美津島明編集「直言の宴」

政治・経済・思想・文化全般をカヴァーした言論を展開します。

MMTの変わり種・モスラーの『経済政策をめぐる7つの嘘っぱち』を訳してみました(その35)

2019年10月17日 17時17分29秒 | 経済


*今回から、貿易収支のお話です。何かと話題のMMTですが、MMT論者が貿易収支についてどう語っているかについては、あまり話題になったことがないような気がします。ちなみに、ランダル・レイの話題の新刊本『MMT』(東洋経済新報社)の目次を見てみても、貿易収支に触れている形跡はありません(中身を読んでいないので断言はできませんが)。

正直に言えば、私は本書中のほかのどの議論よりも、モスラ―の貿易収支論に衝撃を受けました。というのは、モスラ―は大胆にも「貿易赤字の額が大きければ大きいほど、それは国民経済にとっては良いことだ」と断言しているからです。私は、貿易収支についてそういう風に考えたことが、これまで一度もありません。そういう議論があることすら不覚にも知りませんでした。財政赤字についてのMMTの議論については、当方、肯定的に受け入れているのではありますが、貿易赤字については、もう少し自分なりに咀嚼する必要がありそうです。MMTならなんでもかんでもOK、とはいきませんものね。しかし、もしもモスラ―の貿易収支論に理があるのだとすれば、貿易政策議論のほとんどは、トンチンカンであることになりますね。


***

ひどい無知による嘘っぱち#5:
貿易赤字は、持続不能な不均衡であり、仕事と国内生産を奪うものである。
事実:
輸入は利益であり、輸出は費用である。貿易赤字はダイレクトに私たちの生活水準を改善する。失業は、政府の財政支出の与えられた水準に対して、税金が多すぎるのが原因なのであって輸入が原因なのではない。


これまでの議論において、正統派経済学は、貿易問題を含めて、ことごとく拙論と反対のことを言っているとあなたはいぶかしがっているかもしれません。貿易問題についてまっとうに考える手がかりを得るために、常に次のことを覚えておいてください。すなわち、経済学において、「受け取ることは与えることよりも良いこと」なのです。それゆえ、大学一年生向けの経済学の授業で教えられるように、

輸入は現実の利益である。輸出は現実の費用である。

別言すれば、外国のだれかに消費してもらうために、現実のモノやサービスを生産することは、もしもその代わりに他国で生産されたモノやサービスを輸入して消費しないならば、自国の経済にとって良いことはなにももたらさないのです。もっとざっくり言いましょう。すなわち「一国の現実の富は、その国が生産し自身のために保ったものすべてに輸入をプラスし、そこから輸出せねばならないものすべてをマイナスしたものである」。

事実、貿易赤字は、私たちの現実の生活水準を引き上げます。どうしてそうではないといいうるのでしょうか。だから、貿易赤字が多くなればなるほど、それに比例して生活水準も高まります。正統派経済学者や政治家やメイン・ストリーム・メディアのすべては、拙論とは逆のことを言っていますけれど。悲しいことですが事実です。

もっとはっきりさせましょう。もし、たとえば、マッカーサー司令長官が第二次世界大戦後に「日本は戦争に負けたので、アメリカに年100万台の車を送りなさい。そうして、その代わりに日本はアメリカから何も得るものはない」と宣言したら、アメリカが被占領国を搾取したと言われて、国際的な大騒ぎになったことでしょう。第一次大戦後、戦勝国側は、ドイツに法外で搾取的な賠償金を要求しました。それが第二次世界大戦を引き起こしたとされ、戦勝国側は非難を浴びました。もちろんマッカーサーは、そんなことを日本に対して要求しませんでした。しかし60年間あまりにわたって、日本は実際私たちに約2億台の車を送り続けています。一方、アメリカは、日本にほとんどなにも送ってはいません。そうして、驚くべきことに、日本は、これを日米“貿易戦争”における勝利と受けとめています。そうして、アメリカはこれを敗北と受けとめています。私たちは輸入した日本製の車を持っているのです。で、日本は、彼らの獲得したドルが振り込まれた口座を示すFRBの銀行取引明細書を持っているのです。

