脱亜論・21世紀意訳
1885年3月16日、福澤諭吉が無記名にて「時事新報」紙上に掲載したる社説を「脱亜論」と呼ぶ。そを、21世紀に生きる吾は、以下に意訳せんと欲す。福澤の意とするところを、今日に活かさんとするがゆえなり。知らず、天国の福澤翁が吾が試みを亮とするやいなやを。請う、読者が吾が無謀なる試みを笑納されんことを。
(原文)世界交通の道、便にして、西洋文明の風、東に漸(ぜん)し、到る処、草も木もこの風になびかざるはなし。けだし西洋の人物、古今に大に異なるに非ずといえども、その挙動の古いにしえに遅鈍にして今に活発なるは、ただ交通の利器を利用して勢(いきおい)に乗ずるが故のみ。故に方今(ほうこん)東洋に国するものゝ為ために謀(はか)るに、この文明東漸(とうぜん)の勢に激してこれを防ぎおわるべきの覚悟あれば則(すなわ)ち可なりといえども、いやしくも世界中の現状を視察して事実に不可なるを知らん者は、世と推し移りて共に文明の海に浮沈し、共に文明の波を掲げて共に文明の苦楽をともにするの外ほかあるべからざるなり。
(意訳)ヒト・モノ・カネが国境を超えて行き交うグローバリゼーションの波は、アジアに次第に浸透し、アジアの至るところ、あらゆるものが、この波を例外なくかぶりつつある。たしかに、欧米の人々は、その人間性において今も昔もそれほどの違いがあるわけではないのだろうが、その言動が近代以前においては愚鈍であったのに対して、近現代においては活発なようにわれわれの目に映るのは、彼らがテクノロジーの発達を利用して勢いづいているから、というだけのことである。それゆえ、いままさにアジアにおいて国家主権を確立しようとする人々のために熟慮するに、このグローバリゼーションがアジアに押し寄せる勢いに精神的に負けて、それを良きものと取り違えるグローバリストという名の奴隷的知識人になど決してならないという覚悟を決めるのは望ましいことである。ナショナリズムの気概を持することはおおいに結構なことなのだ。しかし、仮にも世界が欧米列強中心に動いている現状を冷静に観察して、グローバリゼーションという現実そのものを否定することなどできないと悟った教養人は、時代の避けがたい流れを受け入れ、国民とともにその大波をかぶることを辞さず、国民とともにそのことによる苦楽を味わう腹を決めるよりほかに術はない。
(原文)文明はなお麻疹(はしか)の流行の如し。目下(もっか)東京の麻疹は西国長崎の地方より東漸して、春暖と共に次第に蔓延(まんえん)する者の如し。この時に当り、この流行病の害をにくみてこれを防がんとするも、果してその手段あるべきや。我輩断じてその術(すべ)なきを証す。有害一偏の流行病にても、なおかつその勢(いきおい)には激すべからず。いわんや利害相伴(あいとも)なうて常に利益多き文明に於(おい)てをや。ただにこれを防がざるのみならず、つとめてその蔓延を助け、国民をして早くその気風に浴せしむるは智者の事なるべし。
(意訳)グローバリゼーションは、流行りの病いのようなものである。いつの間にか身近に迫ってくるのである。その所在に気づいてから、慌てふためいてその害を憎み、これを防ごうとしても、はたしてそれは可能であろうか。私は、そんなことなどできやしないと断言しよう。百害あって一利なしの流行病の場合でも、その勢いを防ぐことはでき難い。ましてや、プラスマイナスの両方があり常にプラスの方が勝るグローバリゼーションはますます防ぎようがない。プラスの方が多いのだから、あえてそれを防ごうとせずに、むしろその「蔓延」を促し、一般国民が、その気風に慣れてその恩恵に浴すことができるようにするのが、真の教養人の責務である。
(原文) 西洋近時(きんじ)の文明が我日本に入りたるは嘉永の開国を発端として、国民ようやくその採(と)るべきを知り、漸次に活発の気風を催(もよう)したれども、進歩の道に横わるに古風老大の政府なるものありて、これを如何(いかん)ともすべからず。政府を保存せんか、文明は決して入るべからず。如何となれば近時の文明は日本の旧套(きゅうとう)と両立すべからずして、旧套を脱すれば同時に政府もまた廃滅すべければなり。しからば則ち文明を防ぎてその侵入を止めんか、日本国は独立すべからず。如何となれば世界文明の喧嘩繁劇(はんげき)は東洋孤島の独睡を許さゞればなり。
