NHK放映「トマ・ピケティ講義」第3回・不平等と教育格差~なぜ所得格差は生まれるのか~(美津島明)
今回は、労働所得の格差が分析されます。1980年以降、米国に賃金格差の激増とスーパー経営者の出現をもたらしたものは何か、および、一般的に、各国における賃金格差の歴史的変化を引き起こしているものは何か、についてピケティは講義しています。
その講義内容は、今回特にとても分かりやすいのではないかと思われます。ただし、「労働所得」と「資本所得」と「総所得」(国民所得)とをいつも区別して講義を聞かないと混乱しかねないので、その点、ご注意ください。
では、原典から、参考になりそうなところをピックアップしましょう。
*限界生産力による賃金格差の説明の限界について
オーソドックスな経済学では、労働者の賃金は、その人の限界生産力、すなわち働いている会社や組織の生産高に対するその人個人の貢献と等しいと説明されます。
単純な例を挙げます。マクドナルドのある店舗が新たにAさんを店員として雇い入れた結果月の売り上げが20万円アップしました。すると、それに見合う金額でAさんの月給が決まる。おおむねそういうふうに説明されるのです。もちろん、景気などの外的条件は一定とします。世の中の景気が良くなったので売り上げがアップしたとしたら、Aさんの貢献度が分からなくなってしまいますからね。
経済学の《賃金の格差に、国や時代によって違いがあるのは、教育と技術の競争による》という理論の土台にあたる仮説のうちのひとつは、上記の限界生産力仮説です。もうひとつは、労働者の生産力は何よりもその人の技能と、その社会におけるその技能に対する需給によって決まるという仮説です。
経済学による、このような賃金格差の説明について、ピケティは、
長い目で見ると、教育と技術が賃金水準のきわめて重要な決定要因なのだ。(中略)もしも米国(あるいはフランス)が、良質な専門教育と高等教育機関への投資を増やし、もっと幅広い層がアクセスできるようにしていたら、下層から中間層の賃金を増やし、賃金と全所得におけるトップ十分位のシェアを減らす最も効果的な方法になっていたはずだ。
と一定の評価をしています。しかし他方では、
この狭い文脈における限界生産性理論の主な問題は、簡単に言うと国ごと、時代ごとに見られる多種多様な賃金配分を説明できないことにある。賃金格差の動学を理解するには、各社会で労働市場の働きを管理する制度やルールといった別の要因を導入しなければならない。他の市場と比べても、労働市場は自然な不変の仕組みと止まらぬ技術力で働きが決定される数学的抽象概念から大きくかけ離れている。それは具体的なルールや妥協に基づいた社会的構築物なのだ。
と、その限界を強調してもいます。きわめて常識的な議論をしていると評してよいでしょう。一般に(特に日本の)経済学者は、経済現象を経済の枠のなかで考えたがります(理由はいろいろ考えられます)。しかしピケティは、経済現象を政治システムとの関連で論じたり、社会的文脈にそれを置いてその本質を見抜こうとしたりする志向性が強く感じられます。視野の広さを感じますね。ここでは紹介しませんが、ピケティは、19世紀前半のバルザック『ゴリオ爺さん』を取り上げて当時の経済問題の本質を論じたりもしているのです。
話を戻しましょう。限界生産力の限界については、端的に次のような言い方もしています。
限界生産性や、教育と技術の競争という理論の最も目につく不具合は、まずまちがいなく1980年以降の米国に見られる超高額労働所得の急増を説明できないことだ。
では、1980年以降の米国に見られる超高額労働所得の急増を、私たちはどう理解すればよいのか。その説明の詳細は本講義に譲りますが、端的に言えば、1981年以降のレーガノミクスにおける最高所得税率の劇的な減少の存在抜きにそれは語りえない、とだけ申し上げておきます。
米英独仏の最高所得税率の変遷(1900~2010)
http://cruel.org/books/capital21c/pdf/F14.1.pdf
*アングロ・サクソン現象としてのスーパー経営者の台頭
ピケティは、1980年以降の世界におけるスーパー経営者の台頭をアングロ・サクソン現象として描き出しています。それに関連した発言をいくつかピックアップしておきましょう。
