2012年、映画と漫画史研究家の本間正幸がオススメする映画やマンガ、アニメなどのイベント情報、展示会の紹介です!(今回の画像、左上がサンデー&マガジン大同窓会の時に関係者向けに配布された創刊号復刻セットのケース。
左下、少年マガジン創刊号の復刻本。
右上、少年サンデー創刊号。
右下、少年サンデー創刊号の復刻本。)
《はじめに》
BS-TBS
【関口宏の昭和青春グラフィティ】にて、
「昭和のマンガ~子どもから青年そして大人へ僕らの傍にはいつもマンガがあった」
【ゲスト】藤子不二雄A・タケカワユキヒデ
を昨年見ました。
番組を見て、改めて誰でも簡単に判る日本の漫画史と、研究者用資料公開の必要性を痛感する。
その二日前には、のらくろ館のある東京都江東区森下文化センターで、
『貸本マンガの時代』第4回「貸本マンガの世界~貸本マンガから週刊誌へ~」
のゲストに漫画家の川崎のぼる先生とビッグ錠先生が来館。
大阪の貸本漫画が末期となる時期に上京し、表舞台となる週刊少年雑誌へ登場する過渡期の頃についての珍しい話を聞くことが出来た。
私的には、現在熊本在住である川崎のぼる先生がワザワザ上京していただけたのだから、もう少し聞き手である司会者が作品の研究をして、配布される資料類も充実させてくれたらと大変悔やまれる内容でしたが、正統な日本の漫画史を理解出来る研究者やインタビュアーが少ないこれが悲しい現状なのです。(涙)
会場に展示されていた
【のらくろ館】
の資料の収集が、在野の漫画コレクターの協力の下、及第点を行くものであり、これからの研究成果に期待して大甘に68点の合格点を出しときます。
*このイベントは、1700円と有料である。
(以上再録)
{『少年サンデー』(小学館)}
手塚治虫先生の【スリル博士】を看板に、小学館初のマンガをメインとした少年雑誌として創刊される。
創刊当初は、寺田ヒロオ先生の【スポーツマン金太郎】や、横山光輝先生の【伊賀の影丸】赤塚不二夫先生の【おそ松くん】や藤子不二雄先生の【オバケのQ太郎】が人気を博す。
{『少年マガジン』(講談社)}
戦前からの伝統ある月刊誌『少年クラブ』と低学年向けの『ぼくら』で苦戦していた講談社が、子供たちのライフスタイルがテレビの影響の下、月単位から週単位へと変わり行くことを予見して創刊される。
実際、子供たちの大半が月刊誌から週刊誌へ移ったのは、『少年キング』(少年画報社)が創刊された昭和38年から昭和40年代前半にかけての頃だと漫画史研究家の私、本間正幸は考えている。
月刊誌である『少年クラブ』が休刊となり、週刊誌の『少年マガジン』が、ライバル『少年サンデー』を抜いて人気を博するようになるのが丁度その頃。
我らが桑田次郎先生の【8マン】(原作・平井和正先生)の大ブームから始まり、水木しげる先生の【ゲゲゲの鬼太郎】、川崎のぼる先生の【巨人の星】(原作・梶原一騎先生)、ちばてつや先生の【あしたのジョー】(原作・高森朝雄先生こと梶原一騎先生)と次々に大ヒット作を連発し、昭和40年代には100万部雑誌へと急成長を遂げる。
『少年サンデー』と『少年マガジン』50周年の企画展は全国巡回するも、残念ながら伝統ある両雑誌の名作全体へ対する再評価の起爆剤には繋がらなかったようだ。(涙)
むしろNHKの朝ドラ【ゲゲゲの女房】で改めて注目されたのが、水木しげる先生の作品群と青年漫画雑誌『ガロ』(青林堂)の存在だろう。
そして、上村一夫先生を擁する青年雑誌の先駆け『ヤングコミック』(少年画報社)が、話題になりそうな気がする。
そんなことをひとり考えていると、江東区森下文化センターから、案内状が届く。
私の龍馬イラスト展inお江戸 オープニングパーティ@森下文化センター
特別セッショントーク
「時代を切り開いた先駆者たち~ガロ・COM マンガの時代」
2012年1月27日(金)
会場・森下文化センター
2階 多目的ホール
開場 17:00 開演 18:00
前売 1,700円(当日300円増)
出演 南 伸坊(イラストライター)、長谷邦夫(漫画家)
進行役 サエキ けんぞう
日本マンガの黎明期を象徴する二大雑誌をテーマに関係者、作家、愛読者が三つ巴で繰り広げるトークセッション。
龍馬が新時代を切り開いたように、日本のマンガ界では「ガロ」と「COM」がその先駆者となった。
日本マンガに夜明けは来たのか!?
