行雲流水の如くに

コロナ再燃の中で「武士道精神」を考える

武芸は「死生の場」にのぞんで「勝つ」ための技術であった。

技の力を磨くのは当然の事、しかしそれだけでは勝てない。

「死生の場」にのぞむための心構えや態度、覚悟が要求された。

この流れに沿えば、芸から道へ、すなわち「武士道」へと続くのは必然。

 

武士道に確固たる倫理的基礎を与えて、これを大成したのは山鹿素行だ。

「武士たるもの、行住坐臥、つねに覚悟有りて油断なき如くすべしとなり」

 

コロナ過が世界中を覆い、猛威を振るっている。

この日本では一旦は収束したように見えたが、首都圏を中心に第2波が押し寄せつつある。

安倍官邸を中心とした政府は、西村大臣が竹光のような刀をやたら振りますのみ。

安倍の殿は表舞台に出てこなくなった。もう策が尽きたのか?

小池東京都知事も「夜の街」と「若者」に責任を押し付けるのみ。

小池百合子の「めじから」は大したものだが、緻密な脳力はなさそうだ。

 

結局国民一人一人が「自分のことは自分で守る」ことを自覚すべき。武士と同じ心構えだ。

武士が行住坐臥、つねに慎み深くして、油断のない生活態度を持したということは、つねに最上の心身のコンディションを整えておくことによって、いつでも戦場に出て、十分の働きが出来るようにしていたことを意味する。

 

もっとも武士道はあまり堅苦しく考えなくても良い。

「葉隠」を著した鍋島藩藩士山本常朝は次のように言う。

「人間一生まことにわずかのことなり。好いたことして暮らすべきなり。夢の間の世の中に、好かぬことばかりして暮らすは愚かなることなり。このことは、悪しく聞いては害になること故、若き衆などへ終に語らぬ奥の手なり」

 

倫理観の持ち合わせがない安倍晋三とその取り巻きに、この国を統べる大義はない。

早々に退陣願いたいものである。


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