●一般的に、スーパー経営者の台頭はアングロ・サクソン的現象だ。1980年以降、トップ百分位(トップ1%ということ――引用者注)が国民所得に占めるシェアは、米国、イギリス、カナダ、オーストラリアで激増した。
●これらすべての国(米・英・加・豪――引用者注)で、トップ所得の爆発的増大によって、トップ百分位が国民所得に占めるシェア増大のほとんど(少なくともおおむね3分の2)が説明できるようだ。残りは堅調な資本所得で説明できる。英語圏における、ここ数十年の所得格差拡大の最大の原因は、金融、非金融セクターの両方におけるスーパー経営者の台頭なのだ。
ちょっとだけ、数値的な裏付けをしましょう。1970年代、アングロ・サクソン4カ国のトップ1%の国民所得におけるシェアはどこも似たようなものでした。約6パーセントから8パーセントの間に収まっていたのです。
ところが、30年後の2010年初頭、状況は完全に変わりました。米国ではトップ1パーセントが20パーセントを、イギリス・カナダでは14~15パセントを、オーストラリアでは9~10パーセントを占めました。アングロ・サクソン諸国のなかでもアメリカは突出していて、そのトップ1パーセントのシェアは、英加のおおよそ2倍、豪やニュージーランドの約3倍に増大したのです。
では、大陸ヨーロッパと日本はどうか。1980年代以降、これらの国々でトップ1パーセントが国民所得に占めるシェアは、英語圏ほどには増大していません。1980年代には7パーセントだったのが現在は9パーセントになっています。これは見方によっては激増している(2÷7=約30パーセントも増加しているのですから)と言ってもいいのですが、アングロ・サクソン諸国ほどその程度がはなはだしくないとはいえます。というのは、30年間でトップ1%へ移転された所得は、米国では国民所得の10~15パーセントなのに対して、大陸ヨーロッパと日本ではわずか(と比較論としては言っていいでしょう)2、3パーセントだからです。
では、第3回の講義をごらんください。
<英語版><トマ・ピケティ講義>第3回「不平等と教育格差」~ なぜ所得格差は生まれるのか~
今回は、労働所得の格差が分析されます。1980年以降、米国に賃金格差の激増とスーパー経営者の出現をもたらしたものは何か、および、一般的に、各国における賃金格差の歴史的変化を引き起こしているものは何か、についてピケティは講義しています。
その講義内容は、今回特にとても分かりやすいのではないかと思われます。ただし、「労働所得」と「資本所得」と「総所得」(国民所得)とをいつも区別して講義を聞かないと混乱しかねないので、その点、ご注意ください。
では、原典から、参考になりそうなところをピックアップしましょう。
*限界生産力による賃金格差の説明の限界について
オーソドックスな経済学では、労働者の賃金は、その人の限界生産力、すなわち働いている会社や組織の生産高に対するその人個人の貢献と等しいと説明されます。
単純な例を挙げます。マクドナルドのある店舗が新たにAさんを店員として雇い入れた結果月の売り上げが20万円アップしました。すると、それに見合う金額でAさんの月給が決まる。おおむねそういうふうに説明されるのです。もちろん、景気などの外的条件は一定とします。世の中の景気が良くなったので売り上げがアップしたとしたら、Aさんの貢献度が分からなくなってしまいますからね。
経済学の《賃金の格差に、国や時代によって違いがあるのは、教育と技術の競争による》という理論の土台にあたる仮説のうちのひとつは、上記の限界生産力仮説です。もうひとつは、労働者の生産力は何よりもその人の技能と、その社会におけるその技能に対する需給によって決まるという仮説です。
経済学による、このような賃金格差の説明について、ピケティは、
長い目で見ると、教育と技術が賃金水準のきわめて重要な決定要因なのだ。(中略)もしも米国(あるいはフランス)が、良質な専門教育と高等教育機関への投資を増やし、もっと幅広い層がアクセスできるようにしていたら、下層から中間層の賃金を増やし、賃金と全所得におけるトップ十分位のシェアを減らす最も効果的な方法になっていたはずだ。
と一定の評価をしています。しかし他方では、
