198万PV達成!漫画史研究家・本間正幸監修【少年画報大全】(少年画報社・現在三刷)更新復活

【20世紀冒険活劇の少年世界】メトロポリス漫画総合研究所(since1997)から、昭和の映画、出版美術、音楽を!

映画【ALWAYS 三丁目の夕日】( 涙

2012-01-20 20:50:35 | 昭和末期・横浜鶴見のある不良少年の物語
私が店長をしているショッピングサイトがあります。

【漫画の匠】
http://www.manganotakumi.com

よろしくです。


2012年現在、私のブログはgooを初め、アメブロ、Yahoo!ブログで昭和をテーマに音楽紹介と記事更新をしております。


さて、先週の金曜ロードショーは映画【ALWAYS 三丁目の夕日】(2005年日本テレビ、ROBOT、小学館、バップ、東宝、電通、読売テレビほか)山崎貴・監督、出演・吉岡秀隆、堤真一、小雪、堀北真希、もたいまさこ、三浦友和、薬師丸ひろ子、須賀健太、小清水一揮でしたね!
「東大を出た」と自慢する吉岡秀隆演じる売れない作家でちっぽけな駄菓子屋を経営する茶川と、縁もゆかりもない淳之介役の須賀健太。
小さな自動車修理工場を経営する鈴木オートの堤 真一に妻の薬師丸ひろ子。
そこに東北から集団就職して来た六子(堀北真希)が加わり・・・。
三浦友和演じるアクマこと医者の宅間先生など、三丁目の夕日の住人達は、喜怒哀楽がはっきりしていて、笑って泣けます。
子供たちの表情にも、笑顔や、明日への夢や希望に溢れていたような気がします。

昭和30年代の東京を舞台に、自動車の修理工場を営む一家と近所の人たちの人間模様を描く。
当時の街並みを再現したVFXが見事。

さて、

今夜の金曜ロードショーは、

【ALWAYS 続・三丁目の夕日】(2007年「ALWAYS 続・三丁目の夕日」製作委員会)山崎貴・監督、出演・吉岡秀隆、堤真一、小雪、堀北真希、もたいまさこ、三浦友和、薬師丸ひろ子、須賀健太、小清水一揮、マギー、小日向文世、温水洋一、神戸浩ほか

▽日本映画史に残る感動作!
数々の名シーンで泣いて笑って幸せに

西岸良平の漫画「三丁目の夕日」を基に映画化した2作目。
東京の下町に暮らす人々の姿を、街の変化とともに懐古調に描く。

再び芥川賞を目指し始めた茶川と、事業に失敗した親戚の娘を預かることになった鈴木家。
前作から4ヵ月後を描いた人情劇の続編。

スカパーの

[日本映画専門チャンネル]

では、

【メイキング・オブ・「三丁目の夕日'64」】

が繰り返し放送されていますね!


昭和の時代の芥川賞と、平成の時代の芥川賞では、その重みもすっかり変わってしまいましたね!

受賞者の人としての品格が象徴してくれているようです。

私にとっては、芥川賞受賞作家のサイン本より、手塚治虫文化賞受賞マンガ家さんのサイン本の方が遥かに価値があります。
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イベント情報~私の龍馬・イラスト展in

2012-01-20 19:17:33 | 昭和末期・横浜鶴見のある不良少年の物語
2012年、映画と漫画史研究家の本間正幸がオススメする映画やマンガ、アニメなどのイベント情報、展示会の紹介です!(一部再録内容あり。再編集版です!)

《はじめに》

BS-TBS
【関口宏の昭和青春グラフィティ】にて、

「昭和のマンガ~子どもから青年そして大人へ僕らの傍にはいつもマンガがあった」


【ゲスト】藤子不二雄A・タケカワユキヒデ


を昨年見ました。
番組を見て、改めて誰でも簡単に判る日本の漫画史と、研究者用資料公開の必要性を痛感する。
その二日前には、のらくろ館のある東京都江東区森下文化センターで、

