美津島明編集「直言の宴」

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NHK放映「トマ・ピケティ講義」第2回・「所得不平等の構図~なぜ格差は拡大するのか~」(美津島明)

2015年01月30日 08時21分51秒 | 経済
NHK放映「トマ・ピケティ講義」第2回・「所得不平等の構図~なぜ格差は拡大するのか~」(美津島明)

前回、当講座第1回をアップしたところ、ある方から「ぜひ続けてくれ。勉強になる」という励ましのお声をかけていただきました。ありがたいことです。そういうお声をいただくと、がぜんやる気が湧いてきます。

今回は、こむずかしい数式や公式やらは出てきません。安心してごらんください。ピケティが言いたいことをより深く受けとめることができそうなポイントをいくつか前もって述べておきましょう。頭の片隅に置いていただくと、お役に立てるのではないかと思われます。


*社会を所得別に3つのグループに分けるのはなぜか

ピケティは、社会を以下のとおり、3つのグループに分けています。
・上位10% 上位層
・中位40% 中間層
・下位50% 下位層

そうして、各国のそれぞれの階層について、労働所得・資本所得・総所得の分布を通時的および共時的に比較するのです。

では、なぜそういうグループの分け方をするのでしょうか。『21世紀の資本』の言葉に耳を傾けてみましょう。

私の分析はすべてが十分位数(上位10パーセント、中位40パーセント、下位50パーセントなど)といった統計概念に基づいている。これは社会がちがってもまったく同じように定義できるからだ。こうすることで、それぞれの社会固有の困難さや、社会格差の持つ根本的な連続性構造を否定することなく、時間的にも空間的にも厳密で客観的な比較ができる。私の基本的な目的は、時間的にも空間的にもかけ離れた社会、基本的にまったくちがう社会の格差構図を比べることだ。

「十分位数」とは聞きなれない言葉ですね。度数分布で与えられた全データを十等分した点のことのようです。10%が単位になるわけです。だから、「百分位数」は、1%が単位になります。「百分位数」「千分位数」は、上位10%の所得や富(資本・資産)を精密に分析する際、活用されることになります。

ところで、「時間的にも空間的にもかけ離れた社会、基本的にまったくちがう社会の格差構図を比べること」を基本的な目的とするピケティは、「ジニ係数」やOECDなどの格差公式報告書にしばしば引用される「P90/P10」を手厳しく次のように批判しています。まずは、ジニ係数(完全に平等になれば0、絶対的不平等であれば1となる。社会的不平等の程度を示す、統計上の数値)について。

ジニ係数のような総合指標は、格差について抽象的で生気のない視点は与えてくれるが、現在の階層での自分の位置を人々が掴みにくくなってしまう(自分の位置を知るのはいつも有益なことだ。特に分配の百分位(トップの1パーセント――引用者注)に属しているくせにそれを忘れがちな人々はぜひやってほしい。経済学者たちはしばしばそういう人々の典型になっている)。指標はしばしば、元データに例外や矛盾があること、あるいは国同士やちがう時期のデータが直接比較できないという事実(中略)をあいまいにする。

次にP90/P10について。

国や国際機関の公式発表は本来、所得と富の分配に関する公式データベースを提供するはずなのに、実際には故意に不平等を楽観視するような操作が加えられている。

ちなみに、P90/P10とは、対象世帯の所得を100分割したとき、低い方から90%番目(上から10%番目)の世帯の所得金額が、低い方から10%番目の世帯の所得金額の何倍になっているかを表した数値です。

この手厳しさに、私は、ピケティの格差問題に臨む気迫と危機感を感じます。

*資本格差と労働所得格差

資本格差と労働所得格差について、ピケティは、次のように結論づけています。

実際に所得格差を比較すると、最初に気づく規則性は、資本の格差が、労働所得の格差よりも常に大きいということだ。資本所有権(そして資本所得)の分配は、常に労働所得の分配より集中している。

また、この規則性はデータが入手可能なあらゆる国のあらゆる時代に例外なく見られ、しかもその現れ方は常に相当強烈であると述べています。さらに、極度の資本集中は、主に財産相続の重要性とその累積効果によって説明できるとも述べています。