南伸坊・イラストライター
1972~1979年、「ガロ」編集長を務め、マンガというジャンルを越えたサブカルチャーの雄としての雑誌の地位を築く。
長谷邦夫・漫画家
赤塚不二夫のブレイン役として知られる。
「COM」で「バカ式」を連載。
先ごろ上梓した『あるマンガ家の自伝 桜三月散歩道』にも当時の模様が描かれている。
〈来場予定〉
蛭子能収、後藤友香、島田虎之介、富崎NORI、とり・みき、花くまゆうさく、手塚能理子(「アックス」編集長)他
主催・企画・制作
有限会社パールネット(プロデューサー サエキけんぞう)
イベント協力 青林工藝舎
共催 公益財団法人江東区文化コミュニティ財団/森下文化センター
Tel:03(5600)8666
【私の龍馬】イラスト展inお江戸
2012年1月27日(金)~2月12日(日)9:00~21:00
*2月6日(月)休館
会場:森下文化センター
1階 展示ロビー 入場無料
龍馬・幕末関連のマンガ、150冊ご用意
ご自由にお読みいただけます!
今回から参加のアーティスト
出品アーティスト一覧
〈漫画家〉
いしかわじゅん、うえださと士、ウノカマキリ、江波じょうじ、大石容子、沖山潤、おだ辰夫、川崎タカオ、後藤友香、久住昌之、齋藤裕之介、とりみき、永田竹丸、長谷邦夫、ひさうちみちお、堀道広、南伸坊、向さすけ、山根青鬼
〈イラストレーター〉
さくらせかい
これまでの出品アーティスト一覧
〈漫画家〉
江川達也、江口寿史、蛭子能収、大岩ケンジ、清原なつの、久保ミツロウ、西原理恵子、島田虎之介、しりあがり寿、新條まゆ、根本敬、花くまゆうさく、東村アキコ、魔夜峰央、本秀康、柳内大樹、やなせたかし、やまだないと、山本ルンルン、ユキムラ、吉崎観音、吉田戦車、若杉公徳
〈イラストレーター〉
上野アモーレヒロスケ、小田切竜太郎、黒崎玄、佐野良之、真珠子、たま、寺門孝之、富崎NORI、POP
特別出品[書]:TAKAHIRO(EXILE)
以上、五十音順 敬称略
江東区森下文化センター
〒135ー0004
東京都江東区森下3ー12ー17
Tel:03ー5600ー8666
午前9時~午後9時
*休館:2月6日(月)
http://www.kcf.or.jp
以下、再録・再編集記事です。
手塚治虫先生の虫プロアニメや、東映の平山プロデューサーの特撮番組の影響もあり、大の漫画好きとなってしまった私は、小学生の頃から漫画の歴史に興味を持ち、手塚治虫先生の作品を中心にトキワ荘系の漫画家さんに『COM』や『ガロ』、『少年キング』や『少年マガジン』、『少年チャンピオン』系の作家さん達の単行本を集めるようになりました。
現在の私の専門領域は、無声映画時代からの映画やアニメーションと大正・昭和の少年少女雑誌、少年少女小説、街頭紙芝居に絵物語、挿絵に音楽、ラジオ、テレビ、そして漫画史の研究になります。
日本に数少ない正統な漫画史研究家を名乗る者として、私も2012年からはこれまで以上にネットの利点を十分活用して、正しい漫画史研究の在り方の模範を示さなければいけない時期が来ていることを自覚。
ネットの最大の利点として、情報発信の速報性や、書影などオールカラーによる画像添付が可能であること。
又、完成された文章でなく中途半端な草稿を発表しても、担当する編集者から怒られることがない。(笑)
最大の欠点としては・・・原稿料が出ない。(涙)
そして、発信した情報が直ぐに無断で引用、孫引きされるなど著作権の保護が不完全のままである。
そうした問題点も全て承知の上で、草稿状態の文章での発表をして行きたいと思いますので、皆さん2012年もよろしくね!(笑)
《序章》
これから日本の戦後の漫画史、特に少年雑誌の歴史を知る上での必須アイテムになる一番有効な書籍は、私、本間正幸が監修し2001年に発売した
