祝!昭和百年!200万PV達成!漫画史研究家・本間正幸監修【少年画報大全】(少年画報社・現在三刷)

【20世紀冒険活劇の少年世界】メトロポリス漫画総合研究所(since1997)から、昭和の映画、出版美術、音楽を!

案山子

2012-08-12 21:55:10 | 昭和末期・横浜鶴見のある不良少年の物語
案山子〔さだまさし〕


明日から、母の実家の伯母さんの新盆があるので、茨城県鹿行地域へ母を連れて行きます。
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今日は【大伴昌司の大図解展】へ

2012-08-12 13:02:55 | 2001年夏「少年画報大全」(少年画報社)監修者への道
2012年、昭和の少年少女漫画史研究家であり、アニメーション史研究家である社会学士・本間正幸がオススメする映画やマンガ、アニメなどのイベント情報、展示会の紹介をします!

今日の画像は、7月6日(金)から始まった弥生美術館企画展のチラシになります!


奇っ怪紳士!怪獣博士!【大伴昌司の大図解展】一枚の絵は一万字にまさる


2012年7月6日(金)~9月30日(日)


休館日◎月曜日〈ただし8/13(月)は臨時開館、7/16(月・海の日)開館、翌7/17(火)休館、9/17(月・敬老の日)開館、翌9/18(火)休館〉

時間◎午前10時~午後5時(入館は4時半まで)

料金◎一般900円 大高生800円 中小生400円

*竹久夢二美術館と二館併せてご覧いただけます。

*高畠華宵の常設ルームも併せてご覧いただけます。

弥生美術館

〒113-0032
東京都文京区弥生2-4-3
TEL.03-3812-0012
http://www.yayoi-yumeji-museum.jp


●8月12日(日)15:00~学芸員によるギャラリートークを行います。

★映画監督・河崎 実によるトークショー★
9月8日(土)午後6時~(要予約 詳細は当館HPをご覧ください)

大伴昌司(1936~1973)は、1960年代後半から70年代前半にかけて、少年雑誌の巻頭グラビアや図解記事の企画・構成・レイアウトを手がけたほか、ミステリ雑誌・SF雑誌のライター、テレビ脚本、映画評論など、多彩なジャンルで才能を発揮した希代のプランナー、そしてジャーナリストです。
また大伴は、「ウルトラシリーズ」に登場する怪獣の性格や体内構造を詳細に設定し、少年雑誌で特集を組み、「怪獣大図解」「ウルトラ怪獣入門」等の書籍で紹介して怪獣ブームの火付け役となりました。
当時彼は、"怪獣博士"の異名で多くの子供達に親しまれ、様々なメディアで寵児となっています。
「一枚の絵は一万字にまさる」と、ビジュアルジャーナリズムの力を信じた大伴昌司。
本展覧会では、先駆的なビジュアル構成で多くの人に影響を与えた大伴流〈大図解〉の世界を、ラフスケッチや構想メモ、南村喬之や柳 二、石原豪人らの挿絵原画、当時の雑誌資料などからご紹介いたします。
また、若き日に寄稿したミステリ同人誌や自ら編集発行した恐怖文学同人誌、日本SF作家クラブ事務局長として国際SFシンポジウム開催に尽力した際の資料等もあわせて展示し、大伴のマルチな才能を浮き彫りにいたします。

協力:円谷プロダクション 秋田書店 朝日新聞社 講談社

★河出書房新社から展覧会にあわせて関連書籍出版予定


竹久夢二美術館では、

竹久夢二美術館
2012年企画展
2012年大正100年


夢二と大正時代Ⅲ
夢二の恋と関東大震災をめぐって
ー大正9~12年を中心にー

夢二と「大正時代」
竹久夢二と大正時代を再発見!