この狭い文脈における限界生産性理論の主な問題は、簡単に言うと国ごと、時代ごとに見られる多種多様な賃金配分を説明できないことにある。賃金格差の動学を理解するには、各社会で労働市場の働きを管理する制度やルールといった別の要因を導入しなければならない。他の市場と比べても、労働市場は自然な不変の仕組みと止まらぬ技術力で働きが決定される数学的抽象概念から大きくかけ離れている。それは具体的なルールや妥協に基づいた社会的構築物なのだ。
と、その限界を強調してもいます。きわめて常識的な議論をしていると評してよいでしょう。一般に(特に日本の)経済学者は、経済現象を経済の枠のなかで考えたがります(理由はいろいろ考えられます)。しかしピケティは、経済現象を政治システムとの関連で論じたり、社会的文脈にそれを置いてその本質を見抜こうとしたりする志向性が強く感じられます。視野の広さを感じますね。ここでは紹介しませんが、ピケティは、19世紀前半のバルザック『ゴリオ爺さん』を取り上げて当時の経済問題の本質を論じたりもしているのです。
話を戻しましょう。限界生産力の限界については、端的に次のような言い方もしています。
限界生産性や、教育と技術の競争という理論の最も目につく不具合は、まずまちがいなく1980年以降の米国に見られる超高額労働所得の急増を説明できないことだ。
では、1980年以降の米国に見られる超高額労働所得の急増を、私たちはどう理解すればよいのか。その説明の詳細は本講義に譲りますが、端的に言えば、1981年以降のレーガノミクスにおける最高所得税率の劇的な減少の存在抜きにそれは語りえない、とだけ申し上げておきます。
米英独仏の最高所得税率の変遷(1900~2010)
http://cruel.org/books/capital21c/pdf/F14.1.pdf
*アングロ・サクソン現象としてのスーパー経営者の台頭
ピケティは、1980年以降の世界におけるスーパー経営者の台頭をアングロ・サクソン現象として描き出しています。それに関連した発言をいくつかピックアップしておきましょう。
●一般的に、スーパー経営者の台頭はアングロ・サクソン的現象だ。1980年以降、トップ百分位(トップ1%ということ――引用者注)が国民所得に占めるシェアは、米国、イギリス、カナダ、オーストラリアで激増した。
●これらすべての国(米・英・加・豪――引用者注)で、トップ所得の爆発的増大によって、トップ百分位が国民所得に占めるシェア増大のほとんど(少なくともおおむね3分の2)が説明できるようだ。残りは堅調な資本所得で説明できる。英語圏における、ここ数十年の所得格差拡大の最大の原因は、金融、非金融セクターの両方におけるスーパー経営者の台頭なのだ。
ちょっとだけ、数値的な裏付けをしましょう。1970年代、アングロ・サクソン4カ国のトップ1%の国民所得におけるシェアはどこも似たようなものでした。約6パーセントから8パーセントの間に収まっていたのです。
ところが、30年後の2010年初頭、状況は完全に変わりました。米国ではトップ1パーセントが20パーセントを、イギリス・カナダでは14~15パセントを、オーストラリアでは9~10パーセントを占めました。アングロ・サクソン諸国のなかでもアメリカは突出していて、そのトップ1パーセントのシェアは、英加のおおよそ2倍、豪やニュージーランドの約3倍に増大したのです。
では、大陸ヨーロッパと日本はどうか。1980年代以降、これらの国々でトップ1パーセントが国民所得に占めるシェアは、英語圏ほどには増大していません。1980年代には7パーセントだったのが現在は9パーセントになっています。これは見方によっては激増している(2÷7=約30パーセントも増加しているのですから)と言ってもいいのですが、アングロ・サクソン諸国ほどその程度がはなはだしくないとはいえます。というのは、30年間でトップ1%へ移転された所得は、米国では国民所得の10~15パーセントなのに対して、大陸ヨーロッパと日本ではわずか(と比較論としては言っていいでしょう)2、3パーセントだからです。
では、第3回の講義をごらんください。
<英語版><トマ・ピケティ講義>第3回「不平等と教育格差」~ なぜ所得格差は生まれるのか~
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