『貸本マンガの時代』第4回「貸本マンガの世界~貸本マンガから週刊誌へ~」

のゲストに漫画家の川崎のぼる先生とビッグ錠先生が来館。
大阪の貸本漫画が末期となる時期に上京し、表舞台となる週刊少年雑誌へ登場する過渡期の頃についての珍しい話を聞くことが出来た。
現在も関西在住で、当時からの熱心な読者代表と思われる風貌のアマチュアの漫画研究者が司会。
会場には、主に川崎のぼる先生の作品や、ビッグ錠先生の作品を週刊少年雑誌やテレビアニメを見て育った私と同世代から上の読者達が集まったため、随分と参加者の年齢層が高いイベントになりました。
私的には、現在熊本在住である川崎のぼる先生がワザワザ上京していただけたのだから、もう少し聞き手である司会者が作品の研究をして、配布される資料類も充実させてくれたらと大変悔やまれる内容でしたが、正統な日本の漫画史を理解出来る研究者やインタビュアーが少ないこれが悲しい現状なのです。(涙)
会場に展示されていた

【のらくろ館】

の資料の収集が、在野の漫画コレクターの協力の下、及第点を行くものであり、年配のアマチュア研究者の精一杯の努力とこれからの研究成果に期待して今回だけ大甘に68点の合格点を出しときますか。(笑)
*このイベントは、1700円と有料である。
お金を徴収する以上、その金額にみあったものであるかどうか数少ない正統な漫画史研究家の立場として採点を下す義務が私にはあるだろう。(以上再録)


さて、江東区森下文化センターから、二通の案内状が自宅に届きました。

中身は、同じイベントの案内。
一通は、所長と担当者の連名にて

《各位》

として、もう一通は、マンガ関連講座を受講された方宛てで、担当者からである。(笑)

共に発行の日付は、1月15日付。

私の龍馬イラスト展inお江戸 オープニングパーティ@森下文化センター


特別セッショントーク

「時代を切り開いた先駆者たち~ガロ・COM マンガの時代」

2012年1月27日(金)

会場・森下文化センター

2階 多目的ホール

開場 17:00 開演 18:00

前売 1,700円(当日300円増)

出演 南 伸坊(イラストライター)、長谷邦夫(漫画家)
進行役 サエキ けんぞう
日本マンガの黎明期を象徴する二大雑誌をテーマに関係者、作家、愛読者が三つ巴で繰り広げるトークセッション。
龍馬が新時代を切り開いたように、日本のマンガ界では「ガロ」と「COM」がその先駆者となった。
日本マンガに夜明けは来たのか!?

南伸坊・イラストライター

1972~1979年、「ガロ」編集長を務め、マンガというジャンルを越えたサブカルチャーの雄としての雑誌の地位を築く。

長谷邦夫・漫画家

赤塚不二夫のブレイン役として知られる。
「COM」で「バカ式」を連載。
先ごろ上梓した『あるマンガ家の自伝 桜三月散歩道』にも当時の模様が描かれている。

★華麗なる競演!ライブペインティング大会

"お題"をもとに、漫画家がイラスト対決!
どんな珍品が飛び出すか?
乞うご期待。
(作品はイベント内で販売します。売上げは東日本大震災で被災された方々に寄付いたします。)

★ミニライブ サエキけんぞう&Boogie the マッハモータース

漫画家の"あの人"も歌います。
その他、来場者プレゼント大会、グッズ販売もあります。
出展作家も来場予定!

〈来場予定〉
蛭子能収、後藤友香、島田虎之介、富崎NORI、とり・みき、花くまゆうさく、手塚能理子(「アックス」編集長)他

主催・企画・制作
有限会社パールネット(プロデューサー サエキけんぞう)
イベント協力 青林工藝舎
共催 公益財団法人江東区文化コミュニティ財団/森下文化センター
Tel:03(5600)8666


今年の長谷邦夫先生からの年賀状には、


{あけましておめでとうございます。

震災でアパート地面が割れ、引っ越しました!
その時、入力していたクロニクル

『あるマンガ家の自伝 =桜三月散歩道』(水声社)

が12月22日刊行です。
400字×千枚弱・写16ページの大冊となりました。
お読みいただけたら光栄です。
マンガ単行本も執筆中。
トキワ荘の真実・ファンタジー・パロディ!!!
で一冊。
版元決定で144Pは入稿のこり五月ごろには・・・・と。

長谷邦夫

2012・正月}


【私の龍馬】イラスト展inお江戸

2012年1月27日(金)~2月12日(日)9:00~21:00
*2月6日(月)休館

会場:森下文化センター
1階 展示ロビー 入場無料
龍馬・幕末関連のマンガ、150冊ご用意
ご自由にお読みいただけます!