*モズラーは、「アメリカは、対日貿易赤字によって、モノやサービスを享受したが、日本は、単なる“数字”をゲットしただけのことである」と言いたいのでしょう。ほかのところで展開されている貨幣観、すなわち、「貨幣とは、債権と債務の単なる記録・残高・履歴にほかならない」という考え方を貿易収支にも広げると、そういう言い方になる、ということでしょうか。

同じことは、中国についても言えます。中国は、私たちのお店の棚を中国製品でいっぱいにしましたが、FRBの銀行取引明細書を別にすれば、なにも輸入していないので、アメリカに勝ったと思っています。そうして、私たちのリーダーたちは、アメリカが負けたのだと認め、そう考えてもいます。これは、大規模な狂気です。

*この考え方を、目下展開中の米中経済戦争にダイレクトに当てはめるわけにはいかないような気がします。これ以上は、とりあえず、ペンディングです。

さて、朝刊の見出しや解説を見てみましょう。

・アメリカは、貿易赤字に“苦しんでいる”。
・貿易赤字は、持続不能な“不均衡”である。
・アメリカは、中国のせいで仕事を失っている。
・アメリカは、酔っぱらった水兵のように、消費するための元金(もとがね)を海外から借りている。そうやって、国内の貯蓄を枯渇させ次世代を貧乏にする。

それらを一瞥して思うのは、すべて無意味である、ということです。私たちは、貿易赤字から、“とてつもなく”利益を得ているのです。諸外国は、私たちが彼らに送るものすべてをはるかに超えて、何百億ドルの価値の現実のモノやサービスを私たちに送り続けているのです。諸外国は、生産し輸出する。一方、私たちは輸入し消費する。これは、是正しなければならない持続不能な不均衡なのでしょうか。なぜ私たちは、これを終わらせなければならないのでしょうか。諸外国が、見返りに何のモノもサービスも求めることなく、私たちに喜んでモノやサービスを送ってくれる限り、なぜ私たちはそれらを受け取るべきではないのでしょうか。なんの理由もありません。私たちのリーダーたちは、大きな現実の利益を国内の失業という悪夢に変えてしまうところの、貨幣システムに対する致命的な誤解をしているのです。
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適切な経済用語について

2019年10月16日 16時02分15秒 | 経済


目下、モスラ―のMMT論の訳出に自分なりに精を出しております。なかなかほかの本に目を通す時間が取れないのですが、今日、ちょっとした時間を利用して、三橋貴明氏の『知識ゼロからわかるMMT入門』(経営科学出版)の前半にざっと目を通しました。

氏の、適切な経済用語を使うべきであるという主張に、「なるほど」とうなずけるものがあったので、それに触れておこうと思います。

・「Government Debt」は、「国の借金」ではなくて「政府の負債」である。
これは前々からの、氏の主張ですが、これをはじめて指摘したのは、管見の限りですが、三橋氏と思われます。そのことはいくら強調してもし足りない。と同時に、その指摘を無視して「国の借金1000兆円」を言い募る大手マスコミに対しては、腹に据えかねるものがあります。というのは、「国の借金」というあいまいな言葉を使い続けることによって、「増税やむなし」の雰囲気を醸成し、財務省の緊縮財政・増税路線の応援団を演じ続けているからです。国民経済の破壊に加担しているからです。「政府の負債」という明確な言葉遣いをすれば、「政府の負債」=「国民の資産」という実態が明らかになるのです。

・「国債発行残高」と「財政赤字」は違うものである。
なんでもかんでも「赤字」「赤字」と言い募って、国民の不安をあおり続ければなんでもいいというものではありません。「国債発行残高」は、おおざっぱに言ってしまえば「政府の借金」の別名であって、ストック概念ですが、「財政赤字」は政府の歳出と歳入の差額であって、フロー概念です。これまたおおざっぱではありますが、ストック概念は貸借対照表に対応し、フロー概念は損益計算書に対応します。こういう基本的なところをあいまいにすると、ごくふつうにわかることもわけがわからなくなってきます。