(意訳)しばし、歴史を振り返ってみよう。西洋の現代文明がわが国に流入しはじめたのは、1854年の日米和親条約の締結による開国からである。それをきっかけに、心ある一般国民はそれを採用するほかはないことを悟り、次第に、国民の間に活発な気風が生まれてくるようになった。しかるに、日本が進歩の道を歩もうとするうえで、古色蒼然とした江戸幕府の存在が障害になることがはっきりしてきた。江戸幕府をそのままにしておくと、西洋文明を本格的に取り入れることができない。なぜなら、西洋の現代文明は、日本の古い制度・しきたりと両立することなどできないし、古い制度・しきたりを破棄するならば、それと同時に江戸幕府も倒壊されるよりほかはなかったからである。ならば、江戸幕府を守るために西洋文明の流入を防ごうとすると、日本は近代主権国家として独立することがかなわない。なぜなら、国際政治のパワー・ポリティクスは、日本が東アジアの孤島として国を閉ざし続け、かりそめの平和をむさぼることを許さないからである。
(原文)ここに於てか我日本の士人は国を重しとし政府を軽しとするの大義に基き、また幸(さいわい)に帝室の神聖尊厳に依頼して、断じて旧政府を倒して新政府を立て、国中(こくちゅう)朝野(ちょうや)の別なく一切万事、西洋近時の文明を採り、独(ひとり)日本の旧套を脱したるのみならず、亜細亜全洲の中に在て新(あらた)に一機軸を出し、主義とする所はただ脱亜の二字に在るのみ。
(意訳)この重大局面において、わが日本の真の愛国的教養人たちは、国家の独立を重んじて、時の政府の存続を重視せず、という大義に基づき、また幸いにもわが国には皇室の神聖尊厳という良き伝統があったのでそれをいしずえにして、江戸幕府を倒し明治維新政府を樹立した。そうして、官民の区別なく国を挙げて西洋現代文明の採り入れに努力し、日本の古い制度やしきたりから脱却するだけではなく、アジア全域において史上はじめて近代国家を打ち立てたのだった。それは、国の方針として「脱亜」の道を進むということでもあったのだ。
(原文)我日本の国土は亜細亜の東辺に在りといえども、その国民の精神は既すでに亜細亜の固陋(ころう)を脱して西洋の文明に移りたり。然(しかる)にここに不幸なるは近隣に国あり、一を支那と云い、一を朝鮮と云う。この二国の人民も古来、亜細亜流の政教風俗に養わるゝこと、我日本国民に異(こと)ならずといえども、その人種の由来を殊(こと)にするか、但しは同様の政教風俗中に居ながらも遺伝教育の旨に同じからざる所のものあるか、日支韓三国相対(あいたい)し、支と韓と相似るの状は支韓の日に於(おけ)るよりも近くして、この二国の者共は一身に就(つ)きまた一国に関して改進の道を知らず、交通至便の世の中に文明の事物を聞見(ぶんけん)せざるに非(あら)ざれども、耳目(じもく)の聞見は以(もっ)て心を動かすに足らずして、その古風旧慣に恋々(れんれん)するの情は百千年の古に異ならず、この文明日新の活劇場に教育の事を論ずれば儒教主義と云い、学校の教旨は仁義礼智と称し、一より十に至るまで外見の虚飾のみを事として、その実際に於ては真理原則の知見なきのみか、道徳さえ地を払うて残刻(ざんこく)不廉恥(ふれんち)を極め、なお傲然(ごうぜん)として自省の念なき者の如ごとし。
