美津島明編集「直言の宴」

政治・経済・思想・文化全般をカヴァーした言論を展開します。

いまの子どもたちにとって、ほんとうに必要なことはなんだろう(SSKレポートVol.156夏号 掲載)美津島明

2019年08月07日 17時54分56秒 | 教育

*20年度から実施される教育改革が、いま鳴り物入りで喧伝されています。いわく、主体的で対話的な深い学びを実現するアクティブラーニングの導入。またいはく、小学校でのプログラミングの必修化。さらにいはく、「覚えること」から「どう使うか」への教育の重心の移動。ついでにいはく、グローバル人材の育成。云々、云々・・・。子どもたちの実態をよく知る者としては、よくぞここまで現実離れした空疎な言葉を連ねることができるものだと、半ばあきれながら感心することしきり、というのが正直なところです。そんな感想を通奏低音としてふまえていただきながら以下をお読みいただくと幸いに存じます。(編集者 記)

***
当方、新井紀子氏の『AI VS 教科書が読めない子どもたち』(東洋経済新報社)を読んで、子どもを教える現場に身を置く者として、いろいろと思うところがあり、筆をとりました。

新井氏は数学者なので、言っていることが理路整然としています。本書の前半の内容は、以下の通りです。ちなみに氏は、2011年にスタートした「ロボットは東大に入れるか」、略して「東ロボくん」という人口知能プロジェクトの責任者です。ご存知の方もいらっしゃるのではないでしょうか。

① 「真の意味でのAI」とは、「人間の一般的な知能と同等レベルの知能」である。また、厳密な意味での「シンギュラリティ」とは「真の意味でのAIが自分自身よりも能力の高いAIを作り出すようになる地点」である。
② 「真の意味でのAI」には、決して「シンギュラリティ」は来ない。「来る」という主張は、ロマンや空想の類である。
③ なぜなら、AIが人間の一般的な知能と同レベルの知能を実現するには、人間の脳が意識無意識を問わず認識していることをすべて計算可能な数式に置き換える必要があるが、数式に置き換えることができるのは、論理的に言えること、統計的に言えること、確率的に言えることの三つだけであるから。AIはどんなに発達しようともただの計算機に過ぎないのである。端的に言えば、AIは足し算と掛け算に翻訳できないことを処理しえない。

職業柄、「東ロボくん」の成果が気になりますね。

結論からいえば、「東ロボくん」は、いまだに東大に合格できる見通しが立っていません。しかしながらなかなかの善戦ぶりで、最後に受験した「2016年度進研模試 総合学力マーク模試・6月」で5教科8科目の偏差値は57.8。学部にもよりますが、MARCHや関関同立レベルには達しています。

 では、「東ロボくん」は、どうして東大レベルに達することができないのでしょうか。それは、国語・英語が苦手だからだと氏は言います。

 たとえば、東大の2次試験を想定した「2016年度 第1回東大入試プレ」において、数学(理系)は偏差値76.2、世界史で51.8でした。数学は、東大理Ⅲレベルに達しているのです。他方、英語は偏差値50.5、国語は49.7と偏差値50付近で伸び悩んでいます。

 ではなぜ「東ロボくん」は、国語・英語が苦手なのでしょうか。氏によれば、それはAIが「常識の壁」を乗り越えることができないからです。本書から引用しましょう。

私たち人間が「単純だ」と思っている行動は、ロボットにとっては単純どころか、非常に複雑なのです。冷蔵庫から缶ジュースを取り出すという単純な作業を行うとき、人間はとてつもない量の常識を働かしています。缶。ジュースはどこにあるのか。押し入れや靴箱には入っていない。冷蔵庫にあるはずだ。冷蔵庫はどこにあるか。玄関ではない。台所だ。どのドアはどうすれば開くか。そもそも缶ジュースはどのような物か。冷蔵庫のどこを探せば見つかるか。ジュースを取り出すとき、邪魔になるものはどうするか。冷蔵庫にジュースがなかったらどうするか・・・・・、こんな複雑なことを一瞬のうちに判断しているのです。

氏によれば、上記のような、中学生が身につけている程度のごく普通の「常識」は、AIにとって、気が遠くなるほどの膨大な量であり、AIにそれを教えるのは、とてつもなく難しいことなのです。

要するに、AIには「意味」が理解できない、ということです。

AIの本質を成す数学は、論理的に言えること、確率的に言えること、統計的に言えることは、実に美しく表現できる。

しかし、人間なら簡単に理解できる、「私はあなたが好きだ」と「私はカレーライスが好きだ」との本質的な意味の違いを数学で表現することには非常に高いハードルがある。これが、「東ロボくん」の国語・英語の伸び悩みの根本原因である。氏は、そう述べています。それゆえAIは、せいぜい偏差値60あたりが限界だろう、東大合格は無理だろう、と。

数学の限界がすなわちAIの限界。要するに、そういうことですね。

以上をふまえたうえで、次に問題になるのは、ただの計算機に過ぎないAIに代替「されない」人間が、いまの社会の何割を占めているか、です。

というのは、「東ロボくん」は、東大に合格することはできませんでしたが、ホワイトカラーを目指す若者の上位20%に入ることができたからです。

逆に言えば、子どもたちの80%は、「東ロボくん」すなわちAIに負けたのです。人手不足が叫ばれる昨今、今後の10年から20年間、AIが全社会的に急速に広がった場合(当然そうなるでしょう)、私たち大人は、この負けた80%に明るい未来を提供することができるのでしょうか。

この問題意識は、「教科書が読めない子どもたち」という現実の恐ろしいお話につながってゆくのですが、どうやら紙面が尽きたようです。

大急ぎで、新井氏が「中3までの子どもたちが、教科書の内容をきちんと理解できる読解力を身につけることが何より大切であり、あるべき教育改革の核心はそれに尽きる」と主張していることを付け加えておきますが、その詳細については、またの機会に。 

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