【少年画報大全】(少年画報社)定価2900円
である。
発売時に朝日新聞始め、毎日新聞、読売新聞夕刊、日本経済新聞や、雑誌の書評など当時の様々なメディアに大きく取り上げられた。
発売十年を過ぎてもロングランを続け、現在は三刷。発行部数は10000部を軽く越える。
自称マンガ好き?の大学教授として三千部を発行し、発売数年で増刷もなく自由価格本となり、絶版の道を辿る多くのマンガ評論家の研究本の類とは、明らかに一線を画しているのである。
紹介した漫画家さんや作家さんの本など、毎年のように復刊され続け、美術館や博物館などの企画展も開催されている。
藤子不二雄A先生の【怪物くん】や望月三起也先生の【ワイルド7】の実写映画化など、私が特集を組み、インタービューした先生方は、今や再ブームが起きているのだ。
ここ十年来、今だ【少年画報大全】を越える実証的な少年雑誌や昭和の少年漫画の研究書は出てこない故、今も古さを感じさせないようだ。
別冊付録として付けた
【冒険活劇文庫】(昭和23年8月発行)創刊號のオリジナル本は、2001年の市場価格が数十万した稀少本。
江戸末期から昭和に到る日本の漫画史研究の第一人者である清水勲先生や、小野耕世先生、少年小説研究の第一人者である故・二上洋一先生からは、
「この創刊號の完全復刻のアイデアが素晴らしい!」
と絶賛され、この本が縁となり交流が始まる。
それまでの漫画評論家たちの類型的な漫画研究本と、【少年画報大全】が一線を画した理由、それは実証的なデータと徹底した図版重視による初の漫画史研究本だからだ。
戦後、日本の漫画が諸外国と比べ、独特な変化を遂げることが出来たのには、手塚治虫先生の登場だけでなく、戦前からの街頭紙芝居【黄金バット】や【ハカバキタロー】の影響があることをいち早く提唱した。
街頭紙芝居から、【黄金バット】や【少年王者】、絵物語オリジナルとなる【地球SOS】が誕生。
絵物語が昭和20年代の少年雑誌の世界を席巻し、昭和30年代前半に【赤胴鈴之助】の空前の大ヒットで漫画が一般の人達の間でも市民権を得る。
戦前からの流れを汲む大資本の出版社から出ていた少年雑誌『少年クラブ』や戦後生まれの『少年』などは、A5版で読み物や少年小説など活字が主体のままだった。
戦後、街頭紙芝居の大ヒット作【黄金バット】を看板に、絵物語中心、判型が一回り大きなB5判で新たに立ち上げられた革新的な少年雑誌が『冒険活劇文庫』である。
後に『少年画報』へと発展し、僅か十年足らずで日本一の少年雑誌へと急成長を遂げる。
けれども、世の中が落ち着きを取り戻し、人々の生活水準が向上すると、大資本系列の光文社発行の少年雑誌『少年』へとその王座を譲り渡さなければならなくなる。
軈て週刊少年誌が台頭。
戦後の少年雑誌の歴史は、とてもドラマチックであり、史料も煩雑となるため、正しい全貌を把握するには、ある程度の専門性と知識が必要である。
また、個人的な感情や思い入れにより、間違った認識の少年雑誌観を発表する人達が多いのも、漫画史研究を遅らせている原因のひとつ。
ともあれ、戦後の少年雑誌において、漫画史的に一番重要な雑誌は『冒険活劇文庫』と『少年画報』の歴史である。
『少年』は二番手となり、『漫画少年』が、その後に続く。
少年週刊誌誕生となれば、『少年マガジン』『少年サンデー』『少年キング』『少年ジャンプ』『少年チャンピオン』の五大少年週刊誌の歴史を押さえればいい。
そして『ガロ』と『COM』『ヤングコミック』に『ビッグコミック』の青年誌の流れも押さえておけば、入門編はOKだ。
映画と漫画史研究家
本間正幸
左下、少年マガジン創刊号の復刻本。
右上、少年サンデー創刊号。
右下、少年サンデー創刊号の復刻本。)
《はじめに》
BS-TBS
【関口宏の昭和青春グラフィティ】にて、
「昭和のマンガ~子どもから青年そして大人へ僕らの傍にはいつもマンガがあった」