(意訳)わが日本の国土がアジアの東の端にあるのは地理的な事実だが、その国民の精神はすでにアジアの、古い習慣や考えに固執して新しいものを好まない態度から脱却し、欧米社会の気風に移りつつある。ところが不幸なことに、近隣に中国と南北朝鮮という三つの国がある。この三国の人民も、わが国民と同様に、アジア文明によってその精神を培った。しかしながら、その人種の由来が異なるからか、同じような文明の中にありながら、遺伝や社会教育環境に異なるところがあったからか、どちらかはよく分からぬが、支那と南北朝鮮とはよく似ていて日本とはかなり異なる。この三国は、ひとりひとりの国民としても国全体としても改進の道を理解しようとせず、ヒト・モノ・カネが行き交う文明世界を目の当たりにしてはいるのだが、そのことで、心が動かされるようなことはまったくなくて、その、古いしきたりや慣習を恋い慕う情は昔とまったく変わっていない。この変化の激しい国際情勢のなかで、教育のことを論じれば「儒教主義」を主張し、公教育の指導方針は相変わらず「仁義礼智」であると称し、すべてにおいて虚飾・外見のみを重んじ、現実世界において、普遍的な、世界に通用する真理原則に関する知見を抱いているわけではない。さらには、彼らが重んじると称している倫理道徳の面においても、実は、残酷な刑罰や恥知らずな慣習が蔓延しており、それを指摘されても、彼らは傲然と構えて自省の念を発しようとはしない。かえって、指摘した相手を悪し様に罵るくらいである。
(原文) 我輩を以てこの二国を視(み)れば、今の文明東漸の風潮に際し、とてもその独立を維持するの道あるべからず。幸にしてその国中に志士の出現して、先ず国事開進の手始めとして、大にその政府を改革すること我維新の如き大挙を企て、先ず政治を改めて共に人心を一新するが如き活動あらば格別なれども、もしも然らざるに於ては、今より数年を出(いで)ずして亡国と為なり、その国土は世界文明諸国の分割に帰すべきこと一点の疑いあることなし。如何となれば麻疹に等しき文明開化の流行に遭(あ)いながら、支韓両国はその伝染の天然に背(そむ)き、無理にこれを避けんとして一室内に閉居し、空気の流通を絶て窒塞(ちっそく)するものなればなり。輔車(ほしゃ)唇歯(しんし)とは隣国相(あい)助くるの喩(たとえ)なれども、今の支那、朝鮮は我日本国のために一毫(いちごう)の援助と為らざるのみならず、西洋文明人の眼を以てすれば、三国の地利相接(あいせつ)するが為ために、時に或(あるい)はこれを同一視し、支韓を評するの価を以て我日本に命ずるの意味なきに非あらず。
(意訳)私見によれば、これら三つの国は、押し寄せるグローバリゼーションの波に臨んで、その独立を維持することは到底かなわない。幸いにも、彼らのなかから心ある真の愛国的な教養人たちが出現し、国難を突破するために、わが国のかつての明治維新のような政治改革を断行して、人心を一新するような目覚しい活躍をするのならば別だけれど、もしもそういうことがなかったら、いまから数年の後に、これら三つの国は、亡国の憂き目に遭い、その国土が欧米列強による分割の餌食になるのは明らかである。なぜなら、流行病のようなグローバリゼーションの不可避の流れに臨みながら、支那と南北朝鮮は、その避けられなさにあえて背を向けて、無理やりにこれを避けようとして国を閉ざし、清新な空気を絶って窒息してしまうからである。『春秋左氏伝』の「輔車唇歯」とは、隣国同士はお互い助け合うべきことを説いた譬え話であるけれど、いまの中国や南北朝鮮は、わが日本国のためにまったく助けにならないどころか、欧米国際社会から観れば、これらの国々と日本とは地理的に隣接しているので、ややもすれば日本はこれらの国と同一視され、これらの極東諸国に対するマイナスの評価をわが日本にも投影されることが避けられない場合が少なからずある。
(原文)例えば支那、朝鮮の政府が古風の専制にして法律の恃(たの)むべきものあらざれば、西洋の人は日本もまた無法律の国かと疑い、支那、朝鮮の士人が惑溺(わくでき)深くして科学の何ものたるを知らざれば、西洋の学者は日本もまた陰陽五行の国かと思い、支那人が卑屈にして恥を知らざれば、日本人の義侠(ぎきょう)もこれがためにおおわれ、朝鮮国に人を刑するの惨酷(さんこく)なるあれば、日本人もまた共に無情なるかと推量せらるゝが如ごとき、これらの事例を計(かぞ)うれば枚挙にいとまあらず。これを喩えばこの隣軒を並べたる一村一町内の者共が、愚にして無法にして然(しか)も残忍無情なるときは、稀(まれ)にその町村内の一家人が正当の人事に注意するも、他の醜におおわれて埋没するものに異ことならず。その影響の事実に現われて、間接に我外交上の故障を成すことは実に少々ならず、我日本国の一大不幸と云いうべし。