・「国債の貨幣化」(Monetization)を「財政ファイナンス」と訳すのは変だ

中央銀行の国債買取を日本では「財政ファイナンス」と呼んでいますが、これでは字面を見ただけでは抽象的すぎて何のことを言っているのかわからなくなり、意味もなくあいまいになるだけです。Monetizationというはっきりした原語があるのですから、「国債の貨幣化」と表現したほうが、事態をすっきりと言い当てることになります。

・「Money Creation」は、「信用創造」ではなく「貨幣生成」と訳すべき

これまたごもっともなご指摘です。「貨幣生成」という訳語によって、「銀行には、お金を創り出す力がある」という事実(これは、イングランド銀行が言明していることです)を明瞭にするという好ましい効果があります。訳語の異同は、貨幣観の根幹に関わるのです。

・MMTは、「現代貨幣理論」であって「現代金融理論」ではない

三橋氏が指摘するまで、MMTを「現代金融理論」と訳す向きがあることを知りませんでした。「Modern Monetary Theory」の正しい訳は「現代貨幣理論」以外考えられないので、啞然としてしまいました。素人を煙に巻くような「経済屋」が跋扈する日本の退廃した知的状況を象徴していると思います。
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MMTの変わり種・モスラーの『経済政策をめぐる7つの嘘っぱち』を訳してみました(その34)

2019年10月15日 16時57分22秒 | 経済

少子高齢化との関連で語られる社会保障問題は、上記のごとく、もっぱら、モスラ―のいわゆる「お金の支払い」の問題として語られています。

*今回で、「Deadly Innocent Fraud」の#4は、終了です。

アメリカ政府はドルを持っているわけではないし、持っていないわけでもないことを、私たちは知っています。政府は、財政支出をする場合、私たちの銀行口座の数字を増やします。課税する場合は私たちの銀行口座の数字を減らします。そうして増税は、私たちの購買力を低下させることに資するのであって、政府に財政支出の財源を与えることに資するのではありません。購買力が高すぎて、経済の過熱状態を引き起こすとき(すなわち、私たちが、経済と呼ばれるあの大きなデパートで売り物すべてに対して過剰な購買力を有するとき)、増税は妥当な措置です。しかしそうではない場合、すなわち、購買力が落ち込んで、産出の完全雇用水準で売り物として提供されるすべてを買うのに必要とされるものより過小である場合、事態は悪化します。

そうして、次のようなストーリーは、事態をさらに悪化させます。

どんな正統派経済学者でも、私たちが今日生産できる現実の財のなかで、50年後に役立つものなどほとんどないことに同意するでしょう。彼らは「私たちが子孫のためにできうるただひとつのことは、彼らが彼らの将来の需要に対応しうる知識と技術を持っていると確信するためにベストを尽くすことである」とも言うでしょう。残念なのは、彼らがそれに続けて「将来に備えて公的な基金を“節約する”ために、私たちができうるのは、今日の支出を削減することである」と主張することです。その主張は、わたしたちの経済を後戻りさせ、経済成長と雇用とを衰退の道に導き入れるのです。もっとひどいことがあります。誤った道に私たちを引き入れようとする、われらが指導者たちは、真っ先に削減すべきは公教育関連の出費であると主張します。彼らは、今後50年私たちの子孫を助ける教育はなされるべきだということに賛成していたはずなのですが。とても残念なことです。

もしも政策立案者たちが実際に貨幣システムを運営するハンドルを握ったならば、彼らは、問題は社会的公平性とインフレーションであって、政府の支払い能力などではないことを悟ることでしょう。もしも彼らがリタイアした年配者たちにいつでももっと所得を与えたいと思っているとすれば、それは単なる利益向上の問題なのであって、本当の問題は、私たちが、リタイアした年配者たちにどんな水準の現実の資源の消費を供給したいと思っているのかであることを悟ることでしょう。すなわち、どれだけの量の食べ物を彼らに配分したいのか。だれだけの家を。衣類を。電力を。ガソリンを。医療サービスを。これらは現実的な問題です。そうして彼らにより多くを与えることは、私たちの取り分が減ることを意味します。私たちが年配者たちに配分する財とサービスの合計は、私たち現役世代にとっては現実的なコストであって、お金の支払いではありません。支払いは、銀行口座の数字にすぎないのですから。