【ゲスト】藤子不二雄A・タケカワユキヒデ
を昨年見ました。
番組を見て、改めて誰でも簡単に判る日本の漫画史と、研究者用資料公開の必要性を痛感する。
その二日前には、のらくろ館のある東京都江東区森下文化センターで、
『貸本マンガの時代』第4回「貸本マンガの世界~貸本マンガから週刊誌へ~」
のゲストに漫画家の川崎のぼる先生とビッグ錠先生が来館。
大阪の貸本漫画が末期となる時期に上京し、表舞台となる週刊少年雑誌へ登場する過渡期の頃についての珍しい話を聞くことが出来た。
私的には、現在熊本在住である川崎のぼる先生がワザワザ上京していただけたのだから、もう少し聞き手である司会者が作品の研究をして、配布される資料類も充実させてくれたらと大変悔やまれる内容でしたが、正統な日本の漫画史を理解出来る研究者やインタビュアーが少ないこれが悲しい現状なのです。(涙)
会場に展示されていた
【のらくろ館】
の資料の収集が、在野の漫画コレクターの協力の下、及第点を行くものであり、これからの研究成果に期待して大甘に68点の合格点を出しときます。
*このイベントは、1700円と有料である。
(以上再録)
{『少年サンデー』(小学館)}
手塚治虫先生の【スリル博士】を看板に、小学館初のマンガをメインとした少年雑誌として創刊される。
創刊当初は、寺田ヒロオ先生の【スポーツマン金太郎】や、横山光輝先生の【伊賀の影丸】赤塚不二夫先生の【おそ松くん】や藤子不二雄先生の【オバケのQ太郎】が人気を博す。
{『少年マガジン』(講談社)}
戦前からの伝統ある月刊誌『少年クラブ』と低学年向けの『ぼくら』で苦戦していた講談社が、子供たちのライフスタイルがテレビの影響の下、月単位から週単位へと変わり行くことを予見して創刊される。
実際、子供たちの大半が月刊誌から週刊誌へ移ったのは、『少年キング』(少年画報社)が創刊された昭和38年から昭和40年代前半にかけての頃だと漫画史研究家の私、本間正幸は考えている。
月刊誌である『少年クラブ』が休刊となり、週刊誌の『少年マガジン』が、ライバル『少年サンデー』を抜いて人気を博するようになるのが丁度その頃。
我らが桑田次郎先生の【8マン】(原作・平井和正先生)の大ブームから始まり、水木しげる先生の【ゲゲゲの鬼太郎】、川崎のぼる先生の【巨人の星】(原作・梶原一騎先生)、ちばてつや先生の【あしたのジョー】(原作・高森朝雄先生こと梶原一騎先生)と次々に大ヒット作を連発し、昭和40年代には100万部雑誌へと急成長を遂げる。
『少年サンデー』と『少年マガジン』50周年の企画展は全国巡回するも、残念ながら伝統ある両雑誌の名作全体へ対する再評価の起爆剤には繋がらなかったようだ。(涙)
むしろNHKの朝ドラ【ゲゲゲの女房】で改めて注目されたのが、水木しげる先生の作品群と青年漫画雑誌『ガロ』(青林堂)の存在だろう。
そして、上村一夫先生を擁する青年雑誌の先駆け『ヤングコミック』(少年画報社)が、話題になりそうな気がする。
そんなことをひとり考えていると、江東区森下文化センターから、案内状が届く。
私の龍馬イラスト展inお江戸 オープニングパーティ@森下文化センター
特別セッショントーク
「時代を切り開いた先駆者たち~ガロ・COM マンガの時代」
2012年1月27日(金)
会場・森下文化センター
2階 多目的ホール
開場 17:00 開演 18:00
前売 1,700円(当日300円増)
出演 南 伸坊(イラストライター)、長谷邦夫(漫画家)
進行役 サエキ けんぞう
日本マンガの黎明期を象徴する二大雑誌をテーマに関係者、作家、愛読者が三つ巴で繰り広げるトークセッション。
龍馬が新時代を切り開いたように、日本のマンガ界では「ガロ」と「COM」がその先駆者となった。
日本マンガに夜明けは来たのか!?