(意訳)例えば、中国や南北朝鮮の政府が前近代的な人治主義の措置を講じれば、欧米社会の人々は、日本もまた法治主義以前の国かと疑い、中国や南北朝鮮の知識人たちの志が低くて、科学の本質を理解しないならば、欧米の教養人たちは日本もそれらの国と同じような古色蒼然とした国かと思うだろう。中国人が卑屈な振る舞いをして恥知らずな態度を取れば、日本人の義侠心がその影に隠れてしまうだろうし、南北朝鮮が前近代的な残酷な刑罰を実施したならば、日本人もまたそれと同じレベルの国民だと思われてしまうだろう。このような事例を数え上げればキリがないほどだ。これを喩えれば、軒を接した一村一町内の者どもがみな、愚かで無法者でしかも残虐無情ならば、たまたまその町村内のひとりがまともな振る舞いをしていても、他の多勢の人々の醜い言動と似たり寄ったりだと見なされてしまうようなものである。それが、現実の権力政治に影響を与えて、間接的に日本の外交上に支障を来すことが実際少なくない。それは、わが日本国の一大不幸と言うべきである。
(原文)されば、今日の謀(はかりごと)を為すに、我国は隣国の開明を待て、共に亜細亜を興(おこ)すの猶予(ゆうよ)あるべからず、むしろ、その伍を脱して西洋の文明国と進退を共にし、その支那、朝鮮に接するの法も、隣国なるが故にとて特別の会釈に及ばず、まさに西洋人がこれに接するの風に従て処分すべきのみ。悪友を親しむ者は、共に悪名を免(まぬ)かるべからず。我れは心に於て亜細亜東方の悪友を謝絶するものなり。
(意訳)だから、国際舞台における熾烈なリアル・パワー・ポリティクスのなかで国家主権を守りぬくために、わが国は、隣国が国際常識に目覚めるのを待ち、その後に「東アジア共同体」を興そうなどという妄夢を見ている猶予などまったくあるはずがない。むしろ、その仲間であることから脱して、欧米先進諸国の一員としてそれらと進退を共にし、中国や南北朝鮮とは、隣国だからといって格別情誼に厚い振る舞いをしようとせずに、欧米先進諸国と同じく国際法に則り冷静に接するのが妥当である。悪友と格別に親しくする者は、彼らと同一視されるよりほかはない。私は、心中深く、極東アジア諸国の悪友を謝絶する者である。
読者よ、貴君が吾が意訳を噴飯物と評するは詮なし。ただし、『脱亜論』を訳せしとき、福澤翁が129年前においてすでに近現代日本の地政学的及び歴史的宿命を看破せしを驚きとともにあらためて痛感したるを、吾ここに特筆せん。
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二〇年前の私は、『脱亜論』に対してかなり批判的であった。福澤諭吉の言い方に、帝国主義に対するためらいや抵抗感がまったく感じられないことに対して、言い知れぬ反発を覚えたからである。しかし、いまは違う。当時の日本が置かれていた赤裸々な国際情勢が、福澤の慧眼には、その後の展開を含めてくっきりと映っていたことが、身に沁みて感じられるのである。彼の決然たるもの言いの行間に、そのことが感じられないようでは、日本近代について何も語る資格がない、とまで今の私は思っている。さらに、先の大東亜戦争において、「大東亜共栄圏」をスローガンとして打ち出した段階で、日本政府は、思想のレベルにおいてすでに敗北していたことが分かる。日本はあくまでも、極東の地において、近代主権国家であることの緊張感を保ち続けるよりほかに道はないのである。また、「極西」の地において国家主権を守りきることの孤独に耐ええぬならば、日本は、理にかなったまともな外交が展開できないのである。福澤は、『脱亜論』において、そこまで射程に入れて語っていると、いまの私は感じる。