2010年春、長崎ハウステンボスを皮切りに、西日本各地で開催されてきた

「私の龍馬イラスト展」

が、東日本大震災チャリティー企画として復活します。
待望の東京展には新たな作品も加わり、これまでの規模を大きく上回る総勢50名以上の漫画家、イラストレーターが描き下した「坂本龍馬」が大集合いたします。
龍馬さんが、きっと今年の日本を明るくしてくれることでしょう。


今回から参加のアーティスト

出品アーティスト一覧

〈漫画家〉

いしかわじゅん、うえださと士、ウノカマキリ、江波じょうじ、大石容子、沖山潤、おだ辰夫、川崎タカオ、後藤友香、久住昌之、齋藤裕之介、とりみき、永田竹丸、長谷邦夫、ひさうちみちお、堀道広、南伸坊、向さすけ、山根青鬼

〈イラストレーター〉

さくらせかい

これまでの出品アーティスト一覧

〈漫画家〉

江川達也、江口寿史、蛭子能収、大岩ケンジ、清原なつの、久保ミツロウ、西原理恵子、島田虎之介、しりあがり寿、新條まゆ、根本敬、花くまゆうさく、東村アキコ、魔夜峰央、本秀康、柳内大樹、やなせたかし、やまだないと、山本ルンルン、ユキムラ、吉崎観音、吉田戦車、若杉公徳

〈イラストレーター〉

上野アモーレヒロスケ、小田切竜太郎、黒崎玄、佐野良之、真珠子、たま、寺門孝之、富崎NORI、POP

特別出品[書]:TAKAHIRO(EXILE)
以上、五十音順 敬称略

江東区森下文化センター

〒135ー0004
東京都江東区森下3ー12ー17

Tel:03ー5600ー8666

午前9時~午後9時
*休館:2月6日(月)
http://www.kcf.or.jp


以下、再録・再編集記事です。

手塚治虫先生の虫プロアニメや、東映の平山プロデューサーの特撮番組の影響もあり、大の漫画好きとなってしまった私は、小学生の頃から漫画の歴史に興味を持ち、手塚治虫先生の作品を中心にトキワ荘系の漫画家さんに『COM』や『ガロ』、『少年キング』や『少年マガジン』、『少年チャンピオン』系の作家さん達の単行本を集めるようになりました。


現在の私の専門領域は、無声映画時代からの映画やアニメーションと大正・昭和の少年少女雑誌、少年少女小説、街頭紙芝居に絵物語、挿絵に音楽、ラジオ、テレビ、そして漫画史の研究になります。


日本に数少ない正統な漫画史研究家を名乗る者として、私も2012年からはこれまで以上にネットの利点を十分活用して、正しい漫画史研究の在り方の模範を示さなければいけない時期が来ていることを自覚した。
ネットの最大の利点として、情報発信の速報性や、書影などオールカラーによる図版の紹介が可能であること。
又、完成された文章でなく中途半端な草稿を発表しても、担当する編集者から怒られることがない。(笑)
最大の欠点としては・・・原稿料が出ない。(涙)
そして、発信した情報が直ぐに無断で引用、孫引きされるなど著作権の保護が不完全のままである。
そうした問題点も全て承知の上で、草稿状態の文章での発表をして行きたいと思いますので、皆さん2012年もよろしくね!(笑)


