美津島明編集「直言の宴」

政治・経済・思想・文化全般をカヴァーした言論を展開します。

健全野党の登場を望む (イザ!ブログ 2013・7・11 掲載)

2013年12月17日 15時44分51秒 | 政治
今回の参議院議員選挙での、各党の主張を聞いていてしみじみと思ったのは、日本にはいままともな野党が存在しない、ということである。それは、一般国民の政治的な選択肢をいちじるしく狭めるという意味で、きわめて深刻な事態である。言いかえれば、政党の布置の現状が、多様な民意をリアルに反映するものになっていないということである。それは、民主主義の危機であると言っても過言ではないだろう(もっとも、民主主義はいつも危機にさらされているものであるが)。

安倍自民党がとりわけ素晴らしい政党である、というわけではもとよりない。じつは、看過できない問題点が少なからずあると言っても過言ではないのだ。にもかかわらず、それをきっぱりと指摘し、自民党とはひと味異なる、ありうべき国家像を説得力のある言葉で国民に提示し、それを訴えかけることができている野党がまったくないのである。

アベノミクスの圧倒的な実績を目の当たりにして、それにどこかでひるみながら、あれこれとあら探しをして、にわか仕立ての反対論をブチ上げてみるが、どうにもならない。空振り三振の山を築いているというのが実状だ。情けないことである。民主党の細野幹事長が、「国民のみなさん、自民党を勝たせて、それでほんとうにいいんですかぁ」などと悲鳴を上げていたが、負け犬の遠吠えとはまさにこのことで、みっともないこと限りがない。

ポイントは、つい先ほど申し上げたとおり、安倍自民党の、とりわけアベノミクスの「看過できない問題点」をしっかりとわかりやすい言葉で指摘することである。そのためには――逆説を弄するようであるが――アベノミクスの評価すべき点をまずはしっかりと押さえ、それを潔く認めることである。それを認めることこそが、自分たちの政党を、政権を担いうる現実主義に立脚した健全野党に鍛え上げる第一歩なのである。

では、「アベノミクスの評価すべき点」とは何か。それは、その経済政策が株高・円安を導いたことではない。むろん、株高・円安は、株安・円高に苦しんできた日本経済にとって朗報である。しかしながら、それを評価すべき点の筆頭に持ってくるのは、いかにも格調が低い。というのは、それは単にアベノミクスの現象面をとらえた評価にすぎないからだ。その本質への透徹した視線をしっかりと織り込んだ評価をこそ、筆頭に持ってくるべきなのだ。

では、アベノミクスの評価すべき点の筆頭とは何であるのか。それは、先進諸国を含む世界56ヵ国ですでに採用されているインフレ・ターゲット政策を経済政策の柱としてはじめて取り入れたことである。このことによって、日本の経済政策は、やっと世界標準に達したのである。別言すれば、それまでの日本は、経済政策に関しては、いわゆる後進国であったのだ。経済政策後進国として、ああでもないこうでもないと雁首をそろえて、小田原評定を繰り返してきたのが、ここ二〇年の政治の実情であったのだ。

「先進諸国を含む世界56ヵ国ですでに採用されているインフレ・ターゲット政策を経済政策の柱としてはじめて取り入れたこと」をアベノミクス評価の筆頭に持ってくることには、少なくとも次のふたつのことが含意される。

ひとつめ。〈いわゆる「失われた二〇年」は、デフレがもたらしたものである。そうして、戦後の先進国では唯一、デフレが二〇年間も続いてきたのは、政府が誤った財政・金融政策を、とりわけ誤った金融政策を実施しつづけてきたせいである。だから、長期経済停滞から脱却するためには、とにもかくにも、デフレから脱却することが絶対条件であり、デフレから脱却するためには、過去の誤った金融政策を破棄して、世界標準の金融政策を実施するよりほかはない。というのは、厳しい国際経済情勢という同一条件の下、先進諸国のなかで日本だけがデフレに陥っているのは、日本だけがインフレ・ターゲット政策を実施していないからだと結論づけざるをえないからである〉。この見識を是とすることが含意される。