ここでつい思い込みをしがちな点について、ピケティは、注意をうながしています。それは、「労働所得分布のトップ10パーセントや最下位50パーセントを構成するのは、富の分布のトップ10パーセントや最下位50パーセントと同じ人たちではない」ということです。すなわち、「一番稼ぐ『1パーセント』は、一番所有している『1パーセント』とはちがう」のです。例えば、伝統社会では、大富豪は働かなかったため、労働所得の階層では最底辺に属したので、所有と財産保有は負の相関を示しました。現代社会では、これが正の相関を示すことが多いのですが、完全にそうであるというわけではありません。

*「世襲型の中流階級」は、20世紀の大きなイノベーションである

今回の講義ではあまり触れられていない論点を、ひとつ紹介しておきます。それは、真の「世襲(あるいは資産を持った)中流階級」の台頭は、二〇世紀の先進国における分配において、画期的な構造変化だった、ということです。

今から一世紀ほどさかのぼった1900年から1910年までの10年間、ヨーロッパのすべての国で、資本の集中は今日よりもずっと極端でした。最も豊かなトップの10%が実質的に国富のすべてを所有していたのです。そのシェアは90パーセントにもなります。最も豊かなトップ1パーセントだけでも全国富の50パーセント以上を所有していました。イギリスのようなとりわけ不平等な国では、それは60%を超えていました。

それに対して、中間の40パーセントが所有していたのは国富の5パーセントを上回る程度で、現在と同様に当時も5パーセント以下しか所有していなかった最も貧しい50パーセントをどうにか上回る程度でした。このことから、当時は中流階級が存在しなかったと結論づけることができます。

この富の極端な集中は、実は19世紀を通じて見られました。富の90パーセントをトップ10パーセントが所有し、50パーセント以上をトップ1パーセントが所有するという《規模感》は、アンシャン・レジーム期のフランスや18世紀イギリスの伝統的農村社会の特徴だったのです。

それゆえ20世紀における世襲型中流階級の出現は、脆弱なものかもしれませんが、重要な歴史的イノベーションといえるのです。むろん、そのことを過大評価してはなりません。基本的に、中流階級が手に入れたものはごくわずかだからです。このグループは、トップ10%の四倍の人々を抱えながら、富はその三分の1から二分の1しか所有していないのです。つまり、富の格差は歴史的に見て、多くの人々が考えているほど縮小していないのです。しかしそれでも、中流階級が獲得したわずかな富は重要であるし、その変化の歴史的重油性を過小評価してはいけないのです。一例を挙げれば(我田引水になりますが)、子どもを公教育とは別に学習塾に通わせるだけの余裕のある国民が一定数いる社会とそれが衰微する社会とでは、社会経済的な景観が著しく異なるということでしょう。

*戦間期のフランスにおける上位10%の混沌

講義のなかでピケティは、第一次世界大戦から第二次世界大戦までのフランスにおけるトップ1%とトップ10%の総所得格差(労働所得格差と資本所得格差の総合)に触れていますが、そこがちょっと分かりにくいのではないかと思われるので、補足しておきます。

以下いささか話が細かくなりますが、ピケティによれば、フランスにおける格差の歴史的展開は、他の大陸ヨーロッパで見られるそれの典型であり、日本のそれともだいたい共通しているとの由なので、ご理解ください(ちなみに、イギリスの事例は、大陸ヨーロッパと米国の事例の中間にあたる面が多いそうです)。

戦間期のフランスに触れる前に、20世紀フランスの格差の歴史を概観しておきましょう。
① フランスではベル・エポック期(19世紀末から第一次世界大戦勃発まで)以降格差が大幅に減少した。トップ10%が国民所得に占めるシェアは、第一次世界大戦の直前の45~50パーセントから現在は30~35パーセントに減少している。
② 20世紀を通じた所得格差大幅な縮小は、ほぼ最上位の資本所得の減少だけによる。
③ 格差の歴史は長い安定した歴史ではなかった。そこには紆余曲折があり、「自然」な均衡状態へと向かう抑えがたい規則的な傾向などなかった。端的にいえば、20世紀に格差を大幅に縮小させたのは、戦争の混沌とそれにともなう経済的、政治的ショックだった