1885年3月16日、福澤諭吉が無記名にて「時事新報」紙上に掲載したる社説を「脱亜論」と呼ぶ。そを、21世紀に生きる吾は、以下に意訳せんと欲す。福澤の意とするところを、今日に活かさんとするがゆえなり。知らず、天国の福澤翁が吾が試みを亮とするやいなやを。請う、読者が吾が無謀なる試みを笑納されんことを。
(原文)世界交通の道、便にして、西洋文明の風、東に漸(ぜん)し、到る処、草も木もこの風になびかざるはなし。けだし西洋の人物、古今に大に異なるに非ずといえども、その挙動の古いにしえに遅鈍にして今に活発なるは、ただ交通の利器を利用して勢(いきおい)に乗ずるが故のみ。故に方今(ほうこん)東洋に国するものゝ為ために謀(はか)るに、この文明東漸(とうぜん)の勢に激してこれを防ぎおわるべきの覚悟あれば則(すなわ)ち可なりといえども、いやしくも世界中の現状を視察して事実に不可なるを知らん者は、世と推し移りて共に文明の海に浮沈し、共に文明の波を掲げて共に文明の苦楽をともにするの外ほかあるべからざるなり。
(意訳)ヒト・モノ・カネが国境を超えて行き交うグローバリゼーションの波は、アジアに次第に浸透し、アジアの至るところ、あらゆるものが、この波を例外なくかぶりつつある。たしかに、欧米の人々は、その人間性において今も昔もそれほどの違いがあるわけではないのだろうが、その言動が近代以前においては愚鈍であったのに対して、近現代においては活発なようにわれわれの目に映るのは、彼らがテクノロジーの発達を利用して勢いづいているから、というだけのことである。それゆえ、いままさにアジアにおいて国家主権を確立しようとする人々のために熟慮するに、このグローバリゼーションがアジアに押し寄せる勢いに精神的に負けて、それを良きものと取り違えるグローバリストという名の奴隷的知識人になど決してならないという覚悟を決めるのは望ましいことである。ナショナリズムの気概を持することはおおいに結構なことなのだ。しかし、仮にも世界が欧米列強中心に動いている現状を冷静に観察して、グローバリゼーションという現実そのものを否定することなどできないと悟った教養人は、時代の避けがたい流れを受け入れ、国民とともにその大波をかぶることを辞さず、国民とともにそのことによる苦楽を味わう腹を決めるよりほかに術はない。
(原文)文明はなお麻疹(はしか)の流行の如し。目下(もっか)東京の麻疹は西国長崎の地方より東漸して、春暖と共に次第に蔓延(まんえん)する者の如し。この時に当り、この流行病の害をにくみてこれを防がんとするも、果してその手段あるべきや。我輩断じてその術(すべ)なきを証す。有害一偏の流行病にても、なおかつその勢(いきおい)には激すべからず。いわんや利害相伴(あいとも)なうて常に利益多き文明に於(おい)てをや。ただにこれを防がざるのみならず、つとめてその蔓延を助け、国民をして早くその気風に浴せしむるは智者の事なるべし。
(意訳)グローバリゼーションは、流行りの病いのようなものである。いつの間にか身近に迫ってくるのである。その所在に気づいてから、慌てふためいてその害を憎み、これを防ごうとしても、はたしてそれは可能であろうか。私は、そんなことなどできやしないと断言しよう。百害あって一利なしの流行病の場合でも、その勢いを防ぐことはでき難い。ましてや、プラスマイナスの両方があり常にプラスの方が勝るグローバリゼーションはますます防ぎようがない。プラスの方が多いのだから、あえてそれを防ごうとせずに、むしろその「蔓延」を促し、一般国民が、その気風に慣れてその恩恵に浴すことができるようにするのが、真の教養人の責務である。
(原文) 西洋近時(きんじ)の文明が我日本に入りたるは嘉永の開国を発端として、国民ようやくその採(と)るべきを知り、漸次に活発の気風を催(もよう)したれども、進歩の道に横わるに古風老大の政府なるものありて、これを如何(いかん)ともすべからず。政府を保存せんか、文明は決して入るべからず。如何となれば近時の文明は日本の旧套(きゅうとう)と両立すべからずして、旧套を脱すれば同時に政府もまた廃滅すべければなり。しからば則ち文明を防ぎてその侵入を止めんか、日本国は独立すべからず。如何となれば世界文明の喧嘩繁劇(はんげき)は東洋孤島の独睡を許さゞればなり。
