美津島明編集「直言の宴」

政治・経済・思想・文化全般をカヴァーした言論を展開します。

「路地裏のスーパー・スター」F君のこと  ―――わが青春の恥のかき捨ての記  (イザ! 2013・8・6 掲載)

2013年12月19日 07時47分01秒 | 文学
「路地裏のスーパー・スター」F君のこと  

―――わが青春の恥のかき捨ての記


                                
青年のころ多少なりとも(人によってはフル・ボリュームで)傲慢なところがあった自分に思い当たる人は少なくないだろう。むろん、私もそうだった。

そうして、やがてはそのおごりの鼻っ柱をボキッとへし折る強力な存在が目の前に現れることも、共通する体験なのではないかと思われる。ちなみに、いい年をしていながらなおも傲慢なのは、人生経験からなにも学ばなかったうすのろ野郎か精神病理的な意味での同情すべきボーダーおやじのどちらかであるとは思うが。

ズドンと脳天を直撃する、そういういかづちのような存在を、私は「天才」と称したい。私はこれまでに二人のそういう意味での天才に出会った。そうして、かけがえのない一人の「天才くずれ」に。

二人の天才については、別のところ(拙著『にゃおんのきょうふ』)に書いたことがあるので、ここでは一人の「天才くずれ」について話そう。

彼に出会ったのは、大学時代のことだった。場所は、高円寺駅から歩いて五・六分の、迷路のような路地裏の一角にある、真冬でもゴキブリの徘徊が途絶えたことのない、とある居酒屋だった。彼の名をF君としよう。色白の細面で、広い額のちょっと下にあるクリッとした大きな目が特徴的だった。二枚目と呼ぶにはあまりにも飄逸(ひょういつ)であったし、かといって、三枚目と呼ぶにはあまりにもシリアスで一徹なところのある男だった。誤解を恐れずにいえば、ひょっとこを最高にカッコよくした風貌が、F君のそれであった。

そのとき、私は、高校時代からの友人二人と、一人の女性とF君との五人で飲んでいた。ちなみに、といおうか、なんといおうか、その女性は、あまりきれいではなかったような気がする。その後何度も彼女を交えてザコ寝をしたことがあったのだが、こちらが、ついにその気になることはなかった。むろん、彼女に言わせれば「それはお互いさま」ということになるのだろうが。

私以外の四人の共通項は、小劇場の役者さんをやっている、あるいは、やっていたということだった。そんな事情があって、酒量がかさんできたところで、小劇場の反商業主義は是か非か、というテーマで議論が先鋭化してきた。彼らは、商業演劇を目の敵にしながらも、いまひとつ自己満足の域を脱し得ない小劇場にも問題があると思っていたのである。その錯綜した議論が沸点に達したところで、F君がついに「咆えた」。なんといって咆えたのか、どうしても思い出せないのだが、そのだみ声の怒声が、同年代のそれとは思えないくらいの、熟成した芸域に達するものだったことは、ちゃんと覚えている。理屈抜きに他を圧する迫力があったのだ。「マディ・ウォータースなんかにゃ負けないぜ」と啖呵を切って、かつてのシカゴ・ブルース・シーンで咆え続けたハウリン・ウルフに負けないくらいのカッコいい咆え方だった。

F君は、それに味を占めたのか、あるいは酒を飲んだときの単なる癖なのか、その後ことあるごとによく咆えた。つまり、われわれ五人の矯激な宴は、その後も懲りずに続けられた、ということだ。いまから思えば、さきほど触れた女性がF君にぞっこんだったことが、宴の開催の継続に実のところ少なからず「貢献」していたような気がする。彼女の「F君、カッコいい」というやや唐突で充分に不自然な合いの手を、われわれはシラケながらも許容したのだった(われわれはそのくらいの優しさだったら持ち合わせていたのだ)。だから、彼女のそんな振る舞いが、われわれの共同意識の俎上に、ある種の違和感を帯びた主題として載ることはなかった。もっとも、その女性からそんなふうに言われて、F君が個人的にまんざらでもなかったのかどうかは余人にはうかがい知れないが。ついでながら、後に、F君がその女性と韓国旅行に行ったことが「発覚」した。当然のことながら、われわれの関心は男女としてのそういうことが彼らの間にあったのかどうかという一点にしぼられることになった。そこには、Fよ、お前はこんなブスと寝るほどに性的に飢えていたのか、と彼をなじる気分が紛れこんでいたことは認めなければなるまい。ところが、搦め手からじわじわと追い詰められたF君は、俄然カッと目を見開いたまま、微動だにしなくなった。だから、残念ながらそれはついに解明されることはなかった。そんなわけで、その真偽は、われわれにとっていわば「永遠の謎」と相成ったのだった。

話をもどそう。会って飲み始めてしばらくすると、われわれは、必ずと言っていいくらい、小劇場の反商業主義は是か非かというテーマに話が及び、それをめぐってやおら沸点に達し、F君の「咆え」でエンディングを迎えた。五人で、あまり売れそうにもないハード・ロックの様式美を築き上げたようなものだった。コンサート・ホールは、いつも「ゴキブリ」の居酒屋だった。一番目立つリード・ボーカルの役を演じたのは、もちろん、F君だった。ちなみに、私は、ほかのプレイヤーの演奏を引き立てるためにタンバリンを叩く役割を演じるのがせいぜい、という存在で、なかなかソロ・パートを演じるまでには至らないのだった。思えば、当時はLPレコードの中の一〇分以上のドラム・ソロが興奮を伴って歓迎されるという、無意味に過剰なことが不思議なくらいにもてはやされる時代であった。

