私が店長をしているショッピングサイトがあります。
【漫画の匠】
http://www.manganotakumi.com
よろしくです。
さて、今日の画像は、アニメ映画『風の谷のナウシカ』のパンフレットです!
今夜9時『風の谷のナウシカ』がテレビに登場!!
金曜特別ロードショー
「風の谷のナウシカ」(1984年徳間書店・博報堂)
宮崎駿原作・脚本・監督
声、島本須美
納谷悟朗 松田洋治
榊原良子 家弓家正
辻村真人 京田尚子
▽宮崎駿監督の原点!!
永遠に色あせない名作
少女が教えてくれた愛
徳間書店・博報堂。
人類と自然の共生をテーマに、未来の地球を滅亡から救う少女の闘いを描くアニメ。
さて、私のブログ上でもスタジオジブリ・宮崎駿監督小特集をしていきたい気分です。
何度この映画を見たことだろう。
高校三年生の時、初めて『風の谷のナウシカ』を見た私は、大学進学を志し、社会学部からマスコミ業界への就職を考えるようになっていた。
中学までは、学年でも上位に入るくらいに絵が上手な方だったのだが、展覧会へ出してもらえるほどではなく、高校入学後には絵を描くことに人生をかけるほどの情熱や目標を見つけることは出来なくなっていた。
出版業界で、少年漫画誌の編集、しかも少年画報社が出していた復刻本、河島光広先生の『ビリー・パック』のような過去の名作漫画の単行本の編集に携わりたいと願っていたのだ。
今から考えると、そんな特殊で狭い専門職に就ける可能性は、ほとんどないのだが、その頃は、真面目にそう考えていた。
アニメ映画『風の谷のナウシカ』を見た時、本来私は、高校入学時に卒業したらアニメーターの専門学校へ行こうともぼんやり考えていたことを思い出し、絵の勉強を怠けてしまっていたことを後悔した。
もうアニメーターへ成る道へ進むのは無理だろうという激しい後悔の念にとらわれてしまったのだ。
私は、『未来少年コナン』や『カリオストロの城』のような、少年少女のために夢を与えるようなアニメを作るアニメ製作会社に就職したいとも考えていた。
そして、趣味として名作漫画の研究も手掛けて、漫画研究者として著書も出せたらいいなと考えていたのだ。
諸般の事情から、大学の社会学部への進学を夢見て行くことになる。
あれから26年の歳月が流れ、退学寸前だった高校も無事卒業出来たし、大学も社会学部を優秀な成績で卒業出来た。
日本旅行勤務を経た後、漫画喫茶を経営し、昭和の少年漫画史を研究した著書『少年画報大全』を出すことになる。
徳間書店の編集者だった鈴木敏夫さんと、少年画報社の社史とも言うべき『少年画報大全』の製作担当役員だった戸田利吉郎さん(現、少年画報社・社長)とは、同じ出版業界内で交流もあり、『少年画報大全』を献本したところ、鈴木敏夫さんから、
「宮崎と一緒に、懐かしく見させてもらいました。」
とのコメントをいただくことまで出来た。
『風の谷のナウシカ』
を、もう少し若い時に見ていたら、私は迷わずアニメーターへの道を歩むことを決心していたことだろう。
ほんの数年の違いが、その後の運命を大きく変えていってしまうことがある。
私の天命は、漫画やアニメを研究することだったのだと後に判るのだが、『風の谷のナウシカ』を見る度にアニメーターへの憧れもあったことを思い出す。
『カリオストロの城』
のヒロイン・クラリスや
『風の谷のナウシカ』
の主人公ナウシカにだけ、ほんの一時期思春期の少年の日の私は、アニメキャラクターに恋心を抱いていたのである。
【漫画の匠】
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よろしくです。
さて、今日の画像は、アニメ映画『風の谷のナウシカ』のパンフレットです!
今夜9時『風の谷のナウシカ』がテレビに登場!!
金曜特別ロードショー
「風の谷のナウシカ」(1984年徳間書店・博報堂)
宮崎駿原作・脚本・監督
声、島本須美
納谷悟朗 松田洋治
榊原良子 家弓家正
辻村真人 京田尚子
▽宮崎駿監督の原点!!
永遠に色あせない名作
少女が教えてくれた愛
徳間書店・博報堂。
人類と自然の共生をテーマに、未来の地球を滅亡から救う少女の闘いを描くアニメ。
さて、私のブログ上でもスタジオジブリ・宮崎駿監督小特集をしていきたい気分です。
何度この映画を見たことだろう。
高校三年生の時、初めて『風の谷のナウシカ』を見た私は、大学進学を志し、社会学部からマスコミ業界への就職を考えるようになっていた。
中学までは、学年でも上位に入るくらいに絵が上手な方だったのだが、展覧会へ出してもらえるほどではなく、高校入学後には絵を描くことに人生をかけるほどの情熱や目標を見つけることは出来なくなっていた。
出版業界で、少年漫画誌の編集、しかも少年画報社が出していた復刻本、河島光広先生の『ビリー・パック』のような過去の名作漫画の単行本の編集に携わりたいと願っていたのだ。
今から考えると、そんな特殊で狭い専門職に就ける可能性は、ほとんどないのだが、その頃は、真面目にそう考えていた。
アニメ映画『風の谷のナウシカ』を見た時、本来私は、高校入学時に卒業したらアニメーターの専門学校へ行こうともぼんやり考えていたことを思い出し、絵の勉強を怠けてしまっていたことを後悔した。
もうアニメーターへ成る道へ進むのは無理だろうという激しい後悔の念にとらわれてしまったのだ。
私は、『未来少年コナン』や『カリオストロの城』のような、少年少女のために夢を与えるようなアニメを作るアニメ製作会社に就職したいとも考えていた。
そして、趣味として名作漫画の研究も手掛けて、漫画研究者として著書も出せたらいいなと考えていたのだ。
諸般の事情から、大学の社会学部への進学を夢見て行くことになる。
あれから26年の歳月が流れ、退学寸前だった高校も無事卒業出来たし、大学も社会学部を優秀な成績で卒業出来た。
日本旅行勤務を経た後、漫画喫茶を経営し、昭和の少年漫画史を研究した著書『少年画報大全』を出すことになる。
徳間書店の編集者だった鈴木敏夫さんと、少年画報社の社史とも言うべき『少年画報大全』の製作担当役員だった戸田利吉郎さん(現、少年画報社・社長)とは、同じ出版業界内で交流もあり、『少年画報大全』を献本したところ、鈴木敏夫さんから、
「宮崎と一緒に、懐かしく見させてもらいました。」
とのコメントをいただくことまで出来た。
『風の谷のナウシカ』
を、もう少し若い時に見ていたら、私は迷わずアニメーターへの道を歩むことを決心していたことだろう。
ほんの数年の違いが、その後の運命を大きく変えていってしまうことがある。
私の天命は、漫画やアニメを研究することだったのだと後に判るのだが、『風の谷のナウシカ』を見る度にアニメーターへの憧れもあったことを思い出す。
『カリオストロの城』
のヒロイン・クラリスや
『風の谷のナウシカ』
の主人公ナウシカにだけ、ほんの一時期思春期の少年の日の私は、アニメキャラクターに恋心を抱いていたのである。