ふたつめ。〈変動相場制においては、自国通貨の対外的な変動が、自国経済にとってプラスに作用するように図ることを、経済政策の柱にするべきである。言いかえれば、通貨の、実体経済に与える影響が、無視できないほどの大きさになるという事態に、政府は真正面から対処することが求められることになる。それゆえ、固定相場制においては、財政政策が景気対策のメインであったのに対して、変動相場制においては、金融政策の、経済政策における相対的な重要性の高まりが、不可避的にクローズ・アップされることになる〉。この見識を是とすることも含意される。

(とはいうものの、若手のエコノミストによく見られるような公共事業の軽視は、正当であるとは言い難い。公共事業がたとえかつてのような景気浮上効果を失ったとしても、国民経済におけるその重要性がいささかなりとも減じたわけではないから。ここ15年間、先進諸国で公共事業を削減し続けてきた馬鹿な国家は日本だけである)

以上を踏まえたうえで、アベノミクスが、インフレ・ターゲット政策を経済政策の核心に据えたことを最大限に評価することが、次の政権を担いうる健全野党の絶対条件である。というのは、今後どの政党によって政権が担われようと、インフレ・ターゲット政策は継続されなければならないからだ。とするならば一見、みんなの党がその条件にかなう健全野党であるかのようである。しかし私見によれば、同党は、健全野党の条件にかなっていないのである。その理由は、以下の説明によって明らかになる。

上の太字でしめした健全野党の絶対条件を踏まえるならば、アベノミクスに対する、次に列挙するような批判が、いわゆる俗論として一笑に付されることは自明である。

いわく「アベノミクスの大胆な金融政策は、行き過ぎたインフレ(ハイパー・インフレ)を招く」。

いわく「大胆な金融政策は、インフレ率の上昇によって名目金利の上昇を招き、そのことによって、日本の財政を圧迫し、場合によってはギリシャのような財政破綻を招きかねない」。

いわく「大胆な金融政策によって、円安・株高が生じたとしても、それは実体経済の好況に結びつかないのだからただのバブルである」。

いわく「大胆な金融政策を行っても、銀行に資金が滞留するだけで貸出は増えない。つまり、効果はない」。

いわく「大胆な金融政策によって物価が上がったとしても、名目賃金は上がらないのではないか」。

いわく「大胆な金融政策によって円安が進むと貿易収支が赤字となり、経常収支も赤字となる」。

いわく「大胆な金融緩和によってインフレになると、年金生活者の生活が脅かされる。アベノミクスは一般国民に恩恵をもたらさない」。

きりがないのでこれくらいにしておこう。それらが俗論なのは、要するに、インフレ・ターゲット政策とはどういうものであるのかについての理解不足に起因する。インフレ・ターゲット政策とは、「中央銀行である日銀が目標インフレ率(2%)を明示し、人々が有する予想インフレ率を目標インフレ率に収束・安定化させ、そのことで実際のインフレ率を日銀が設定する目標インフレ率に誘導・維持するという政策」(片岡剛士『アベノミクスのゆくえ』光文社新書)なのである。この定義をきちんと頭に叩き込めば、俗論に惑わされて右往左往したりしなくなること請け合いである。

残念なことに、野党が展開しているアベノミクス批判は、上に挙げた俗論の枠を出た試しがない。既存野党が健全野党たりえないゆえんである。とくに、民主党海江田代表のアベノミクス批判の程度の低さが無残である。彼は、経済評論家出身ということになっているが、そのころ何を根拠に経済を論じていたのか、首を傾げざるをえない。「この半年で皆さんの暮らしが良くなったでしょうか」「物価が上がっている」「自民党が大勝すると暮らしが危うくなる」。馬鹿じゃないだろうかとしか評しようがない。

アベノミクスの真髄を正確に認識し、自分たちが政権を取った場合、それを積極的に引き継ぐことを言明することによってはじめて、その政党は、安倍自民党の弱点をえぐり出す切符を手にすることができる。

