自民党の2014年の運動方針案から次の文言が削除された。
「不戦の誓いと平和国家の理念を貫くことを決意し」
もちろん安倍政権下でのことだ。
そして岸田政権は、安倍晋三の霊が乗り移ったように防衛費倍増にアクセルを全開する。
大日本帝国時代の戦争史観を今も継続しているのは「靖国神社」である。
先の大戦で命を落とされた方々に、尊崇の念を抱くのはごく普通な感情の発露であろう。
ましてご遺族の方々にとっては大切なことだ。
しかし政治家が大挙して靖国をお参りする姿には違和感を禁じえない。
下手にボタンを掛け違えると「平和主義」とは正反対の「戦争賛美」に堕しやすいからだ。
特攻などと言う戦術を考え出した当時の軍の上層部に倫理観はなかったのだろうか?
東条英機などの戦争指導者も靖国には祀られている。
このことをもってしても、
戦争指導者たちから植え付けられた「国のために死ぬことを理想とする死生観」を靖国は体現していると言っても良いのではないか。
靖国参拝の政治家たちはそのような死生観に立ってはいけないという認識があるのか?疑問である。
国のためにということは、生きて復興に力を尽くすことも大事である。
「武士道は死ぬことと見つけたり」という言葉も間違って理解されている。
この言葉も戦時中軍部の上層部が、都合の良いように解釈して若者たちを死に追いやった可能性がある。
この言葉の解釈は、「武士たる者は、行住坐臥、つねに覚悟有りて油断なき如くすべしとなり」だ。
これはよりよく生きるための言葉なのだ。