美津島明編集「直言の宴」

政治・経済・思想・文化全般をカヴァーした言論を展開します。

いまの子どもたちにとってほんとうに必要なことはなんだろう(その2)

2019年10月09日 22時14分25秒 | 教育


前回の終末部で、私は次のように述べました。

人手不足が叫ばれる昨今、今後の10年から20年間にAIが全社会的に急速に広がった場合、私たち大人は、AI「東ロボくん」に負けた80%の受験生に社会人としての明るい未来を提供できるのか、と。また、この問題意識は「教科書が読めない子どもたち」という憂慮すべき現実につながる、とも。

オックスフォード大学の研究チームは、2013年9月に「AI化によって10年から20年後に残る仕事、なくなる仕事」というタイトルの予測を公表しました。それによれば、702種に分類した職業の約半数が消滅し、全雇用者の47%が職を失う恐れがあります。
https://www.oxfordmartin.ox.ac.uk/downloads/academic/The_Future_of_Employment.pdf#search=%27The+future+of+Employment+How+Susceptible+are+jobs+Computerisation%27

『AI VS 教科書が読めない子どもたち』の著者・新井紀子氏は、上記の予測に関連して以下のような指摘をしています。

・注目すべきは、ホワイトカラーと呼ばれてきた事務系の仕事が多いこと。例えば、消滅度第2位に不動産登記の審査・調査、4位にコンピューターを使ったデータの収集・加工・分析がランクインしている。
・ブルーカラー、ホワイトカラーの仕事のうち消滅度が上位のものに共通しているのは、決められたルールに従って作業すればよい仕事であること。
・各国の企業の経営者は、利益を上げ、国際競争力をアップさせなければならない点で共通している。つまり、アメリカで起こることは当然日本でも起こる。

ちなみに、残る仕事のベスト5は、第一位:レクリエーション療法士、第2位:整備・設置・修理の第一線監督者、第3位:危機管理責任者、第4位:メンタルヘルス・薬物関連ソーシャルワーカー、第5位:作業療法士です。高いコミュニケーション能力や理解力を要する仕事と介護や工事現場での通行人の交通整理のような柔軟な判断力が求められる肉体労働が残るということです。

とすると、AI「東ロボくん」に負けた80%が社会人としての明るい未来をゲットできるかどうかは、「意味がわからない」という欠点を有するAIが不得手な「高いコミュニケーション能力や理解力や柔軟な判断力を要する仕事」に就くことができるかどうかにかかっている、と言っていいでしょう。

学習分野との関連でいえば、「高いコミュニケーション能力や理解力」の基盤となる十分な「読解力」を備えていることがとても重要なポイントになります。端的にいえば「十分な読解力を身につけることが80%の生きる道」となるでしょう。

新井氏は、2011年に、日本数学会の教育委員長として6000人の大学生を対象に実施した「大学生数学基本調査」を分析した結果、「多くの大学生が、数学基本調査の問題が解けるかどうかということ以前に、単に問題文を理解できていない、つまり、ごく当たり前の意味での読解力が不足しているのではないか」という疑問をいだくことになりました。では、高校生や中学生はどうなのか。本書から引きましょう。

中学校の授業は、国語の難解な小説や評論文は別として、生徒は社会や理科の教科書の記述は読めば理解できることを前提として進められています。そうでなければ授業は成り立ちません。そこを疑っている人は、少なくとも教育行政に携わる文科省の官僚の方々や、高等教育の在り方を審議する有名大学の学長や経済界の重鎮といった人にはいませんでした。けれども、私は、それまで誰も疑問を持っていなかった「誰もが教科書の記述は理解できるはず」という前提に疑問を持ったのです。

このような問題意識を持った新井氏は、基礎的読解力を調査するためのリーディングスキルテスト(RST)を開発しました。そうして、2016年までに小学校6年生から社会人までの累計2万5000人のデータを収集することができたそうです。

*その後、RSTは規模を拡大しているようです。
RSTのHPのURL https://www.s4e.jp/merit

RSTで問われる読解力は、「係り受け解析」「照応解決」「同義文判定」「推論」「イメージ同定」「具体例同定(辞書)」「具体例同定(数学)」の7つです。

「係り受け解析」とは、主語述語関係や修飾被修飾関係の理解です。「照応解決」とは、指示語が指す内容の理解です。ここまではAIの得意分野です。

次に「同義文判定」は、2つの違った文章を読み比べて意味が同じかどうかを判定することです。AIは、まだ十分にはこの力を獲得できていないそうです。研究中との由。

「推論」「イメージ同定」「具体例同定(辞書)」「具体例同定(数学)」の4つは、新井氏によれば、意味を理解せず、常識のないAIにはできそうにないものです。

「推論」とは、小学校卒業までに学校や日常生活で身につけると期待される常識と論理を用いて正しい推論をする能力です。RSTの出題例は以下の通りです。

〔推論 例題〕次の文を読みなさい。
「エベレストは世界で最も高い山です。」
上記の文に書かれたことが正しいとき、以下の文に書かれたことは正しいか。「ただしい」、「まちがっている」、これだけからは「判断できない」のうちから答えなさい。
「エルブルス山はエベレスト山より低い」
①正しい  ②まちがっている ③判断できない  (正解 ①正しい )