(意訳)しばし、歴史を振り返ってみよう。西洋の現代文明がわが国に流入しはじめたのは、1854年の日米和親条約の締結による開国からである。それをきっかけに、心ある一般国民はそれを採用するほかはないことを悟り、次第に、国民の間に活発な気風が生まれてくるようになった。しかるに、日本が進歩の道を歩もうとするうえで、古色蒼然とした江戸幕府の存在が障害になることがはっきりしてきた。江戸幕府をそのままにしておくと、西洋文明を本格的に取り入れることができない。なぜなら、西洋の現代文明は、日本の古い制度・しきたりと両立することなどできないし、古い制度・しきたりを破棄するならば、それと同時に江戸幕府も倒壊されるよりほかはなかったからである。ならば、江戸幕府を守るために西洋文明の流入を防ごうとすると、日本は近代主権国家として独立することがかなわない。なぜなら、国際政治のパワー・ポリティクスは、日本が東アジアの孤島として国を閉ざし続け、かりそめの平和をむさぼることを許さないからである。
(原文)ここに於てか我日本の士人は国を重しとし政府を軽しとするの大義に基き、また幸(さいわい)に帝室の神聖尊厳に依頼して、断じて旧政府を倒して新政府を立て、国中(こくちゅう)朝野(ちょうや)の別なく一切万事、西洋近時の文明を採り、独(ひとり)日本の旧套を脱したるのみならず、亜細亜全洲の中に在て新(あらた)に一機軸を出し、主義とする所はただ脱亜の二字に在るのみ。
(意訳)この重大局面において、わが日本の真の愛国的教養人たちは、国家の独立を重んじて、時の政府の存続を重視せず、という大義に基づき、また幸いにもわが国には皇室の神聖尊厳という良き伝統があったのでそれをいしずえにして、江戸幕府を倒し明治維新政府を樹立した。そうして、官民の区別なく国を挙げて西洋現代文明の採り入れに努力し、日本の古い制度やしきたりから脱却するだけではなく、アジア全域において史上はじめて近代国家を打ち立てたのだった。それは、国の方針として「脱亜」の道を進むということでもあったのだ。
(原文)我日本の国土は亜細亜の東辺に在りといえども、その国民の精神は既すでに亜細亜の固陋(ころう)を脱して西洋の文明に移りたり。然(しかる)にここに不幸なるは近隣に国あり、一を支那と云い、一を朝鮮と云う。この二国の人民も古来、亜細亜流の政教風俗に養わるゝこと、我日本国民に異(こと)ならずといえども、その人種の由来を殊(こと)にするか、但しは同様の政教風俗中に居ながらも遺伝教育の旨に同じからざる所のものあるか、日支韓三国相対(あいたい)し、支と韓と相似るの状は支韓の日に於(おけ)るよりも近くして、この二国の者共は一身に就(つ)きまた一国に関して改進の道を知らず、交通至便の世の中に文明の事物を聞見(ぶんけん)せざるに非(あら)ざれども、耳目(じもく)の聞見は以(もっ)て心を動かすに足らずして、その古風旧慣に恋々(れんれん)するの情は百千年の古に異ならず、この文明日新の活劇場に教育の事を論ずれば儒教主義と云い、学校の教旨は仁義礼智と称し、一より十に至るまで外見の虚飾のみを事として、その実際に於ては真理原則の知見なきのみか、道徳さえ地を払うて残刻(ざんこく)不廉恥(ふれんち)を極め、なお傲然(ごうぜん)として自省の念なき者の如ごとし。
