美津島明編集「直言の宴」

政治・経済・思想・文化全般をカヴァーした言論を展開します。

「協同組合」をその歴史から考えてみる(その2)(美津島明)

2016年05月04日 14時34分08秒 | 経済


はじめに、前回に述べたことを振り返っておこうと思います。

① 協同組合の定義は、国際協同組合同盟(ICA)によれば、「共同で所有し民主的に管理する事業体を通じ、共通の経済的・社会的・文化的ニーズと願いを満たすために自発的に手を結んだ人々の自治的な組織」である。

② NPOとの共通点は、営利追求を目的とする組織ではないこと。相違点は、NPOが公益を実現し社会的な使命を達成するための組織であるのに対して、協同組合は、「組合員の生活向上」を目的とする組織であること。

③ 史上初の近代的協同組合「ロッチデール先駆者協同組合」は、イギリスで誕生した。産業革命をいち早く成功させた当時のイギリスには、産業資本主義の発達によって、資本家がますます富み栄え、他方、労働者・農民・中小事業者などの弱者がますます経済的に圧迫され窮乏化する、という時代状況があった。すなわち「階層分化の進展」や「階級対立の先鋭化」が生じた。それが、社会的経済的弱者による相互扶助組織としての協同組合の誕生を促した。

④ 製造業に従事する労働者たちは、劣悪な雇用環境と貧困にあえぐとともに、日常的に購入する食料や衣類などの生活必需品の品質の低下や価格高騰に悩まされていた。ひとりの消費者として微弱な存在でしかなかった労働者たちが、団結・連帯することによって、大手の小売業者の巨大なセリングパワーに対抗するバイイングパワーを獲得するために、協同組合を立ち上げた。それが、ロッチデール先駆者協同組合である。

では、次に移りましょう。

ドイツで生まれた信用組合
イギリスで誕生したロッチデール先駆者協同組合は、産業革命期の一八四四年に低賃金・長時間労働を余儀なくされた織物工二八名が、1人1ポンドを拠出して食料品や雑貨等を仕入れ、組合員に販売する活動をはじめることで誕生した、という出自からもうかがえるように生活協同組合の性格が色濃いものでした。

それに対して、金融機関の性格を持つ協同組合、すなわち信用組合は、十九世紀中ごろのドイツで生まれました。当時のドイツでは、イギリスより少し遅れて産業革命が起こりました。産業革命の成功は、生産力の飛躍的な向上をもたらし、資本主義経済が発展することになりました。

資本主義経済の浸透によって、生産設備を所有する資本家(ブルジョアジー)と自らの労働力を売ってそこで働く労働者(プロレタリアート)という階級区分が生じ、都市部では労働者や古くからの商工業者が、また農村部では農民が窮乏化し、貧富の差が拡大していきました。日本で昨年大いに話題になったピケティの言い方を借りれば、野放しにされた資本主義は格差の拡大をもたらす傾向がある、ということです。野放しにされた資本主義とは、法的政治的規制から解き放たれた資本主義、という意味です(そう考えると、規制緩和をまるで良いことであるかのように言い募る連中(構造改革論者)は、正気の沙汰ではありません)。

当時のドイツの銀行は富裕層である資本家のみを顧客としていたため、庶民は銀行取引から見放され、生活に必要な資金を得るには、高い利率で金銭を貸し付ける「高利貸し」に頼らざるを得ない状況に陥りました。その結果、彼らはさらに窮乏化することになりました。

このような悲惨な状況を打開するために、庶民の間で、銀行や「高利貸し」に替わる「自分たち」の金融機関を設立する気運が高まりました。それを受けとめる形で、都市部においてはヘルマン・シュルツェ・デーリチュが、農村部においてはフリードリッヒ・ウィルヘルム・ライファイゼンが、世界で初めての信用組合を設立しました。

それゆえ、シュルツェは「ドイツ市街地信用組合の父」ライファイゼンは「ドイツ農村信用組合の父」と呼ばれています。また、ライファイゼンは「三銃士」やラグビーの世界で使われていた「一人は万人のために、万人は一人のために」の標語を信用組合のモットーとして引用しています。これはいまに至るまで信用組合の精神として語り継がれています。

日本で1900年に誕生した「産業組合」のモデルはドイツの信用組合です。産業組合は、後の農業協同組合・信用金庫・生活協同組合の母体です。

ちなみに、ドイツの信用組合は、イギリスのロッチデール先駆者協同組合が定めた「ロッチデール原則」をもとに設立されています。ドイツの信用組合とイギリスのロッチデール先駆者協同組合とは、精神的に深いつながりがあるのです。同原則を以下に掲げておきましょう。なお同原則は、その後、ICAにおいて四度改定されました。

1.〔購買高による剰余金の分配〕剰余はそれを生み出したものに与えられるべきとの考え。
2.〔品質の純良〕諸物価が上がっても商品価格を上げられない場合、混ぜ物をいれたり重量をごまかしたりすることが多かった、という当時の社会状況を踏まえての規定。
3.〔取引は市価で行う〕適正な利益を得て剰余金を分配するための規定。
4.〔現金での販売制度〕当時の小売店での購買は掛け売りで行われており、多くの労働者は常に多額の負債を抱えていた。それゆえ、労働者を負債から解放するため、現金での取引を義務付けた。
5.〔組合管理での組合員の平等〕投票は、一人一票で委任不可という規定。
6.〔組合の政治的、宗教的な中立の原則〕
7.〔教育の推進〕