《序章》

これから日本の戦後の漫画史、特に少年雑誌の歴史を知る上での必須アイテムになる一番有効な書籍は、私、本間正幸が監修し2001年に発売した


【少年画報大全】(少年画報社)定価2900円


である。
発売時に朝日新聞始め、毎日新聞、読売新聞夕刊、日本経済新聞や、雑誌の書評など当時の様々なメディアに大きく取り上げられた。
発売十年を過ぎてもロングランを続け、現在は三刷。
大学教授の肩書きを持つ著者が、発売数年で増刷もなく自由価格本となり、絶版の道を辿る多くのマンガ評論、研究本の類とは、明らかに一線を画しているのである。
紹介した漫画家さんや作家さんの本など、毎年のように復刊され続け、美術館や博物館などの企画展も開催されている。
藤子不二雄A先生の【怪物くん】や望月三起也先生の【ワイルド7】の実写映画化など、私が特集を組み、インタービューした先生方は、今や再ブームが起きているのだ。
ここ十年来、今だ【少年画報大全】を越える実証的な少年雑誌の研究書は出てこない故、今も古さを感じさせないようだ。
別冊付録として付けた

【冒険活劇文庫】(昭和23年8月発行)創刊號のオリジナル本は、当時の市場価格が数十万した稀少本。


江戸末期から昭和に到る日本の漫画史研究の第一人者である清水勲先生や、小野耕世先生、少年小説研究の第一人者である故・二上洋一先生からは、


「この創刊號の完全復刻のアイデアが素晴らしい!」


と大絶賛され、この本が縁となり、当時無名だった在野の研究者である私の名前を覚えてもらえるようになったのだ。
それまでの漫画研究本と、【少年画報大全】が一線を画した理由、それは実証的なデータと徹底した図版重視による初の漫画史研究本であるからだ。


戦後、日本の漫画が諸外国と比べ、独特な変化を遂げることが出来たのには、手塚治虫先生の登場だけでなく、戦前からの街頭紙芝居【黄金バット】や【ハカバキタロー】の影響があることをいち早く提唱した。
街頭紙芝居から、【黄金バット】や【少年王者】、絵物語オリジナルとなる【地球SOS】が誕生。
絵物語が昭和20年代の少年雑誌の世界を席巻し、昭和30年代前半に【赤胴鈴之助】の空前の大ヒットで漫画が一般の人達の間でも市民権を得る。
戦前からの流れを汲む大資本の出版社から出ていた少年雑誌『少年クラブ』や戦後生まれの『少年』などは、A5版で読み物や少年小説など活字が主体のままだった。
戦後、街頭紙芝居の大ヒット作【黄金バット】を看板に、絵物語中心、版型が一回り大きなB5判で新たに立ち上げられた革新的な少年雑誌が『冒険活劇文庫』である。
後に『少年画報』へと発展し、僅か十年足らずで日本一の少年雑誌へと急成長を遂げる。
けれども、世の中が落ち着きを取り戻し、人々の生活水準が向上すると、大資本系列の光文社発行の少年雑誌『少年』へとその王座を譲り渡さなければならなくなる。
戦後の少年雑誌の歴史は、とてもドラマチックであり、史料も煩雑となるため、正しい全貌を把握するには、ある程度の専門性と知識が必要とされる。
また、個人的な感情や思い入れにより、間違った認識の少年雑誌観を発表する人達が多いのも、漫画史研究を遅らせている明らかな原因のひとつだ。
ともあれ、戦後の少年雑誌において、漫画史的に一番重要な雑誌は『冒険活劇文庫』と『少年画報』の歴史である。
『少年』は二番手となり、『漫画少年』が、その後に続く。
少年週刊誌誕生となれば、『少年マガジン』『少年サンデー』『少年キング』『少年ジャンプ』『少年チャンピオン』の五大少年週刊誌の歴史を押さえればいい。
そして『ガロ』と『COM』『ヤングコミック』に『ビッグコミック』の青年誌の流れも押さえておけば、入門編は完成だろう。

次回から、具体的な少年雑誌の歴史と研究方法について触れて行きたいと思う。

映画と漫画史研究家


本間正幸
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イベント情報~ガロ・COM マンガの時代

2012-01-20 01:35:24 | 昭和末期・横浜鶴見のある不良少年の物語
昨年から2012年にかけて漫画史研究家として私、本間正幸が考えていること。(再録あり。再編集版です!)