南伸坊・イラストライター
1972~1979年、「ガロ」編集長を務め、マンガというジャンルを越えたサブカルチャーの雄としての雑誌の地位を築く。
長谷邦夫・漫画家
赤塚不二夫のブレイン役として知られる。
「COM」で「バカ式」を連載。
先ごろ上梓した『あるマンガ家の自伝 桜三月散歩道』にも当時の模様が描かれている。
〈来場予定〉
蛭子能収、後藤友香、島田虎之介、富崎NORI、とり・みき、花くまゆうさく、手塚能理子(「アックス」編集長)他
主催・企画・制作
有限会社パールネット(プロデューサー サエキけんぞう)
イベント協力 青林工藝舎
共催 公益財団法人江東区文化コミュニティ財団/森下文化センター
Tel:03(5600)8666
【私の龍馬】イラスト展inお江戸
2012年1月27日(金)~2月12日(日)9:00~21:00
*2月6日(月)休館
会場:森下文化センター
1階 展示ロビー 入場無料
龍馬・幕末関連のマンガ、150冊ご用意
ご自由にお読みいただけます!
今回から参加のアーティスト
出品アーティスト一覧
〈漫画家〉
いしかわじゅん、うえださと士、ウノカマキリ、江波じょうじ、大石容子、沖山潤、おだ辰夫、川崎タカオ、後藤友香、久住昌之、齋藤裕之介、とりみき、永田竹丸、長谷邦夫、ひさうちみちお、堀道広、南伸坊、向さすけ、山根青鬼
〈イラストレーター〉
さくらせかい
これまでの出品アーティスト一覧
〈漫画家〉
江川達也、江口寿史、蛭子能収、大岩ケンジ、清原なつの、久保ミツロウ、西原理恵子、島田虎之介、しりあがり寿、新條まゆ、根本敬、花くまゆうさく、東村アキコ、魔夜峰央、本秀康、柳内大樹、やなせたかし、やまだないと、山本ルンルン、ユキムラ、吉崎観音、吉田戦車、若杉公徳
〈イラストレーター〉
上野アモーレヒロスケ、小田切竜太郎、黒崎玄、佐野良之、真珠子、たま、寺門孝之、富崎NORI、POP
特別出品[書]:TAKAHIRO(EXILE)
以上、五十音順 敬称略
江東区森下文化センター
〒135ー0004
東京都江東区森下3ー12ー17
Tel:03ー5600ー8666
午前9時~午後9時
*休館:2月6日(月)
http://www.kcf.or.jp
以下、再録・再編集記事です。
手塚治虫先生の虫プロアニメや、東映の平山プロデューサーの特撮番組の影響もあり、大の漫画好きとなってしまった私は、小学生の頃から漫画の歴史に興味を持ち、手塚治虫先生の作品を中心にトキワ荘系の漫画家さんに『COM』や『ガロ』、『少年キング』や『少年マガジン』、『少年チャンピオン』系の作家さん達の単行本を集めるようになりました。
現在の私の専門領域は、無声映画時代からの映画やアニメーションと大正・昭和の少年少女雑誌、少年少女小説、街頭紙芝居に絵物語、挿絵に音楽、ラジオ、テレビ、そして漫画史の研究になります。
日本に数少ない正統な漫画史研究家を名乗る者として、私も2012年からはこれまで以上にネットの利点を十分活用して、正しい漫画史研究の在り方の模範を示さなければいけない時期が来ていることを自覚。
ネットの最大の利点として、情報発信の速報性や、書影などオールカラーによる画像添付が可能であること。
又、完成された文章でなく中途半端な草稿を発表しても、担当する編集者から怒られることがない。(笑)
最大の欠点としては・・・原稿料が出ない。(涙)
そして、発信した情報が直ぐに無断で引用、孫引きされるなど著作権の保護が不完全のままである。
そうした問題点も全て承知の上で、草稿状態の文章での発表をして行きたいと思いますので、皆さん2012年もよろしくね!(笑)
《序章》
