嘘か本当か定かでないが、「安部国葬」をやろうと言い出したのは麻生副総裁だという。
岸田首相に対して恫喝まがいに発した言葉が「理屈じゃねえんだよ!」らしい。
理屈じゃなければ一体なんで決めるのか、この国は果たして法治国家なのか?
何ともおそれいった状況だ。今更中止するわけにもいかず、6割から7割の国民が反対する中で突っ走るのだろう。
国葬に反対する野党は堂々と欠席したらよい。
法律の裏付けのないものにつきあう義理はない。
親鸞は父母の孝養のためとて念仏、一辺にても申したることいまだ候わず。そのゆえは、一切の有情は皆もって世々生々(せせしょうじょう)の父母兄弟なり。いずれもいずれも、この順次生に仏に成りて助け候べきなり。
親鸞は亡き父母の追善供養のために、念仏一編、いまだかって称えたことはない。なぜならば、忘れ得ぬ父母を憶うとき、すべての生きとし生けるもの、無限に繰り返す生死の中で、いつの世か、父母兄弟であったであろうと、懐かしく偲ばれてくる。されば誰彼を問わず、次の生に、仏になって助け合わねばならないからである。
なんとも奥深い言葉で凡人の私にはなかなか理解しがたいが、今我が国でなされようとしている安倍元首相の国葬騒ぎを見たら何と言うであろうか?
だいたい葬儀とは残された人間が追悼の意を表すということもあるだろうが、自己の権勢を誇るためでもある。
今回の国葬はそんな感じが芬々とする。
第一、あの世に行った人間は何も感じないのではなかろうか。