まず、インフレ・ターゲット政策の継続を制度的に確立するために、健全政党は、自民党が今回の選挙公約に日銀法改正を掲げていないことを徹底的に非難することができる。「安倍自民党は、アベノミクスのとりあえずの成功に慢心し、内閣が変わったり、政権が交代したりしても、インフレ・ターゲット政策が変更されることのないように、その継続性を制度的に担保する真摯な努力を怠っている。それが証拠に、今回の選挙公約に、安倍自民党は日銀法改正を掲げていないではないか」と。これは、安倍自民党の脇腹をえぐるくらいの効果のある批判である。いまの安倍自民党は、「支持率の高止まりによって自民党が慢心に陥っている」というイメージが国民の間に定着することを、なによりも恐れていると推察できるからである。

つぎに、インフレ・ターゲット政策の貫徹によって、デフレからの脱却を実現しようとするのであれば、デフレからの脱却の途上にある現段階において、消費税増税などありえないことを、「健全政党」は力を込めて主張することができる。1997年から今まで続いている、いわゆる橋本デフレが、同内閣による消費税率の3%から5%への引き上げによってもたらされたものであることは周知されている。

ところが当時は、消費増税決定に至る3年前から所得税の特別減税(1994年・マイナス5.5兆円)、所得税の制度減税(1995年・マイナス3.5兆円)、所得税の再びの特別減税(1996年・マイナス2.2兆円)、地価税の税率引き下げ(1996年)などの減税措置によって、消費増税実施による心理的な負担感をやわらげて、経済への悪影響をなるべく減らす努力・配慮をしていた。

それに対して、今回の消費増税においては、そういう配慮・努力はまったく見受けられない。それどころか、逆に2012年の個人住民税増税(扶養控除廃止・縮小)、2013年所得税復興増税などの増税措置が講じられている。それゆえ、今回の消費増税の心理的な負担感は、1997年の比ではないことが容易に想像できる。つまり、このまま推移すれば、わたしたちは「橋本デフレ」よりさらに深甚な悪影響を日本経済におよぼす「安倍デフレ」の悪夢を見ることを余儀なくされそうなのである。そうなれば、「デフレからの脱却」も「日本を取り戻す」ことも到底不可能となる。

それゆえ健全野党は、現段階での消費増税実施には断固反対しなければならない。選挙戦で「この期に及んでも、消費増税反対の旗色を鮮明にしない安倍自民党は、本気で〈デフレからの脱却〉や〈日本を取り戻す〉ことに取り組もうとしているとはいえない」と、国民に向かって腹の底から訴えかければいいのである。敵の「目的と手段との不一致」という弱点には、狼のように喰らいつくべきである。

そもそも今回の消費増税は、「社会保障と税の一体化」のために実施され、消費増税分は、すべて社会保障関係費に繰り込まれることになっている。多分に胡散臭い建前論に過ぎないような気もするが、それはそれとして、選挙戦を戦い抜くためには、この建前論を、敵の弱点をえぐり出すための武器として徹底的に利用すべきである。

超高齢社会に突入した日本の社会保障関係費は、一年間に一兆円ずつ自然増している。その事態に対処するためには、歳入と歳出のシステムをなるべく効率的なものにしなければならない。つまり、歳入の漏れをなるべく少なくし、歳出のムダを省かなければならない(何が無駄であるのかは別途考慮する必要がある)。歳入漏れを防ぐには、税金を国税庁が徴収し、社会保険料を年金機構が徴収するといういまの形をやめて、歳入庁を設置して徴収機能を一本化するのがもっとも合理的である。さらに、消費税の税額を記載した納品書を課税事業者に義務付けるインボイス方式とマイナンバー制とを導入する。高橋洋一氏によれば、そうすることで、最大20兆円ほどの徴収漏れが防げるという。20兆円といえば、消費増税による増収分の試算である13兆円を余裕で超える。とすれば、消費増税など必要なくなる。さらには、インフレ・ターゲット政策が軌道に乗れば、GDPが順調に伸びて税収の自然増が期待できる。

