5月24日(火)
11/27℃(岩手県盛岡市内丸)
(12日目)奥州街道 松前道 ①
盛岡宿ー渋民宿ー好摩
盛岡(もりおか)宿(95)ー盛岡城址ー材木町ー石川啄木・新婚の家ー四ツ谷惣門跡ー上田同心町(足軽同心組の武家屋敷跡)ー盛岡高等農林学校(現岩手大学農学部)ー門番所(国文財)ー石川啄木・妻節子の生家ー正覚寺ー高松ノ池ー上田一里塚西塚ー松屋敷坂(座頭転がし)ー旧奥州街道・松並木ー岩手県立博物館ー南部片冨士湖ー小野松一里塚ー柳平水辺公園ー笹平一里塚ー玉山村ー岩手山・姫神山の眺望ー石川啄木記念館ー渋民公園ー旧渋民尋常高等小学校校舎ー啄木歌碑ー渋民(しぶたみ)宿(96)―愛宕神社ー宝徳寺(啄木18歳まで過ごした寺)ー渋民小学校ー芋田産土神社ー好摩s
<*番号は江戸・日本橋からの奥州街道・宿場 連番号>
岩手大学農学部構内にある旧盛岡高等農林学校本館 宮沢賢治センター
岩手県立盛岡第一高等学校
かつて石川啄木や宮沢賢治が学んだ母校
今日から奥州街道・盛岡道に続き 松前道に踏み入る
松前道は盛岡宿から野辺地宿、青森宿を経て三厩宿までの遠い道のりであるが、次の6月の行程上少しでも前へ進もうと盛岡宿からの歩みを継続し、二戸宿辺りまで行きたい
朝食はホテルモーニングをしっかりと頂く
盛岡は想像以上に大きな街だ
石川啄木新婚の家があるそうで尋ねてみた
ここは盛岡藩奥州街道の番所があった所
岩手大学農学部を訪ねる
これは農林学校時代の正門で門番所
大学構内に石川啄木の妻節子の実家跡があり、車井戸が復元されている
大学構内に石川啄木の妻節子の実家跡があり、車井戸が復元されている
旧盛岡高等農林学校本館
宮沢賢治センターが併設されている
池の前のベンチに座りしばし石川啄木や宮沢賢治を思い忍ぶ
白い花は何? 歩いてきた学生に聞いたら親切に教えてくれた
大学構内のロボットが自動的に芝刈りをしている
次生まれてきたらぜひこの大学で学びたいものだと、その自然環境にも共感した🤣
街道に戻りこれから長い道のりを歩く
街道に戻りこれから長い道のりを歩く
一里塚が残っている
ここから渋民まで約20キロほどの山越が続く 上り下りを繰り返し峠を越える 歩く人も余り見かけない 28℃と汗だく💦
峠に一軒だけ十割そばの店があったがお腹はまだ空いていない
峠に一軒だけ十割そばの店があったがお腹はまだ空いていない
湖かと思ったが北上川だと だが水が流れていないので調整するダム湖のようだ
修道院を訪ねる 湖畔の静かな森の中にあった
こここそ熊と出会ってもおかしくなさそうな雰囲気だ まだ人を見かけない
水力発電所かな?
歩く道の左手に岩手山、右手に姫神山の景観はすばらしい 暑さも疲れも忘れる😂
渋民宿に入る 啄木が18歳まで過ごしたお寺 宝徳寺
横手に啄木記念館があり、敷地内に啄木が代用教員をしていた渋民尋常高等小学校と啄木が間借りしていた斉藤家が移築されている
今日はここまでにし、40分ほど歩いて好摩駅へでる
啄木も東京へ出る時はこの駅から出発したとの事
駅前には何もないので電車を1時間ほど待ち盛岡でホテルを予約した
江戸・日本橋を発した奥州道中・奥州街道は、長い旅路を経て北奥州の覇者、南部氏が築いた城下町・盛岡に着き、ここから終着地青森・三厩宿から海を渡り、最北の蝦夷地(北海道)松前藩を目指すが、終着地までまだ遠い道のりが続く
岩手県の渋民村と言えば夭折の歌人・石川啄木の故郷だが、岩手山を望む風景に魅了された
暑さに閉口したが、宮沢賢治と石川啄木を訪ねる旅を楽しんだ
(1日目)松前道①
33.2㎞ 45.086歩
(12日目 累計)
342.13km 461.337歩
いながらにして名所旧跡を見せて頂ける事に感激しています。
毎日30キロも歩かれるのでしょうか、まさに超人的としか思えません。
毎日ブログ楽しみにしています。
お体に気を付けられ、旅を続けられますようお祈りしています。