(意訳)わが日本の国土がアジアの東の端にあるのは地理的な事実だが、その国民の精神はすでにアジアの、古い習慣や考えに固執して新しいものを好まない態度から脱却し、欧米社会の気風に移りつつある。ところが不幸なことに、近隣に中国と南北朝鮮という三つの国がある。この三国の人民も、わが国民と同様に、アジア文明によってその精神を培った。しかしながら、その人種の由来が異なるからか、同じような文明の中にありながら、遺伝や社会教育環境に異なるところがあったからか、どちらかはよく分からぬが、支那と南北朝鮮とはよく似ていて日本とはかなり異なる。この三国は、ひとりひとりの国民としても国全体としても改進の道を理解しようとせず、ヒト・モノ・カネが行き交う文明世界を目の当たりにしてはいるのだが、そのことで、心が動かされるようなことはまったくなくて、その、古いしきたりや慣習を恋い慕う情は昔とまったく変わっていない。この変化の激しい国際情勢のなかで、教育のことを論じれば「儒教主義」を主張し、公教育の指導方針は相変わらず「仁義礼智」であると称し、すべてにおいて虚飾・外見のみを重んじ、現実世界において、普遍的な、世界に通用する真理原則に関する知見を抱いているわけではない。さらには、彼らが重んじると称している倫理道徳の面においても、実は、残酷な刑罰や恥知らずな慣習が蔓延しており、それを指摘されても、彼らは傲然と構えて自省の念を発しようとはしない。かえって、指摘した相手を悪し様に罵るくらいである。
(原文) 我輩を以てこの二国を視(み)れば、今の文明東漸の風潮に際し、とてもその独立を維持するの道あるべからず。幸にしてその国中に志士の出現して、先ず国事開進の手始めとして、大にその政府を改革すること我維新の如き大挙を企て、先ず政治を改めて共に人心を一新するが如き活動あらば格別なれども、もしも然らざるに於ては、今より数年を出(いで)ずして亡国と為なり、その国土は世界文明諸国の分割に帰すべきこと一点の疑いあることなし。如何となれば麻疹に等しき文明開化の流行に遭(あ)いながら、支韓両国はその伝染の天然に背(そむ)き、無理にこれを避けんとして一室内に閉居し、空気の流通を絶て窒塞(ちっそく)するものなればなり。輔車(ほしゃ)唇歯(しんし)とは隣国相(あい)助くるの喩(たとえ)なれども、今の支那、朝鮮は我日本国のために一毫(いちごう)の援助と為らざるのみならず、西洋文明人の眼を以てすれば、三国の地利相接(あいせつ)するが為ために、時に或(あるい)はこれを同一視し、支韓を評するの価を以て我日本に命ずるの意味なきに非あらず。
(意訳)私見によれば、これら三つの国は、押し寄せるグローバリゼーションの波に臨んで、その独立を維持することは到底かなわない。幸いにも、彼らのなかから心ある真の愛国的な教養人たちが出現し、国難を突破するために、わが国のかつての明治維新のような政治改革を断行して、人心を一新するような目覚しい活躍をするのならば別だけれど、もしもそういうことがなかったら、いまから数年の後に、これら三つの国は、亡国の憂き目に遭い、その国土が欧米列強による分割の餌食になるのは明らかである。なぜなら、流行病のようなグローバリゼーションの不可避の流れに臨みながら、支那と南北朝鮮は、その避けられなさにあえて背を向けて、無理やりにこれを避けようとして国を閉ざし、清新な空気を絶って窒息してしまうからである。『春秋左氏伝』の「輔車唇歯」とは、隣国同士はお互い助け合うべきことを説いた譬え話であるけれど、いまの中国や南北朝鮮は、わが日本国のためにまったく助けにならないどころか、欧米国際社会から観れば、これらの国々と日本とは地理的に隣接しているので、ややもすれば日本はこれらの国と同一視され、これらの極東諸国に対するマイナスの評価をわが日本にも投影されることが避けられない場合が少なからずある。
(原文)例えば支那、朝鮮の政府が古風の専制にして法律の恃(たの)むべきものあらざれば、西洋の人は日本もまた無法律の国かと疑い、支那、朝鮮の士人が惑溺(わくでき)深くして科学の何ものたるを知らざれば、西洋の学者は日本もまた陰陽五行の国かと思い、支那人が卑屈にして恥を知らざれば、日本人の義侠(ぎきょう)もこれがためにおおわれ、朝鮮国に人を刑するの惨酷(さんこく)なるあれば、日本人もまた共に無情なるかと推量せらるゝが如ごとき、これらの事例を計(かぞ)うれば枚挙にいとまあらず。これを喩えばこの隣軒を並べたる一村一町内の者共が、愚にして無法にして然(しか)も残忍無情なるときは、稀(まれ)にその町村内の一家人が正当の人事に注意するも、他の醜におおわれて埋没するものに異ことならず。その影響の事実に現われて、間接に我外交上の故障を成すことは実に少々ならず、我日本国の一大不幸と云いうべし。