2012年は、大正元(1912)年から数えて、ちょうど100年を迎えます。
大正時代(1912~1926)は、明治と昭和に挟まれた、わずか15年という短い年月でしたが、西欧文化が流入し、近代化が進んで個性と自由が尊重された時期ということもあり、現在の暮らしの原型ともいえる要素が多く登場し、また短い期間ながら様々な出来事もありました。
大正ロマンを象徴する画家・竹久夢二(一八八四~一九三四)は、まさしく大正期を中心に活躍し、この時代の寵児となりました。
夢二の作品や足跡を辿ることによって、大正時代の出来事や風俗、また流行が鮮明に伝わってきます。
★★★
当館(弥生美術館)では一年を通じて、夢二と大正時代を再発見していきます。
2012年1月より、年4回開催する企画展で、大正を4つの時期に分けて、夢二の残した芸術また人生の歩みを、時代の出来事と併せて紹介していきます。
館所蔵の大正時代の夢二作品や資料の数々を、ぜひご覧下さい。


大正100年に当たる2012年の企画展〈夢二と大正時代〉の第三弾は、大正9~12年にスポットを当て、夢二の芸術と足跡を辿ります。
大正9年(1920)の年明け早々、夢二最愛の女性・笠井彦乃が23歳でこの世を去りました。
その前年、病身の彦乃とは面会出来ない日々が続く中、夢二は20年下のモデル・佐々木カ子ヨ(かねよ)に出会います。
夢二は彼女を"お葉"と名付け、自分好みの装いや仕草を教え込み、いつしか二人は同棲する関係となりました。
"夢二の絵から抜け出して来た"と言われたお葉は、夢二の創作意欲を掻き立て、多くの傑作が誕生しました。
大正12年(1923年)9月1日、甚大な被害をもたらした関東大震災が発生し、夢二は当時暮らしていた東京・渋谷で被災します。
震災の翌日から、変わり果てた東京の街を夢二は巡り、その様子を独自の視点でスケッチし、文章にも残しました。



本展では夢二がお葉をモデルにした作品と館所蔵のお葉の写真約130枚を一挙公開、加えて夢二による震災の記録を中心に、展示紹介を行います。


学芸員によるギャラリートーク

7/15(日)
8/12(日)
9/9(日)14時より


竹久夢二美術館

弥生2-4-2

Tel:03(5689)0462


今後の予定


10/4~12/25[夢二と大正Ⅳ モダンの幕開けと夢二、次代の抒情画家を追って ー大正13~15年を中心にー]


弥生美術館、竹久夢二美術館の企画展は、いつも私の知的好奇心を刺激します。
挿絵画家として戦前から活躍した伊藤彦造先生、山口将吉郎先生、樺島勝一先生。
戦後、絵物語作家として活躍した【黄金バット】の永松健夫先生、【地球SOS】【大平原児】の小松崎茂先生、【少年王者】【ノックアウトQ】【荒野の少年】【少年ケニヤ】の山川惣治先生、【砂漠の魔王】の福島鉄次先生、【白虎仮面】【大都会X】【痛快太郎】【飛竜夜叉】の岡友彦先生の作品群など、どこよりもいち早く展示紹介して来ました。

先日、秋田書店から発売される前から、ネットで話題となっていた福島鉄次先生の【沙漠の魔王】完全復刻版の件。
発売前は、皆、ネットで話題にしていたのに、実際に発売されてから、実物を紹介する研究者が少ないのはどうしたことか?
私には、とても不思議な現象に思えてなりません。(笑)

日本の漫画史研究の分野においては、第一人者の清水勲先生はじめ、同志社大学教授の竹内オサム先生、故・米澤嘉博さん、中野晴行さん達が漫画史研究家として、優れた業績を残しております。

本来、私が監修した【少年画報大全】は、米沢さんに依頼されていたもの。

米沢さんの代役として私、本間正幸が急遽大抜擢され幸運なデビューを飾り、今日があるのです。


現在の私の専門領域は、無声映画時代からの映画やアニメーション史研究と、大正・昭和の少年少女雑誌、少年少女小説、街頭紙芝居に絵物語、挿絵に音楽、ラジオ、テレビ、そして少年少女漫画史の研究になります。
永松健夫先生の絵物語【黄金バット】誕生の経緯やその時代背景、小松崎茂先生の【地球SOS】や【草原の覇者】【氷獣ドライス】の紹介と、小松崎茂先生生前の貴重なインタビュー、伊藤彦造の世界と題して特集した「阿修羅天狗と彦造傑作名画集」「変幻修羅八荒」西部活劇「荒野の決闘」など、幻の絵物語と言われ続けた【砂漠の魔王】を深く知る上で【少年画報大全】は、今でも第一級の資料として何ら色褪せることはないようですね!(笑)