そうしてもしも私たちの指導者たちが将来について心配しているのであれば、彼らは、その目的のためにもっとも価値のあるタイプの教育をサポートすべきなのです。しかしながら、彼らは、貨幣システムを理解していません。彼らがそれを理解するまでは、それを“正しい方法で”見ようとはしないでしょう。

とにもかくにも、社会保障をめぐる「ひどく無知な嘘っぱち」は、現在と将来の幸福に大打撃を与えているのです。

*冒頭の繰り返しになりますが、少子高齢化との関連での社会保障問題は、もっぱら、「お金の支払い」の問題として語られています。しかし、この問題の核心は、銀行口座の数字の増減ではなくて、社会的供給能力の問題なのですね。需要に対して社会的供給能力が過小であれば、私たちは、リタイアした年配者たちと過小な生産物をめぐるゼロサムゲームを演じ、過剰なインフレが常態化した社会に生きることになる、ということです。それを避けるにはどうするか、がこの問題の核心なのですね。
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MMTの変わり種・モスラーの『経済政策をめぐる7つの嘘っぱち』を訳してみました(その33)

2019年10月14日 21時18分31秒 | 原発

この手の「少子高齢化=増税やむなし」の悪質なキャンペーンが政府により大々的に展開されています

*訳していて思うのですが、モスラ―は、活発でシャープな知性の持ち主です。簡にして要を得た読書やマネー・ビジネスや政財官界のVIPとの議論などで鍛え上げられたのでしょう。

では、スティーヴの最後の言葉を議論の俎上(そじょう)に載せましょう。彼の、社会保障民営化の提案は、どんな株がアメリカ国民に投資され保有されようとも、株の持ち分を増やすことにはつながりません。だから、マクロレベルにおいて、彼の提案は、「国民が政府よりも上手に投資することができる」ケースでは決してありません。そうしてスティーヴは、それを知っているのです。でも、彼にとってそれは重要なことではありません。彼は、その非論理的なお話しを宣伝し続けています。彼は、自分のお話しが非論理的であることをよく分かっているのです。で、彼はメイン・ストリーム・メディアから批判をまったく受けていません。メイン・ストリーム・メディアは、株が社会保障よりも有利な投資であるかどうかについて世論をミスリードし、政府が売らなければならない国債が投資に使われうる貯蓄を奪い去るとか、国債を売ることで増える政府の負債が政府の支払い不能をもたらすとか、そのほか、私たちが「無知による嘘っぱち」と呼んでいる無意味なことを性懲りもなく垂れ流しています。

不幸なことに、それらの「ひどい無知による嘘っぱち」は、理にかなった分析の機会を台無しにし、あいまいにし続けています。

というか、事態は、悪化しています!“世代間の”物語は、以下のように語り継がれています。

「問題は、今から30年後に、もっと多くの人々が労働の第一線から退き、それと比例して、働き手が少なくなること(それ自体は、事実です)によって、社会保障信託基金が資金不足に陥ることである(まるで、信託基金の数字が、政府の支出能力の制約条件であるかのような口ぶりです。馬鹿げたことですが、人びとはそう信じています)。だから、この問題を解決するために、私たちは、仕事をリタイアした年配者たちに、彼らが必要とする財やサービスの支払いをするのに十分な額のお金を供給しうる方法を明らかにすることが求められている」

「 」の中の最後に述べられていることは、事態を悪化させます。減少する労働人口と増加する退職者数の問題は「依存度」の問題であるとされ、それは、退職者たちに彼らが必要とする十分な資金を持ちうると確信させることによって解決されると考えられています。

