「あの大国は、決して他国によって征服されることはない。もし、支那が亡ぶようなことがあるとすれば、それは自滅であって、外からの攻略によるものではない。
いっとき支那を亡ぼし、その主権を掌握することができたとしても、あのような不検束な(抑制がきかない)大国を統治し、これをある程度の節度の下に服させようとするのには、たいへんな人力と財力とを合わせて要する」
大隈重信 1915年「日支民族性論」
極めて鋭い指摘である。
中国に対してはこのようなリアルな観点から付き合うべきであった。
しかし軍部は相手をくみしやすしと見たのか、満州事変(1931年)を起こし、政府も拱手傍観しズルズルとぬかるみに嵌りこんだ。
最終的にはアメリカから「ハルノート」を突き付けられて太平洋戦争に突入した。
中国共産党100年の記念式典が行われた。
100年前と言えば中国が欧米列強や日本から侵略を受け疲弊している中で、清王朝を倒すべく内乱が発生した時期だ。
蒋介石の国民党と毛沢東の共産党が覇を争っていた。
結果太平洋戦争終結による日本軍敗退で、毛沢東の中国共産党が勝利した。
習近平はつぎのように述べる。
「中華民族の偉大な復興の実現は不可逆的な歴史的プロセスに入った」
習近平のこの高揚感は、おそらく100年前の悲惨な状況から立ち直ってアメリカと覇権争いするまでになったという自負感か。
しかし欧米中心にした世界各国は、一党独裁国家のさらなる発展誇示に恐怖感を抱き始めた。
「眠れる獅子」からところかまわず「噛みつく狼」になったのかと。
中国が今のような傍若無人な態度を改めないと、戦前の日本が嵌った「ならず者国家」に堕す危険がある。
日本の立ち位置はアメリカに一方的に従属するのではなく、主体的な立場で、東アジアの隣人として中国に対し的確な忠告を為すことであろう。