社会学者の小室直樹は、日本の民主主義は「仮面をかぶった民主主義」だと見抜いていた。
西洋の場合であれば責任者を明確にして、そして決断の主体を特定するというところに民主主義の出発点があるわけでしょう。
日本ではまったくその逆でして、決断の主体が誰だかわからなくして、決断の内容を分散すると、それが民主主義だと。
森友、加計、桜を見る会など一連の不祥事で、誰か責任を取った政治家がいるであろうか。
安部、麻生、菅など疑惑の渦中にいた政治家は、それらの問題に口を拭って、またもや忘年会と称して夜の会合だ。
こういう人たちのことを「鉄面皮」、もしくは「厚顔無恥」というのだろう。
第二次安倍政権以降、日本の民主主義は漂流している。
そしてもっと恐ろしいことは「知性の劣化」が進んでいることだ。
劣化ならまだしも知性への敵視があからさまだ。
それが「日本学術会議問題」ーー6名の任命拒否ーー
ハインリヒ・ハイネは、戯曲「アルマンゾル」のなかで、
焚書は序章にすぎない。本を焼く者は、やがて人間も焼くようになる。
少し話が飛ぶが、平成になってから東大出身の総理大臣は誰がいるだろうと調べたら、たった2人だった。
宮沢喜一と鳩山由紀夫。
彼らが総理大臣だったら「日本学術会議への任命拒否」などと言う愚かなことはしなかっただろう。
宮澤喜一に面白いエピソードがある。
早大出身の竹下登に対して「あの頃の早稲田は入学試験がなかったんですね」と言って竹下を怒らせたという。
最後に小室直樹の鋭い指摘、
日本人は相手の気持ちを察して、相手が怒らないようにするというのが民主主義であると思っちゃってるが、ある意味ではこれほど非民主的なことはありませんね。