さて、こう考えてみましょう。いまから50年後、働いている人は一人で、3億人の働いていない人たちがいるとしましょう(話を誇張して、ポイントを明らかにしようというわけです)。そのただ一人の働き手は、すさまじく忙しい。だってね、すべての食糧を育てなくてはならないし、すべての建物を建設し維持しなければならないし、洗濯屋もしなければならないし、べての医療ケアもしなければならないし、テレビのショウ番組も作らなければならないし、など、など、など。こんな状況で、3億の働いていない人たちが、彼に支払うお金を持っていると確信できるのがいちばん重要な事柄だなんて本当だろうか?私は、そうは思いません。この問題の核心は、断じてお金ではないのです。

最も重要なのは、この一人の男が、すべてが順調に行われうるほどに、十分に賢くて、生産的で、元手とソフトウェアを十分に持っていることです。さもないと、リタイアした3億人は、どれほどお金を持っていようとも、深刻なトラブルに直面することになります。だから、本当の問題は、もしも残っている労働者たちが十分に生産的でない場合、全般的な財とサービスの不足に直面することなのです。支出の増加は、物価の高騰をもたらすのであって、さらなる財とサービスを創出するのではありません。正統派経済学の物語は次のとおりです。

「ゆえに、政府は、将来の支出に備えて基金を蓄積するために、財政支出の削減と増税に励まなければならない」

ここまで読み進めてこられたあなたが、これは馬鹿げた話であって、この「ひどい無知による嘘っぱち」が、私たちの幸福を損ない次世代の生活水準低下を招くのに精を出していることは明らかであることを知っていると、私は信じています。

*今回の論点は、社会保障と少子高齢化のつながりを考えるうえでの基本視座を提供してくれています。それを一言でまとめれば《マクロ的視野において、この問題を考えなければ、政策担当者は、緊縮財政と増税路線に行きつく》となるでしょう。いまの日本の政策担当者たちは、このマクロ的視野を獲得することができていないので、ことごとく緊縮財政と増税路線に陥っている、ということになるでしょう。恐ろしいことです。彼らには、残念ながら、真の知性がないのです。


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MMTの変わり種・モスラーの『経済政策をめぐる7つの嘘っぱち』を訳してみました(その32)

2019年10月12日 22時16分41秒 | 経済

スティーヴ・ムーア
*今日の暴風雨のせいで、仕事はできませんでした。でも、おかげで、当英文の訳業は進みました。犬の散歩はけっこう大変でしたが。犬の、「散歩したい」という欲求は、「花も嵐も踏み越えて」いるようです。呆れながらも、どこかで感心しております。

スティーヴ・ムーア

*スティーヴ・ムーアは、スティーブン・ムーアともステファン・ムーアとも表記されることがあります。2019年5月に、トランプ大統領の、米連邦準備理事会(FRB)理事への指名を辞退した人物です。ムーアは大型減税を立案するなどトランプ氏と近く、利上げ反対でも足並みをそろえていました。5月の辞退の背景には、多額の税金未納問題などが報じられ、議会上院から承認を得られるか不透明な状況がありました。アンチ・トランプの嵐の犠牲者ともいえましょう。モスラーは、今回アップした文章のなかで社会保障民営化との関連でムーアを強く批判していますが、トランプ大統領はツイッターで「経済成長を志向する優れたエコノミストで、本当に優れた人物」と高く評価しています。2016年の大統領選でトランプ陣営の顧問を務めるなどトランプ氏に極めて近い側近として知られていました。

いまやあなたは、私が数前にスティーヴ・ムーアと取り交わした会話について読む準備ができました。彼は、ケイトー研究所の経済学部門の元リーダーであり、いまは、CNBCテレビ局のレギュラーであり、長年社会保障の民営化を支持しつづけてきた人物でもあります。スティーヴは、私の会議のひとつで
社会保障について語り合うために、フロリダにやってきたのです。彼は、人びとに、社会保障の支払いをすることよりも、株式市場にお金をつぎ込ませることを求める話題を提供しました。

*ケイトー研究所について、Wikipedia に次のような説明があります。
ケイトー研究所/財団は、アメリカ合衆国ワシントンD.C.に本部を置く。リバタリアニズムの立場から「公共政策と政府の役割に関して公に疑問を呈する」かたちで公共政策に「伝統的なアメリカの原理としての、小さな政府、個人の自由、市場経済、平和などの拡大のための議論を深める」ことを使命として掲げるシンクタンク。

