもすでに、茨城県の気象台であるということは、存在は明らかにされているんですよね。2011年の時点で。じゃあどうして、それだけ多くの放射線各種が日本全体にばらまかれた状態でありながら、セシウム、ヨウ素というものしか中心に調べないのかということですよね。もっと細かく調べていかないことにはそれぞれの汚染度は分からないわけですよね。どちらかというと、国もメディアもこの汚染は福島にしかないという印象が強い感じがするんです。ようは福島県にしか汚染が存在しないというような取り方ができるような報道があまりにも多い。そうじゃない。東日本一帯にひろがっているじゃないか。まだ。東京にもホットスポットありますよねという話ですよね。で、事故前から考えたら、今僕たちが与えられている基準というのはあまりにもおかしいじゃないですか。放射線管理区域以上の所に人々が住んでてよかったかって。当たり前ことが当たり前に伝えられなくて当たり前のようにそれが、報道されないというのはあまりにもおかしいじゃないですか。今の話から少しずれてしまったかもしれないですけど。

Q:重ねて聞くが、今日の行為については天皇の政治利用につながらないという認識ですね。

A:はい。もちろんです。

Q:陛下に対してお手紙を渡して、その先に知ってほしいという以上に何かしていただきたいという気持ちがある。

A:知っていただきたいことですか。これはおそらく立場、身分というものを超越して、この国に生きるもの、この星に生きるもののひとりとして、生命体の一つとして、すべてのものが向きあわないといけない問題だと思うんですよね。だから、伝えられることは僕自身がお伝えできることは、お伝えした。それをどう受け止めるかというのは、それぞれだと思うんですよね。

Q:園遊会で渡すことによってこれだけ集まっている。政治的主張で陛下を利用という批判はおきると思いますが。それは当たらない

A:そうっすね。僕としてそういう思いは全くないです。政治利用なんてとんでもないという話ですね。

Q:個人的な政治主張なわけですよね。

A:政治主張というんですかね。

Q:思い。

A:思いですよね。

Q:思いを大事なことだと思ってみなさん政治活動をしている。

A:まあまあ、自分の政治活動に何かを役立てようとして、そういうようなアクションを起こしたわけではないということです。

Q:そういう理由ではない。

A:もちろん。

Q:確認ですが、今回渡したのは、参院議員山本太郎としてお渡ししたという認識で良いか。

A:あ、もちろん、園遊会に出席させていただいたのは、肩書きとしては参院議員という立場なので、その問題ではそうなると思います。

Q:直接天皇陛下の上奏することが参院議員の役割だとお考えですか。

A:うーん。さきほど話した通りだと思うんです。

Q:参院議員の役割をこえているとお考えですか、それとも参院議員の役割とは天皇陛下に直接伝えることだと思いますか。

A:いえいえ、そんなことはないです。参院議員の役割は、参院議員の仕事としてではないと思います。1人の人間としてお伝えしたいことがあった。たったそれだけです。

Q:国会議員として情報発信していくと言う手もあるが、あえて陛下に渡したというのは、そうすることでご自身の主張が注目を集めやすくなるだろうということをお考えなんでしょうか。

A:いや。だってもしもそのつもりであれば、みなさんにその内容を公開しているはずですよね。意味分かりますか。

Q:ごめんなさい。分かりません

A:もしも僕が政治利用して自分の発言に対して注目をしてもらいたいということで天皇陛下を政治利用するという形なのであれは、自分自身が天皇陛下にあてて書いた手紙といものを、もうすでに公開しているのではないですか。内容について。もしも自分を政治活動に対してそれを利用したいという思いなのであれば、そういうことをするはずですよね。でも、そうではなく、本当に自分の気持ち、じぶんの思いというものを、天皇陛下に対して知っていただきたい、そして、そこは、先ほども言ったが、立場であったり、身分というものは、もうしわけないですが、一度横におかしていただいて、この国に生きる、この星に生きる命の一つとして、その思いを伝えたかった。たとえば、これがもしも園遊会でなく、まったく別の集まりであったとしても、僕は同じような思いでいろんな方々にお話をしているということですよね。

Q:手紙の一文だけでいいので教えて下さい。

A:ま、現状を書いたたまでですね。被爆労働者、収束作業に関わっている人達が最初、東電というところに8万円の労賃が入るのですが、結局、最下層の下請けというところからお金をもらう人達は、数千円しかもらえていないと。高線量エリアで命をかけて労働してくれている方々は常に切り捨てられている存在であります。とういような現状を書いたという覚えがあります。

Q:失礼にあたるかもしれないとは思わなかったか

A:ルール的には園遊会の中でお手紙を渡すということが禁じられていることは聞いていなかったということがあります。常識的に考えて、陛下に対して、お手紙をお渡しするという行為は失礼に当たるかもしれない。けれどもやっぱりこの現状を知っていただきたいという自分の気持ちがまさってしまったという部分ですね。

Q:禁じられていなければ何やってもいいということか。

A:そのことによるんじゃないですか。その内容によるんじゃないですか。

Q:法律で禁じられていなければできるということですよね。

A:そうですよね。

Q:外形的には政治利用であり、憲法にもかかわる問題だという認識はないか。

A:まあまあまあ、どのようにレッテルを貼っていただいても結構です。それはなんやろう、公人という立場で僕がそのような行為をしたことに対して、みなさんが言いたいように言っていただいて結構です。でも自分自身どういうつもりで、どういう気持ちでその手紙をしたためたか。そしてどういう気持ちで、天皇陛下に受け取っていただいたかというのはさきほど説明したとおり、ということです。(了)
(阿比留瑠衣記者のFBより転載)


彼を参議院議員に選んだ、東京都在住の有権者67万人は、できうることならば、今回の出来事を我がこととして受けとめていただきたいものです。「こんなバカとは思わなかった」というのが、正直なところではありませんか。それとも、脱原発だったらなんだっていい、というわけでしょうか?

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 長谷川三千子『神やぶれたま... | トップ | 山本太郎の何が本当は問題な... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

政治」カテゴリの最新記事