(1893年)村岡花子誕生日
1939(昭和14)年、35年間に渡り日本の女子教育の発展に献身してきたカナダ人宣教師ミス・ロレッタ・レナード・ショーは、時局の変化に伴い、已むを得ずカナダへと帰国する。
彼女は見送りに来た村岡花子に、友情の証しにと一冊の本を手渡す。
それは何度も読み返したらしく、かなり手ずれていた。
今、互いの祖国は敵対関係にあるが、やがて平和が訪れた時に、カナダ人の本当の心を、この本を通じて日本人に伝えて欲しいというミス・ショーの願いが込められた贈り物だった。
見つかれば罰せられる可能性のある敵国の書物を、村岡は必死で翻訳し推敲を重ね、空襲による戦火の中でも決してその本と原稿用紙を手放すことなく持って逃げた。
終戦後、紆余曲折を経て漸く日本語版は陽の目を見る。
ミス・ショーから贈られて13年、原書発行からは実に44年が経過していた。
その本はたちまち日本中の、とりわけ若い女性達の心を掴み、今なおセールスを重ね、読み継がれている。
それが『赤毛のアン』である。
村岡女史翻訳版のアンには崇高なる精神、そして魂が宿っていると確信する。
>参考資料
村岡恵理・著『アンのゆりかご~村岡花子の生涯』(マガジンハウス刊)