彼によれば、人びとが退職したら、時間の経過とともに良くなる。そういうことを議論しました。次に、彼は、一時的な財政赤字の増加は、価値あるものであり、その後の拡張的な経過のなかでペイすると主張しました。なぜなら、株式市場につぎ込まれたすべてのお金は、経済成長と繁栄に貢献するから、と。

その点について、私は疑問を投げかけ、やり取りをしました。

ウォーレン:スティーヴ、政府に社会保障税という形で君のお金をあげ、その後それを取り戻すのは、機能的には、米国債を買うのと同じだよね。君は、政府にお金をあげ、その後それを取り戻す。ひとつだけ違うのは、得られる利回りだ。
スティーヴ:そのとおりだね。でも、米国債を手にすると、社会保障よりも、より多くの利子を手にするよ。社会保障から君は、たった2%の利子しかもらえない。社会保障は、個人にとって、筋の悪い投資だといえるね。
ウォーレン:そのとおりだね。投資については後で触れるよ。いまは、この話題を続けさせてくれ。君の民営化提案によれば、政府は、社会保障の支払いを減らし、被雇用者は、その減った分のお金を株式市場につぎ込むんだよね。
スティーヴ:そのとおり。ひと月当たり約100ドルだ。当人が承諾するならば、高品質の株式も購入できる。

*「高品質の株式」は、「high quality stocks」の訳です。おそらく、ハイリターンの株式のことを指しているものと思われます。あまり、自信がありません。

ウォーレン:了解。で、合衆国政府・財務省は、税収減を補うために、追加の財務省証券を発行し売らなければならない、と。
スティーヴ:そのとおり。その税収減は、将来における社会保障の支払い減をもたらすんだ。
ウォーレン:そうだね。で、私の論点を続けると、株を買う被雇用者は、ほかの誰かからそれを買うんだよね。そうやって、株の持ち主が変わるわけだ。つまり、新たなお金が経済活動のなかに投入されるわけではない。
スティーヴ:そのとおり。
ウォーレン:そうして、株を売った人は、そうやって金を得る。そうしてその金で国債を買う。
スティーヴ:そうだね、そんなふうに考えるのもOKだ。
ウォーレン:とすると、被雇用者は、社会保障にお金をつぎ込むのをやめ、その代わりに、株を買った。で、君が同意してくれたように、社会保障にお金をつぎ込むことと米国債を購入するのは機能的に同じことだったよね。で、株を売った人は、新しく発行された米国債を購入する。これをマクロレベルから見るなら、起こっているのは、株と米国債の持ち主がそれぞれ変わっただけのこと。社会保障を米国債と見なすことが妥当ならば、発行された株式と発行された米国債は、依然として同じまま。とすると、取引費用の発生を別にすれば、経済活動や貯蓄総額やほかのすべてに対して、社会保障の民営化が与える影響はまったくないことになるんじゃないのかい?
スティーヴ:でも、社会保障に加盟している人たちにしてみれば、社会保障の民営化は事態を変化させるものなんだ。
ウォーレン:そうだね。ほかの人たちからすれば、正確には、正反対の変化だけれどね。

*「ほかの人たちからすれば、正確には、正反対の変化だけれどね」は、ちょっと分かりにくいですよね。原文は「With exactly the opposite change for others」です。おそらく、「君が言う変化は、意味がないものだ」という意味のことを言っているのでしょう。

そうして、こういったことについて、合衆国議会や正統派経済学者たちは、まったく議論しないよね。どうやら君は、民営化の提案の中身よりも、むしろ「民営化」というレトリックに向けて、イデオロギー的なバイアスをかけているようだね。
スティーヴ:僕は、民営化が好きだ。なぜなら、それを信じているからね。君は、政府よりもっと上手に自分のお金を投資できると僕は信じているよ。

*トランプ大統領が、どれほどスティーヴ・ムーアを高く評価しようとも、社会保障の民営化の議論に関しては、ムーアは、モスラ―に原理的に論破されてしまったようですね。この議論は、他人事ではないと考えます。
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