《はじめに》

BS-TBS
【関口宏の昭和青春グラフィティ】にて、

「昭和のマンガ~子どもから青年そして大人へ僕らの傍にはいつもマンガがあった」


【ゲスト】藤子不二雄A・タケカワユキヒデ


を昨年見ました。
番組を見て、改めて誰でも簡単に判る日本の漫画史と、研究者用資料公開の必要性を痛感する。
その二日前には、のらくろ館のある東京都江東区森下文化センターで、

『貸本マンガの時代』第4回「貸本マンガの世界~貸本マンガから週刊誌へ~」

のゲストに漫画家の川崎のぼる先生とビッグ錠先生が来館。
大阪の貸本漫画が末期となる時期に上京し、表舞台となる週刊少年雑誌へ登場する過渡期の頃についての珍しい話を聞くことが出来た。
現在も関西在住で、当時からの熱心な読者代表と思われる風貌のアマチュアの漫画研究者が司会。
会場には、主に川崎のぼる先生の作品や、ビッグ錠先生の作品を週刊少年雑誌やテレビアニメを見て育った私と同世代から上の読者達が集まったため、随分と参加者の年齢層が高いイベントになりました。
私的には、現在熊本在住である川崎のぼる先生がワザワザ上京していただけたのだから、もう少し聞き手である司会者が作品の研究をして、配布される資料類も充実させてくれたらと大変悔やまれる内容でしたが、正統な日本の漫画史を理解出来る研究者やインタビュアーが少ないこれが悲しい現状なのです。(涙)
会場に展示されていた

【のらくろ館】

の資料の収集が、在野の漫画コレクターの協力の下、及第点を行くものであり、年配のアマチュア研究者の精一杯の努力とこれからの研究成果に期待して今回だけ大甘に68点の合格点を出しときますか。(笑)
*このイベントは、1700円と有料である。
お金を徴収する以上、その金額にみあったものであるかどうか数少ない正統な漫画史研究家の立場として採点を下す義務が私にはあるだろう。(以上再録)


さて、江東区森下文化センターから、二通の案内状が自宅に届きました。

中身は、同じイベントの案内。
一通は、所長と担当者の連名にて

《各位》

として、もう一通は、マンガ関連講座を受講された方宛てで、担当者からである。(笑)

共に発行の日付は、1月15日付。

特別セッショントーク

「時代を切り開いた先駆者たち~ガロ・COM マンガの時代」

2012年1月27日(金)

会場・森下文化センター

2階 多目的ホール

開場 17:00 開演 18:00

前売 1,700円(当日300円増)

出演 南 伸坊(イラストライター)、長谷邦夫(漫画家)
進行役 サエキ けんぞう
日本マンガの黎明期を象徴する二大雑誌をテーマに関係者、作家、愛読者が三つ巴で繰り広げるトークセッション。
龍馬が新時代を切り開いたように、日本のマンガ界では「ガロ」と「COM」がその先駆者となった。
日本マンガに夜明けは来たのか!?

南伸坊・イラストライター

1972~1979年、「ガロ」編集長を務め、マンガというジャンルを越えたサブカルチャーの雄としての雑誌の地位を築く。

長谷邦夫・漫画家

赤塚不二夫のブレイン役として知られる。
「COM」で「バカ式」を連載。
先ごろ上梓した『あるマンガ家の自伝 桜三月散歩道』にも当時の模様が描かれている。

★華麗なる競演!ライブペインティング大会

"お題"をもとに、漫画家がイラスト対決!
どんな珍品が飛び出すか?
乞うご期待。
(作品はイベント内で販売します。売上げは東日本大震災で被災された方々に寄付いたします。)

★ミニライブ サエキけんぞう&Boogie the マッハモータース

漫画家の"あの人"も歌います。
その他、来場者プレゼント大会、グッズ販売もあります。
出展作家も来場予定!