(意訳)例えば、中国や南北朝鮮の政府が前近代的な人治主義の措置を講じれば、欧米社会の人々は、日本もまた法治主義以前の国かと疑い、中国や南北朝鮮の知識人たちの志が低くて、科学の本質を理解しないならば、欧米の教養人たちは日本もそれらの国と同じような古色蒼然とした国かと思うだろう。中国人が卑屈な振る舞いをして恥知らずな態度を取れば、日本人の義侠心がその影に隠れてしまうだろうし、南北朝鮮が前近代的な残酷な刑罰を実施したならば、日本人もまたそれと同じレベルの国民だと思われてしまうだろう。このような事例を数え上げればキリがないほどだ。これを喩えれば、軒を接した一村一町内の者どもがみな、愚かで無法者でしかも残虐無情ならば、たまたまその町村内のひとりがまともな振る舞いをしていても、他の多勢の人々の醜い言動と似たり寄ったりだと見なされてしまうようなものである。それが、現実の権力政治に影響を与えて、間接的に日本の外交上に支障を来すことが実際少なくない。それは、わが日本国の一大不幸と言うべきである。
(原文)されば、今日の謀(はかりごと)を為すに、我国は隣国の開明を待て、共に亜細亜を興(おこ)すの猶予(ゆうよ)あるべからず、むしろ、その伍を脱して西洋の文明国と進退を共にし、その支那、朝鮮に接するの法も、隣国なるが故にとて特別の会釈に及ばず、まさに西洋人がこれに接するの風に従て処分すべきのみ。悪友を親しむ者は、共に悪名を免(まぬ)かるべからず。我れは心に於て亜細亜東方の悪友を謝絶するものなり。
(意訳)だから、国際舞台における熾烈なリアル・パワー・ポリティクスのなかで国家主権を守りぬくために、わが国は、隣国が国際常識に目覚めるのを待ち、その後に「東アジア共同体」を興そうなどという妄夢を見ている猶予などまったくあるはずがない。むしろ、その仲間であることから脱して、欧米先進諸国の一員としてそれらと進退を共にし、中国や南北朝鮮とは、隣国だからといって格別情誼に厚い振る舞いをしようとせずに、欧米先進諸国と同じく国際法に則り冷静に接するのが妥当である。悪友と格別に親しくする者は、彼らと同一視されるよりほかはない。私は、心中深く、極東アジア諸国の悪友を謝絶する者である。
読者よ、貴君が吾が意訳を噴飯物と評するは詮なし。ただし、『脱亜論』を訳せしとき、福澤翁が129年前においてすでに近現代日本の地政学的及び歴史的宿命を看破せしを驚きとともにあらためて痛感したるを、吾ここに特筆せん。
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二〇年前の私は、『脱亜論』に対してかなり批判的であった。福澤諭吉の言い方に、帝国主義に対するためらいや抵抗感がまったく感じられないことに対して、言い知れぬ反発を覚えたからである。しかし、いまは違う。当時の日本が置かれていた赤裸々な国際情勢が、福澤の慧眼には、その後の展開を含めてくっきりと映っていたことが、身に沁みて感じられるのである。彼の決然たるもの言いの行間に、そのことが感じられないようでは、日本近代について何も語る資格がない、とまで今の私は思っている。さらに、先の大東亜戦争において、「大東亜共栄圏」をスローガンとして打ち出した段階で、日本政府は、思想のレベルにおいてすでに敗北していたことが分かる。日本はあくまでも、極東の地において、近代主権国家であることの緊張感を保ち続けるよりほかに道はないのである。また、「極西」の地において国家主権を守りきることの孤独に耐ええぬならば、日本は、理にかなったまともな外交が展開できないのである。福澤は、『脱亜論』において、そこまで射程に入れて語っていると、いまの私は感じる。
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