「イメージ同定」は、文章と図形・グラフ・表を比べて、内容が一致しているかどうかを認識する能力です。出題例は以下の通りです。


*クリックすれば拡大されます。以下、同様です。

正解は、② です。

驚いたのは、当問題の正解率の低さです。中1(145名)が9%、中2(199名)が13%、中3(152名)が15%台、高1(181名)が23%、高2(54名)37%、高3(42名)36% です。4択ですから問題を読まずに回答しても正解率25%のはずのところ、実際には上のとおりの結果なのです。新井氏の分析によれば、能力値5段階のうち4を過ぎるところまでの受検者は、正答の②と誤答の④が拮抗しています。その理由は、④を選ぶ受検者が、「以外の」や「のうち」の文言を読み飛ばすか、用法が分からないか、その両方かのいずれか、ということになります。これは、AIに特徴的な誤読の仕方だそうです。新井氏の分析が正しいのだとすれば、中高生の大半は、AIと同じ読み方をしていることになります。

読解力の項目別の説明に戻りましょう。

「具体例同定(辞書)」「具体的同定(数学)」とは、国語辞典的な定義や数学的な定義を読んでそれと合致する具体例を認識する能力です。出題例は以下の通りです。

〔具体的同定(数学) 例題〕次の文を読みなさい。
「2で割り切れる数を偶数という。そうでない数を奇数という。」
偶数をすべて選びなさい。
①65 ②8 ③0 ④110  (正解 ②③④)

では、調査結果はどうだったのでしょうか。

まずは、問題分野別正答率です。


新井氏が言うとおり、重要なのは、AIにはまだ難しい「同義文判定」とAIが到底できそうにない「推論」「イメージ同定」「具体例同定」の4分野でどれくらいできているか、です。「推論」「イメージ同定」「具体例同定」の順に数字が激減しているのが分かります。AIが苦手なところは中高生も苦手、という印象です。

この印象をさらに鮮やかなものにするのが、新井氏によれば、「ランダム率」です。サイコロを振ったり当て推量で答えたりしても、正答率は4択なら25%、3択なら33%です。そのことをふまえて「ランダム並みよりもましとは言えない受検者」が何割いるかを計算したものが 「ランダム率」です。端的にいえば、「多少できない」や「できない場合がある」ではなくて「まったくできない」と解すべき数値です。結果は以下のとおりです。



同表のなかの中3生についての新井氏のコメントを3つ引きましょう。

恐ろしいのは、AIと差別化しなければならない「同義文判定」「推論」「イメージ同定」「具体例同定」のランダム率です。「推論」は4割、「同義文判定」は7割を超えています。つまり教室で座っている生徒の半分が、サイコロ並みだということです。推論や同義文判定ができなければ、大量のドリルと丸暗記以外、勉強する術がありません。

「エルブルス山はエベレストより低い」かどうかわからない生徒は、「富士山はエベレストより低い」「キリマンジャロはエベレストより低い」「クック山はエベレストより低い」・・・と、あらゆる例を覚えなければならないでしょう。つまり、「一を聞いて十を知る」ために必要な最も基盤となる能力が推論なのです。これが、私たちが「中学生の半数は、中学校の教科書が読めていない状況」と判断するに至った理由です。

数学の定義に従って4つの選択肢のどれがそれにあてはまるかを選ぶ「具体例同定(数学)」のランダム率は、なんと約8割です。「偶数とは何か」「比例とは何か」という定義を読んで、偶数や比例を選ぶだけの、計算も公式も必要ない問題において、中学校3年生の8割がサイコロ並みにしか答えられないのです。こんな状況でプログラミング教育を導入できるでしょうか。プログラミングはまさに数学的な定義のみでできているのですから。


当方が現場で小・中・高の子どもたちを教えていて痛感するのは、いまの子どもたちの多くが文章をきちんと理解して問題に取り組むことができていない、ということです。名詞の拾い読みに近いことをしているとしか思えないような間違い方をするのです。つまり「AI読み」をしているということです。もともとそういう感触はありましたが、新井氏の本書を読んでからは、それが確信に近いものになりました。

「AI読み」は、情報過多社会の病理なのではないでしょうか。いまの子供たちは、心静かに文章と向き合う精神状態をキープするのが困難な社会空間に生きています。それは大人だって痛感していますよね。そこへもってきて、やれアクティブラーニングだ、思考力だ判断力だ表現力だ、プログラミング学習だ、英語4技能だ、グローバルだ、なんだかんだと教育に関係する大人たちが妙にレベルの高そうな要求を次から次に突き付けてくるものだから、ますます、落ち着いて文章を精読する注意力がそがれることになってしまう。いわゆる教育改革なるものをめぐってそんな喜悲劇が繰り広げられているのではないでしょうか。

その喜悲劇の顛末が、AIと不得意分野を共にする「AI読み」の子どもたちの大量発生であるならば、「東ロボくん」に負けた80%の受験生に社会人としての明るい未来を提供できるのかという冒頭の問いに対しては、残念ながら否定的な回答をせざるをえません。子どもたちの危機的な現状に立脚しない、絵にかいた餅のような教育改革は、子どもたちに暗い未来をもたらす百害あって一利なしの愚策であると断じざるをえません。

次世代の子どもたちに幸福な未来をもたらすような、エビデンスに基づく実効性のある公教育を、彼らに提供してあげたいものです。

結論。いまの子どもたちにとってほんとうに必要なのは、神経を過剰に刺激するⅠT化社会の喧騒から精神的に距離を取り、文章とじっくり向き合うことを可能にする静謐な場です。逆説的な物言いになりますが、そういう場こそが、IT化社会にきちんと適応することを可能にする創造的な立脚点になる。そう私は考えます。

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