〈来場予定〉
蛭子能収、後藤友香、島田虎之介、富崎NORI、とり・みき、花くまゆうさく、手塚能理子(「アックス」編集長)他

主催・企画・制作
有限会社パールネット(プロデューサー サエキけんぞう)
イベント協力 青林工藝舎
共催 公益財団法人江東区文化コミュニティ財団/森下文化センター
Tel:03(5600)8666


以下も、再び再録・再編集記事になります。

手塚治虫先生の虫プロアニメや、東映の平山プロデューサーの特撮番組の影響もあり、大の漫画好きとなってしまった私は、小学生の頃から漫画の歴史に興味を持ち、手塚治虫先生の作品を中心にトキワ荘系の漫画家さんに『COM』や『ガロ』、『少年キング』や『少年マガジン』、『少年チャンピオン』系の作家さん達の単行本を集めるようになりました。


現在の私の専門領域は、無声映画時代からの映画やアニメーションと大正・昭和の少年少女雑誌、少年少女小説、街頭紙芝居に絵物語、挿絵に音楽、ラジオ、テレビ、そして漫画史の研究になります。


漫画史研究家は、漫画評論家と違い、独自にデータベースを作るのが最低の必須条件。
作家の作品リスト、単行本リスト、年譜などを調査し、更に本当かどうか作家本人もしくは遺族や編集者など当時の関係者に確認しインタビューする。
他人が発表したデータは実物が確認出来るまで、半信半疑のままである。
ちなみに、私が『少年画報大全』(2001年・少年画報社)を監修した時、それ以前から活躍している評論家達が発表していたデータと私が調べたデータとでは、100箇所以上の違いが見受けられた。
『少年画報大全』巻末の参考資料と本文の記載データが違う場合、原本から実証的に確認した私のデータの方が99.9%の確率で正しいと自負している。
2001年以降に発表された書籍でも、『少年画報大全』を参考文献に加えてないもので、同じ事柄のデータが違っていた場合、私のデータの方が正しい筈だ。(笑)
『少年画報大全』発表後、私に何の挨拶もなく、データや掲載した画像を無断引用している評論家や研究者がいる。
素人のファンの人やマニアの人が趣味で楽しんでくれているならお役に立てて嬉しい限りだが、評論家や研究者を名乗りながら、参考文献として、『少年画報大全』の書名をあげてくれる研究者としての最低限のマナーを守れる人が少ないのはなぜだろうか?
彼等のような高学歴ではなく、横浜鶴見の不良少年上がりの私では全く理解出来ない深い謎である。


漫画史研究家は、漫画評論家と違い、日々の地道なデータ集めが必要とされ、その成果を発表する場も非常に少ない。
出版不況が深刻となり、書籍や雑誌などで研究者が、その研究成果を発表する場が少なくなっている今、購読者の少ない専門の学会誌や自費出版だけでなく、ネットによる情報発信もこれからは、十分有効性を持つようになるだろう。
かつて映画スターがテレビドラマに出演することは少なかった時代がある。
けれども、足掛け三年の歳月をかけて制作されたNHKの『坂の上の雲』を観る限り、最近はテレビドラマでも、映画を越えるクオリティーを持つ作品が制作されるようになり、映画でもテレビドラマよりクオリティーの低い作品がたくさん溢れている。
出版の世界でも、大学教授など肩書きがご立派なだけで、自費出版などネットで地道に活動している在野のブロガーより知識や成果が劣る内容で、商業出版しても直ぐに自由価格本となり古本屋に出回るなど、僅か数年で絶版になるような本が多数出版されているのが悲しい日本の出版界の現状だ。
日本に数少ない正統な漫画史研究家を名乗る者として、私も2012年からはこれまで以上にネットの利点を十分活用して、正しい漫画史研究の在り方の模範を示さなければいけない時期が来ていることを自覚した。
ネットの最大の利点として、情報発信の速報性や、書影などオールカラーによる図版の紹介が可能であること。
又、完成された文章でなく中途半端な草稿を発表しても、担当する編集者から怒られることがない。(笑)
最大の欠点としては・・・原稿料が出ない。(涙)
そして、発信した情報が直ぐに無断で引用、孫引きされるなど著作権の保護が不完全のままである。
そうした問題点も全て承知の上で、草稿状態の文章での発表をして行きたいと思いますので、皆さん2012年もよろしくね!(笑)