資本主義と協同組合
このように協同組合は、資本主義が発達し、商品経済や貨幣経済が社会のすみずみに浸透するなかで、社会的弱者である労働者・市民・農民・中小事業者が、自らの経済的地位の向上を図り、生活防衛をするために心と力を寄せて設立したものです。その思想や事業のあり方が多くの人々の共感を呼んで世界各地に普及していきました。

それゆえ協同組合と資本主義の発達とは切り離しえない関係にあるといえます。端的にいえば、資本主義の発達が協同組合という結社形態を生んだのです。

そこで気になるのは、資本主義とはいったい何なのか、その本質はいかなるものなのか、ということです。その議論抜きに協同組合を論じても、表層をなでるようなものにしかならないのではなかろうかという危惧が湧いてきます。

ということで、以下、資本主義の本質について論じます。一見迂遠なことをしているかのように感じられるかもしれませんが、上記のような思い・動機があることをご理解いただければ幸いです。

マルクス『資本論』の画期性と問題点
管見の限りでは、資本主義の本質について最も深いところに達した議論は、マルクスの『資本論』で展開されています。

念のために申し上げると、私はマルクス主義の立場に寄り添ってそう言っているわけではありません。私は、マルクス主義思想に寄り添うつもりはありませんし、ましてやマルクス主義者であったことなど一度もありません。つまり、イデオロギー抜きでそう言っているのです。

小暮太一氏は、『超入門 資本論』で次のように言っています。

「ぼくは大学で経済学を学び、実社会のルールを(なんとなく)感じ取りました。社会人になってからは、仕事の現場で、経済学の理論が当てはまっていることを確認できる場面がいくつもありました。そして、その経済学の中でも、今の日本経済の″ルール″を最も鋭く、かつ明快に示しているのが『資本論』だということに気づきました。(中略)『資本論』は、共産主義の経済学ではなく、資本主義経済の本質を研究している本です。『資本論』には、ぼくらが今生きている資本主義が、どんなルールで成り立っているかが書かれています。」

マルクスは、否定すべき対象である資本主義の本質を徹底的に究明しようとし、その試みに(ほかの誰よりもはるかに高い程度で)成功したのです。

といっても、いまだにマルクスの名を出すとアレルギー反応を示す人たちが少なくありません。それはとても残念なことではあるのですが、実は、その責任の一端はマルクス自身にあるのです。次に引くのは、資本主義経済の生成・発展・衰退のすじみちを展開した『資本論』第1章第7篇第24章第7節です。そこを引くことで、マルクスに対するアレルギーの惹起が避けえないことを説明しようと思います。

当節においてマルクスは、多数の直接的生産者が土地などの生産手段を収奪される本源的蓄積過程を経て、資本主義的生産様式が自律的に展開する段階に達した後、今度は、直接的生産者ではなくて、多くの労働者を搾取する資本家が収奪される(奪い取られる)段階を迎えることになる、と主張します。なるべく平易な言い方に変えて引きましょう。


「この収奪は、資本主義的生産そのものの内在的諸法則の作用によって、すなわち、諸資本の集中によっておこなわれる。(中略)この集中、すなわち少数の資本家による多数の資本家の収奪の進展により、(中略)貧困・抑圧・隷属・堕落・搾取がますます増大するのと並行して、訓練され結合され組織される労働者階級の反抗もまた増大する。資本独占は、それとともに開花しそのもとで開花した生産手段の集中や社会化された労働の桎梏(足かせ)となる。生産手段の集中も労働の社会化も、資本主義的な外皮とは調和できなくなる一点に到達する。そこで外皮は爆破される。資本主義的私有の最期を告げる鐘がなる。収奪者が収奪される。」


ここでマルクスは、資本主義の展開・発展は不可避的に社会主義革命による自らの終焉(しゅうえん)を招くと宣言しています。資本主義体制を擁護したい立場からは、どうにも呑みこみようのない議論が展開されているというよりほかはありません。

マルクスの『資本論』の画期性を十分に認めながらも、当節で展開された社会主義革命不可避論をいわば「勇み足」として退け、『資本論』から資本主義の原理を純化した形で取り出し、 『資本論』を万人のための知的宝庫・知的遺産として提示したのが、故・宇野弘蔵氏でした。次に宇野経済学に触れるべきですが、残念ながら紙面が尽きたようです。次回は、宇野経済学の目を通して浮かび上がるマルクスの議論の核心に触れましょう。(次に続く)

参考文献等
・ 信用組合の歴史 http://www.zenshinkumiren.jp/deai/deai_history.html 
・ Wikipedia「 ロッチデール先駆者協同組合」の項
・ 『協同組合理論の展開と今後の課題』(清水徹朗 農林金融2007.12)
・ 『超入門 資本論』(小暮太一 ダイアモンド社)
・ 「マルクス経済学における経済発展段階と政策」(太田仁樹)
http://repo.lib.ryukoku.ac.jp/jspui/bitstream/10519/1736/1/r-kz-rn_051_04_005.pdf
・ 『資本論に学ぶ』(宇野弘蔵 ちくま学芸文庫)

(『SSK REPORT』2016年春号 所収)

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