こんないいことずくめの歳入庁構想に、自民党は反対する。「社会保障と税の一体化」の核になるものを否定しようとするのである。健全野党なら、ここに喰らいつかない法はない。「自民党は、社会保障と税の一体化に本気で取り組もうとはしていません。それが証拠に、自民党は歳入庁構想に反対しています。社会保障と税の一体化の核心部分は、消費増税などではなく、実は歳入庁構想なのです。なぜなら、同構想が実現すれば、経済に深甚なる悪影響を与えかねない消費増税ではなく、徴収漏れの防止によって、充実した社会保障制度の維持の財源を安定的に確保できるからです。自民党は、なぜ歳入庁構想に反対するのか。それは、同党が、国民を差し置いて、財務省の意向を最優先しようとするからです。財務省は、自分たちの権力の源泉である国税庁を手放すことを快く思っていないのです。歳入庁の設置は、あきらかに財務省の権力を弱体化させます。自民党は、財務省の意を汲んで歳入庁構想に反対しているのです。このように自民党は、あいかわらず官僚との癒着を断ち切れていない。旧態依然とした体質を脱しきれていないのです。財務省べったりだからこそ、財務省が目論む消費増税に対して、安倍自民党は真正面から反対の意を表することができないのです。国民のみなさん、ゆめゆめ騙されてはいけません」。健全野党は、国民に、そう訴えかければいいのである。

健全野党は、以上のことを国民経済に立脚して主張しなければならない。「1%対99%」のうちの「99%」に立脚して主張するのだ。だから、健全野党は、所得再分配の充実を目指す。ここで、健全野党は、「1%」に立脚するみんなの党や維新の会とは袂を分かつ。

安倍内閣は13年度予算案で、生活保護費のうち生活費にあたる生活扶助基準の引き下げを提示している。また、党として、生活保護費の給付水準の10%切り下げを目指している。アベノミクスの成功によって、生活保護を受けていない人々の名目賃金・実質賃金がともに増えていくのに対して、生活扶助基準額を引き下げれば、生活保護を受給している人とそうでない人との格差が広がることになる。それは、人生の挫折者の再チャレンジの道を断つことを意味する。だから、健全野党は安倍自民党の生活保護弱体化政策に断固として反対しなければならない。弱者切り捨て政策は、純粋にマクロ経済的な視点からだけでも、得策ではない。なぜならそれは、有効需要の強制的な削減を意味するからである。

国民経済に立脚することは、国家主権を脅かすものに対して、断固たる態度で臨むことを意味する。揺るぎない国家主権と国民経済をより豊かなものにすることとは、表裏一体の関係にあるからだ。だから、健全野党は、国家主権を揺るがしかねないTPPへの参加には、断固として反対しなければならない。TPP参加の是非は、算盤勘定の問題ではないのだ。

揺るぎない国家主権の確立のために、健全野党は、総合安全保障の充実を目指す。だから、豊かな経済社会の土台を成すエネルギー安全保障への競争原理の安易な導入に、健全野党は、断固として反対しなければならない。健全野党が、電力自由化・発送電分離に与することなどありえないのである。また、エネルギーの安定供給を脅かす、安易な脱原発推進議論に対して、健全野党は一定の距離を取らざるをえない。現状で、エネルギーの安定供給をなしうるのは、火力発電と原子力発電のほかにはないからである。また、メガ・ソーラー関連業者が国民所得を不当にも掠め取るだけの、再生エネルギー固定額買取制度の即時撤廃を、健全野党は、国民経済重視の立場から孤立を恐れずに主張するよりほかにない。再生エネルギーに、安定供給をなす力は現状では想定しがたいからである。健全野党は、国民を裏切るわけにはいかないのだ。

このように、経済政策に限ってみても、安倍自民党は、一見絶好調のようなのだが、実はツッコミどころ満載なのである。私は、その一部分に触れてみただけなのであるが、それを攻めあぐねている既成野党は、不勉強に過ぎる。おそらく、国家百年の経綸が、その腹にないのだろう。それは、国民の行く末を心の底から思いやる惻隠の情が欠けているからである。国を導こうとするリーダーとして、なんとも情けないことである。


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