行雲流水の如くに

この国を仕切る「新人類世代」に覚悟はあるか?

世代論で人物や物事を評価するのはあまり好きではない。

しかしこのところの安倍政権と官僚組織の迷走ぶりに、ひと言注文を付けたい気持ちになった。

 

安倍晋三(1954年)、加藤勝信厚労大臣(1955年)---しらけ世代

すぐ上の世代である団塊の世代は、いい意味でも悪い意味でも「坂の上の雲」を信じて走り抜けた世代だ。

「やると言えばどこまでやるさ」の居酒屋大好き人間だ。中にはそうでない人もいるだろうが。

ところがこの世代はやや一歩引いている。世の中が見えすぎていたのかもしれない。

それが責任をとることにしり込みするのだろう。

責任をとるというのは、覚悟と勢いが必要で、あまり先が読めると責任など取れない。

 

西村再生大臣(1962年)---新人類世代(1961~1970)

責任ある立場の官僚はこの年代が多いだろう

彼らが社会人になった時期は、日本が絶頂期を迎えていた時期で、新しいタイプの日本人が生まれたのか、という感想を持ったのは事実だ。(私は団塊の世代より少し上で、当時は中間管理職だった)

彼らの価値観は、自分の力を活かせるのであれば転職することに躊躇を感じなかった。

だから新人類と言われたのかもしれない。

半面、仕事のやり方は甘かったように思う。「徒弟制度型」で仕事を覚えるよりも「マニュアル型」だ。

この10年近くは彼らの年代が中間管理職で、一番仕事が出来る年代だが、入社後数年でバブル崩壊に直面したので、現実に妥協する道を選んだのか?この辺は推測である。

 

バブル崩壊時に厳しい局面に取り組んだのは団塊の世代前後であった。

新人類たちはどちらかと言うと観客の立場だ。

あの当時プレイヤーとしてグラウンドに立たせておけば(たとえピンチヒッターでも)、現在の国難に対して「覚悟をもって臨めたのではなかろうか」

 

仕事は、まだ無能レベルに達していない人間によって行われている

この言葉を肝に銘じてほしいものだ。


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