《序章》

これから日本の戦後の漫画史、特に少年雑誌の歴史を知る上での必須アイテムになる一番有効な書籍は、私、本間正幸が監修し2001年に発売した


【少年画報大全】(少年画報社)定価2900円


である。
発売時に朝日新聞始め、毎日新聞、読売新聞夕刊、日本経済新聞や、雑誌の書評など当時の様々なメディアに大きく取り上げられた。
発売十年を過ぎてもロングランを続け、現在は三刷。
大学教授の肩書きを持つ著者が、発売数年で増刷もなく自由価格本となり、絶版の道を辿る多くのマンガ評論、研究本の類とは、明らかに一線を画しているのである。
紹介した漫画家さんや作家さんの本など、毎年のように復刊され続け、美術館や博物館などの企画展も開催されている。
藤子不二雄A先生の【怪物くん】や望月三起也先生の【ワイルド7】の実写映画化など、私が特集を組み、インタービューした先生方は、今や再ブームが起きているのだ。
ここ十年来、今だ【少年画報大全】を越える実証的な少年雑誌の研究書は出てこない故、今も古さを感じさせないようだ。
別冊付録として付けた

【冒険活劇文庫】(昭和23年8月発行)創刊號のオリジナル本は、当時の市場価格が数十万した稀少本。


江戸末期から昭和に到る日本の漫画史研究の第一人者である清水勲先生や、小野耕世先生、少年小説研究の第一人者である故・二上洋一先生からは、


「この創刊號の完全復刻のアイデアが素晴らしい!」


と大絶賛され、この本が縁となり、当時無名だった在野の研究者である私の名前を覚えてもらえるようになったのだ。
それまでの漫画研究本と、【少年画報大全】が一線を画した理由、それは実証的なデータと徹底した図版重視による初の漫画史研究本であるからだ。


戦後、日本の漫画が諸外国と比べ、独特な変化を遂げることが出来たのには、手塚治虫先生の登場だけでなく、戦前からの街頭紙芝居【黄金バット】や【ハカバキタロー】の影響があることをいち早く提唱した。
街頭紙芝居から、【黄金バット】や【少年王者】、絵物語オリジナルとなる【地球SOS】が誕生。
絵物語が昭和20年代の少年雑誌の世界を席巻し、昭和30年代前半に【赤胴鈴之助】の空前の大ヒットで漫画が一般の人達の間でも市民権を得る。
戦前からの流れを汲む大資本の出版社から出ていた少年雑誌『少年クラブ』や戦後生まれの『少年』などは、A5版で読み物や少年小説など活字が主体のままだった。
戦後、街頭紙芝居の大ヒット作【黄金バット】を看板に、絵物語中心、版型が一回り大きなB5判で新たに立ち上げられた革新的な少年雑誌が『冒険活劇文庫』である。
後に『少年画報』へと発展し、僅か十年足らずで日本一の少年雑誌へと急成長を遂げる。
けれども、世の中が落ち着きを取り戻し、人々の生活水準が向上すると、大資本系列の光文社発行の少年雑誌『少年』へとその王座を譲り渡さなければならなくなる。
戦後の少年雑誌の歴史は、とてもドラマチックであり、史料も煩雑となるため、正しい全貌を把握するには、ある程度の専門性と知識が必要とされる。
また、個人的な感情や思い入れにより、間違った認識の少年雑誌観を発表する人達が多いのも、漫画史研究を遅らせている明らかな原因のひとつだ。
ともあれ、戦後の少年雑誌において、漫画史的に一番重要な雑誌は『冒険活劇文庫』と『少年画報』の歴史である。
『少年』は二番手となり、『漫画少年』が、その後に続く。
少年週刊誌誕生となれば、『少年マガジン』『少年サンデー』『少年キング』『少年ジャンプ』『少年チャンピオン』の五大少年週刊誌の歴史を押さえればいい。
そして『ガロ』と『COM』『ヤングコミック』に『ビッグコミック』の青年誌の流れも押さえておけば、入門編は完成だろう。

次回から、具体的な少年雑誌の歴史と研究方法について触れて行きたいと思う。

映画と漫画史研究家


本間正幸
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