《序章》

これから日本の戦後の漫画史、特に少年雑誌の歴史を知る上での必須アイテムになる一番有効な書籍は、私、本間正幸が監修し2001年に発売した


【少年画報大全】(少年画報社)定価2900円


である。
発売時に朝日新聞始め、毎日新聞、読売新聞夕刊、日本経済新聞や、雑誌の書評など当時の様々なメディアに大きく取り上げられた。
発売十年を過ぎてもロングランを続け、現在は三刷。
発行部数は軽く一万部を越えている。


大学教授の肩書きを持つ著者たちが、小さな出版社から発行部数三千部で増刷もなく、発売数年で自由価格本となり、絶版の道を辿っているのは何故か?
多くのマンガ評論家の研究本の類と【少年画報大全】とは、明らかに一線を画しているのである。
紹介した漫画家さんや作家さんの本など、毎年のように復刊され続け、美術館や博物館などの企画展も開催されている。
藤子不二雄A先生の【怪物くん】や望月三起也先生の【ワイルド7】の実写映画化など、私が特集を組み、インタービューした先生方は、今や再ブームが起きているのだ。
ここ十年来、今だ【少年画報大全】を越える実証的な少年雑誌の研究書は出てこない故、今も古さを感じさせないようだ。
別冊付録として付けた

【冒険活劇文庫】(昭和23年8月発行)創刊號のオリジナル本は、当時の市場価格が数十万した稀少本。


それまでの漫画研究本と、【少年画報大全】が一線を画した理由、それは実証的なデータと徹底した図版重視による初の漫画史研究本であるからだ。


戦後、日本の漫画が諸外国と比べ、独特な変化を遂げることが出来たのには、手塚治虫先生の登場だけでなく、戦前からの街頭紙芝居【黄金バット】や【ハカバキタロー】の影響があることをいち早く提唱した。
街頭紙芝居から、【黄金バット】や【少年王者】、絵物語オリジナルとなる【地球SOS】が誕生。
絵物語が昭和20年代の少年雑誌の世界を席巻し、昭和30年代前半に【赤胴鈴之助】の空前の大ヒットで漫画が一般の人達の間でも市民権を得る。
戦前からの流れを汲む大資本の出版社から出ていた少年雑誌『少年クラブ』や戦後生まれの『少年』などは、A5版で読み物や少年小説など活字が主体のままだった。
戦後、街頭紙芝居の大ヒット作【黄金バット】を看板に、絵物語中心、判型が一回り大きなB5判で新たに立ち上げられた革新的な少年雑誌が『冒険活劇文庫』である。
後に『少年画報』へと発展し、僅か十年足らずで日本一の少年雑誌へと急成長を遂げる。
けれども、世の中が落ち着きを取り戻し、人々の生活水準が向上すると、大資本系列の光文社発行の少年雑誌『少年』へとその王座を譲り渡さなければならなくなる。
戦後の少年雑誌の歴史は、とてもドラマチックであり、史料も煩雑となるため、正しい全貌を把握するには、ある程度の専門性と知識が必要とされる。
戦後の少年雑誌において、漫画史的に一番重要な雑誌は『冒険活劇文庫』と『少年画報』の歴史である。
『少年』は二番手となり、『漫画少年』が、その後に続く。
少年週刊誌誕生となれば、『少年マガジン』『少年サンデー』『少年キング』『少年ジャンプ』『少年チャンピオン』の五大少年週刊誌の歴史を押さえればいい。
そして『ガロ』と『COM』『ヤングコミック』に『ビッグコミック』の青年誌の流れも押さえておけば、入門編(笑)はOKだろう。


昭和の少年少女漫画史研究家を看板に、最近は昭和のアニメーション史研究家としても売り出し中の社会学士


本間正幸
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