以上です。

では、本題の戦間期のフランスについて触れることにしましょう。

1914年から45年までの間、トップ1%の総所得のシェアはほぼ一貫して減少し続け、1914年には20パーセントだったのが、1945年にはたった7パーセントにまでじわじわ下がりました。この着実な減少は、資本(と資本所得)がこの期間にほぼ途切れることなく受け続けた一連のショックを反映したものです。

それとは対照的に、トップ10%のシェアは、これほど一貫した下がり方ではありません。特に、1929年から1932年の世界恐慌の時期、トップ1%のシェアは減少する一方だったのに対して、トップ10%のシェアは、1929年の大恐慌後に急増し、それが少なくとも1935年まで続いたのです。

それはなぜなのでしょうか。

その疑問に答えるには、トップ10パーセントのうち、頂上の「1パーセント」と残りの「9パーセント」がまったく違う所得の流れを糧に生きていたことを理解する必要があります。

「1パーセント」の所得のほとんどは、資本所得でした。なかでも、株・債券の配当と利子による所得が大きい。これが、大恐慌によって得られなくなったので、彼らのシェアが急減したのです。

それに対して、「9パーセント」にはいわゆる管理職が多く含まれていました。彼らは彼らの下で働く被雇用者に比べれば、失業に苦しむことはずっと少なかった。そのなかでも、中級公務員と教師は特に順調でした。彼らは、大恐慌の直前の、1927年から31年における公務員賃金引き上げの受益者になったばかりなのでした。そんな彼らにとっては、大恐慌がもたらした厳しいデフレが実質的賃上げとなり、彼らは大恐慌中ですら増大した購買力を謳歌したのです。

それで、国民所得に占める「9パーセント」のシェアは、1929年から35年のフランスで大きく増加し、それが「1パーセント」のシェア減少より大きかったため、トップ10パーセントのシェアが5パーセント以上高まったのです。

*1980年以降のアメリカの格差の爆発的拡大

講義のなかでも、1980年以降の、アメリカにおける格差の拡大の異常さが指摘されています。これは、格差問題のひとつの大きなポイントになるので、本書から該当箇所をいくつか引いておきましょう。

目を引く事実は、20世紀初めから現在にかけての米国は、当初はフランス(そしてヨーロッパ全体)より平等だったのに、やがて著しく格差が拡大したということだ。

1980年以降、米国の所得格差は急上昇した。トップ百分位(超富裕層1パーセント――引用者注)のシェアは1970年代の国民所得の30~35パセントから、2000年代には45~50パーセントにまで増えた。これは国民所得の15ポイント増加にあたる。

私の考えでは、米国における格差拡大が金融不安の一因になったのはほぼまちがいない。理由は簡単。米国での格差拡大がもたらした結果のひとつとして、下層、中流階級の実質購買力は低迷し、おかげでどうしても質素な世帯が借金をする場合が増えたからだ。特に規制緩和され、金持ちたちがシステムに注入した預金で高収益をあげようとする恥知らずな銀行や金融仲介者が、ますます甘い条件で融資するのだからなおさらだ。

米国の国民所得の相当部分――約15ポイント――が、1980年以降最も貧しい90パーセントから最も裕福な10パーセントに移行した。

この社会集団間の内部移転額(国民所得の約15ポイントに相当)が、2000年代の米国のすさまじい貿易赤字額(国民所得の約4ポイント)のほぼ4倍に近いことにも着目してほしい。(中略)だからある種の問題の解決方法は、中国など他の国に求めるより米国国内で探した方がよさそうだということになる。

格差拡大は主に賃金格差が前代未聞の拡大をとげた結果であり、特に賃金階層の頂点、中でも大企業の重役たちがすさまじく高額の報酬を受け取るようになったせいが大きい。

キャピタル・ゲインを除けば、所得階層の上位0.01パーセントでも給与が(アメリカでは――引用者補)主な所得源となる。明確にしておくべき点として最後の、そしておそらく最も重要なものは、非常に高い所得と非常に高い給与の増加が何よりも「スーパー経営者」の出現によるものだということだ。スーパー経営者とは大企業重役で、自分の仕事の対価として非常に高額の、歴史的に見ても前例のない報酬を得る人々だ。

以上を踏まえていただくと、講義の内容がより鮮明になるものと思われます。


<英語版><トマ・ピケティ講義>第2回「所得不平等の構図」~なぜ格差は拡大するのか~


(第3回に続く)

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