これから日本の戦後の漫画史、特に少年雑誌の歴史を知る上での必須アイテムになる一番有効な書籍は、私、本間正幸が監修し2001年に発売した
【少年画報大全】(少年画報社)定価2900円
である。
発売時に朝日新聞始め、毎日新聞、読売新聞夕刊、日本経済新聞や、雑誌の書評など当時の様々なメディアに大きく取り上げられた。
発売十年を過ぎてもロングランを続け、現在は三刷。発行部数は10000部を軽く越える。
自称マンガ好き?の大学教授として三千部を発行し、発売数年で増刷もなく自由価格本となり、絶版の道を辿る多くのマンガ評論家の研究本の類とは、明らかに一線を画しているのである。
紹介した漫画家さんや作家さんの本など、毎年のように復刊され続け、美術館や博物館などの企画展も開催されている。
藤子不二雄A先生の【怪物くん】や望月三起也先生の【ワイルド7】の実写映画化など、私が特集を組み、インタービューした先生方は、今や再ブームが起きているのだ。
ここ十年来、今だ【少年画報大全】を越える実証的な少年雑誌や昭和の少年漫画の研究書は出てこない故、今も古さを感じさせないようだ。
別冊付録として付けた
【冒険活劇文庫】(昭和23年8月発行)創刊號のオリジナル本は、2001年の市場価格が数十万した稀少本。
江戸末期から昭和に到る日本の漫画史研究の第一人者である清水勲先生や、小野耕世先生、少年小説研究の第一人者である故・二上洋一先生からは、
「この創刊號の完全復刻のアイデアが素晴らしい!」
と絶賛され、この本が縁となり交流が始まる。
それまでの漫画評論家たちの類型的な漫画研究本と、【少年画報大全】が一線を画した理由、それは実証的なデータと徹底した図版重視による初の漫画史研究本だからだ。
戦後、日本の漫画が諸外国と比べ、独特な変化を遂げることが出来たのには、手塚治虫先生の登場だけでなく、戦前からの街頭紙芝居【黄金バット】や【ハカバキタロー】の影響があることをいち早く提唱した。
街頭紙芝居から、【黄金バット】や【少年王者】、絵物語オリジナルとなる【地球SOS】が誕生。
絵物語が昭和20年代の少年雑誌の世界を席巻し、昭和30年代前半に【赤胴鈴之助】の空前の大ヒットで漫画が一般の人達の間でも市民権を得る。
戦前からの流れを汲む大資本の出版社から出ていた少年雑誌『少年クラブ』や戦後生まれの『少年』などは、A5版で読み物や少年小説など活字が主体のままだった。
戦後、街頭紙芝居の大ヒット作【黄金バット】を看板に、絵物語中心、判型が一回り大きなB5判で新たに立ち上げられた革新的な少年雑誌が『冒険活劇文庫』である。
後に『少年画報』へと発展し、僅か十年足らずで日本一の少年雑誌へと急成長を遂げる。
けれども、世の中が落ち着きを取り戻し、人々の生活水準が向上すると、大資本系列の光文社発行の少年雑誌『少年』へとその王座を譲り渡さなければならなくなる。
軈て週刊少年誌が台頭。
戦後の少年雑誌の歴史は、とてもドラマチックであり、史料も煩雑となるため、正しい全貌を把握するには、ある程度の専門性と知識が必要である。
また、個人的な感情や思い入れにより、間違った認識の少年雑誌観を発表する人達が多いのも、漫画史研究を遅らせている原因のひとつ。
ともあれ、戦後の少年雑誌において、漫画史的に一番重要な雑誌は『冒険活劇文庫』と『少年画報』の歴史である。
『少年』は二番手となり、『漫画少年』が、その後に続く。
少年週刊誌誕生となれば、『少年マガジン』『少年サンデー』『少年キング』『少年ジャンプ』『少年チャンピオン』の五大少年週刊誌の歴史を押さえればいい。
そして『ガロ』と『COM』『ヤングコミック』に『ビッグコミック』の青年誌の流れも押さえておけば、入門編はOKだ。
映画と漫画史研究家
本間正幸