(1978年)日中平和友好条約が締結される
1972年の日中共同声明を踏まえ、締結されたのがこの条約。
これにより、中国側は戦争賠償権を正式に放棄したことを認めている。
当時その未来思考な寛大さを日本側は歓迎したというが、これが大きな間違いだった。
友好関係を深めるという名目で、中国側は経済援助を求めた。
それがODA等今に続く日本への「たかり」の出発点となってしまったのだ。
援助には限りがない。
やめた途端「友好」に反する行為と見なされるから。
中国政府の強気な姿勢の理由はここにある。
要は賠償権を放棄したように見せかけて、先の大戦に対する賠償請求を事実上無限に続けているということ。
余りに狡猾な戦略であり、同時に日本人の外交観念の甘さが浮き彫りにされる格好となった。
残念ながら、外交は善意では成り立っていない。
表面上はどうあれ、どんな時も国益の反映に過ぎないのだ。
中国に対する日本政府の弱腰な姿勢は、大変根の深い問題を孕んでいる。