飲みの席での、怒声の響きわたる場に参画しているときの倒錯的な快感がいかなるものであったのか。今の若い人たちにそれをうまく伝えることができるかどうか、ちょっと自信がないのだが、音楽におけるノイズがある種の精神的強度を獲得すると、たんなるノイズではなくなって、いわゆる音階を超えたもうひとつの音階になるような感じである、といえばお分かりいただけるだろうか。まあ、ろくなものでないことはいうまでもないのだが。

とはいうものの、なにもここで、F君を「咆え」の天才として称揚するつもりなのではない。それでは天才としてあまりにもマイナーすぎるし、そんなふうに褒められたとしても、当人はちっとも嬉しくないだろう。くしゃみを連発するくらいが落ちである。

私が、彼の秀逸なところとして触れたいと思っているのは、彼の、役者さんとしての演技のことである。F君の演技を目の当たりにしたのは、大学生のときではなく、社会人になってからであった。あるいは学生のときも目にしたのかもしれないが、それは記憶から飛んでしまっている。確か、彼から何度か招待券をもらったような気はするのだけれど。

その演技には、ひとつのパターンがあった。彼はどの芝居においても必ずと言っていいくらいに副主人公の役を演じていた。そして、そういう役柄でなければ表現できないペーソスを、彼はよく表現しえていた。いや、その逆である。彼独特の役者としての持ち味であるペーソスを表現するには、どうしても副主人公というポジションが必要なのであった。そういう意味では彼は、いわゆる器用な役者さんではなかった。なにせ、彼は役者さんとしての体質上の制約から、主人公を演じることができなかったのだから。

彼は、いつもヒロイン役の美少女に片思いをする役を演じていた。次に述べるのは、そういうお芝居のなかの記憶に残ったひとつである。残念ながら、題名は忘れてしまった。

ヒロインは彼の好意を受けとめはするが、その好意は、兄の妹に対するそれとして受けとめられる。そういう受けとめられ方を、彼は穏やかな諦念と一抹の寂しさを噛み締めながら受入れようとする。やがて、自分の命と引き換えに彼女を守らなければならない局面を迎えることになる。彼は、自分の命の炎が消えていく気配を彼女に悟られないようにしながら、彼女を守ろうとする。やがて、この世に悲しみをもたらすパンドラの箱をそっと包み隠すようにして、彼の姿は暗闇に消える。スポット・ライトには、ヒロインの一人ぼっちの姿が浮かび上がる。彼の命がこの世から消え失せたことに気づかないヒロインは、小声でいぶかしげに彼の名を呼び続ける。彼は、ヒロインのことを心から愛していたのだ。亡くなった彼の真摯な思いが、観客の胸に染み透る。私は、彼のそんな演技に思わず目頭を押さえるのだった。

彼の演技は、いわゆるプロの目にはたいしたものに映らないような気がする。その独特の不器用さが、通常は、評価される上での小さくはないマイナス・ポイントになるのではないだろうか。シロウトくさいとかぎこちないとかなんとかいうわけである。

しかし、彼のその独特の、微妙に不器用なところのある演技は――今から思えば、ということなのであるが――私たちの世代(五〇代半ば)の、言葉で表し難い哀しみや想いを繊細に絶妙にその身体性において表現しえていたのだった。そうであったからこそ、私は不意打ちを喰うような状態で目頭を熱くすることになったのだろう(そこに、「Fよ、負けたぜ」と舌打ちする自分がいたことも正直に白状しておこう)。その表現の微細さは、当時において、プロのすれっからしの目からは、こぼれるほかなかったのだ。しかし、F君はそのとき、時代の感性の襞にそっと分け入ることのできる、天才的な演技者の少なくとも一人だったのだ。掛け値なしに今ではそう思う。飲めば咆えるしか能がなかったF君は、役者としては実に繊細な男だった。

では、彼は天才だった、と私は断言できるだろうか。それにきちんと答えるのはとてもむずかしい。なぜなら、彼をめぐる記憶には、わが青春のおごりと錯乱と内なる怒号とが刻み込まれているからだ。要するに、いまだに冷静な判断をすることがむずかしいのである。

彼には、「天才くずれ」の称号こそがむしろふさわしい気がする。彼は、「ただの人」というにはあまりにも過剰であり、かといって、「才能のかたまり」というには、どこかこっけいなところのある、かつての私たちのシンボル、つまり「路地裏のスーパー・スター」だったのだから。

それにしても、ロックバンドのメンバーにたとえれば、タンバリンを叩くだけのような冴えない役割を演じ続けながら、よくも飽きなかったものだと、三〇数年前の自分を振り返っていまさらながらあきれ返っている。思えば、われわれが若いころには、当人たちとしてみれば十分にシラケているつもりだったものの、まだ青春なるものが存在していたのだろう。むろん、そんなろくでもないものは二度と体験したくはない。当時を振り返ると――残念ながら――懐旧の念より、むしろ焦げつくような救いがたい思いがぶり返してくる。だがそれは、青春なるものが存在していたことの裏返された証しなのだろう。青春とは、無駄なことの過剰で無償な蕩尽である、と格言めいたことを言ってとりあえずシメておこう。

ところで、ひとつつけ加えておきたい。私たちが繰り広げた「ロックコンサート」のような乱痴気騒ぎのちいさな舞台となった「ゴキブリの居酒屋」のことである。つい最近、不意に里心がついて、高円寺界隈をうろつき回り、件(くだん)の居酒屋を探してみた。ところが、いくら探してもそれらしいお店は見つからなかった。それらしい場所には、三階建てのマンションがあるばかり。オヤジさんにひとこと「あの頃の馬鹿な自分たちを優しく見守ってくださってありがとうございました」とお礼が言いたかったのだ。どうやら、その機会を永遠に失ってしまったようである。

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