「国家はなぜ繁栄・衰退するのか」という命題に対し、
その国の制度が「包括的」か「収奪的」かで決まる。
このような主張をしているのがダロン・アセモグル教授だ。
「収奪的」というのは、権力の座がある特定の個人や特定の社会集団(例えば財界など)に支配されている場合。
「包括的」とは、権力の座が流動的で選挙などで交代可能、その地位を離れれば権力者ではなくなる場合。
繁栄する国家は、「包括的」な政治制度を持っているわけだ。
ところが日本はあまりにも長く自民党一党支配が続いている。
「包括的」であった日本の政治制度は「収奪的」に変わりつつある。
当然自民党の周りには経団連を中心に各種業界団体が絡みついてうまい汁を吸う。
そのやり方はまさに持ちつ持たれつ、献金をてこにして独占的な利潤を得ているという構図が続いている。
江戸時代の時代劇によく出てくる、「越後屋、お主も悪よのう」の世界だ。
このあたりが自民党が絶対に「企業・団体献金廃止」に踏み切れないわけだ。
こんな腐れ縁があるから企業も強くなれない。じりじりと国も企業も衰退の道をたどるのだ。
野球殿堂入りしたイチロウの言葉を聞かせてやりたいものだ。
メンタルを鍛えたいなら厳しい道を選ぶしかない。
楽に行くとメンタルは弱くなる。
挫折を知らない負けを知らないメンタリティは弱い。
いかに厳しい道を選べるかに尽きる。