幸喜幸齢 生きがい 日記!       

八十路の青春賦 人生の黄金期を自分らしく あるがままに生きる幸喜幸齢者 感謝と幸せの生きがい日記 頑爺/肇&K

江戸・長崎街道歩き旅(15日目)完歩

2021年10月17日 | 江戸・長崎街道歩き旅24次(九州・小倉から長崎・出島へ)
1015日(金) 
 22/31℃(長崎市宿町網場道)
(15日目)長崎街道
  網場道ー日見宿ー長崎出島 (到着)

<行程>
<網場道ー日見宿ー長崎・出島> 
 網場道ー腹切坂ー継場跡ー日見宿㉔ー歯痛観音ー梨の木茶屋跡ー亡塚ー日見峠ー馬頭観音ー文政道・シン峠ー本河内高部貯水池ー追分石ー青銅の塔ー蛍茶屋跡ー一の瀬橋ー古橋ーシーボルト通りー威福寺ー諏訪神社ー高木作右衛門屋敷跡ー長崎奉行所立山役所跡ー英語伝習所ー長崎会所跡ー末続平蔵宅跡ー桜町老屋敷跡ー唐通事会所跡ー医学伝習所跡ー高島秋帆宅跡ー本木昌造宅跡ー長崎奉行西役所跡ー海軍伝習所跡ーイエズス会本部跡ー出島オランダ商館跡ー出島ー長崎街道・起点地到着

さあいよいよ長崎街道歩き旅も最終日となった 感慨深い
予想外の暑さのため、予定した日数より2日間も多く15日間を要したが、大きな問題もなく最後まで無事に到着したいもの

15日目の出発地は、昨日歩き終えた網場道(あばみち)からで、人によれば日見峠越えは長崎街道随一の難所と言いプレッシャーがかかる

ところが昨夕ここまでとしたその場所へ戻るバス便が難しく、ホテルのフロントやバス停の人に、また来たバス4台の運転手に次々と聞いてやっとたどりついた👌😆

さあ長崎街道歩き旅も最後の出発日だ 
腹切坂から朝日に輝く橘湾を遠望しつつスタートした









「日見継ぎ場跡」は旅人の休み処だが、当時は歩く町人や武士らから重宝されたであろう 
この辺から上り坂となる











日見峠へ向かう上り坂が結構きつい


ナビは近道を教えるが、これも足にくる



この道の左右に民家が連なるが、車も入れず年寄りには厳しい坂道だ


これはスマホナビのルートを示すが、クネクネと坂を上る



これが本来の街道だが、参勤交代の大名行列もシーボルトもこのような所を通ったのかと思うと感慨深い



眼下に芒塚(すすきつか)トンネルを見る





昔の旅人が見たらビックリするような高速道路







この辺りに茶店でもほしい所だが・・・
汗だくに一休み



馬頭観音かな



日見峠に着いた 確かにきついが、冷水峠のような山の中でのワイルド感がなく舗装道が現代的で味気ない
峠表示の右が旧道、左が新道とか








余りに険しい峠越えの為、地域の有力者らが協力して山を切り開き新道を作り通行料をとったとか それが広い新道のようで右の道が旧道



当時の道はどんなであっただろうか? 









ここは茶店があった所 健脚人も一休みしたいような所だ 長崎から江戸へ向かう旅人はここが最初の茶店であったようだ






これらの石垣は当時からのものか、それとも後のものか分からない?



舗装路や電信柱が現代道を語る

日影がなく 30℃越えの街道は暑く 汗が流れる











当時は土道だから雨天の時は歩き辛かったに違いない

 
峠を越えて里に下るとダム湖が見える




長崎市街へ下ってくると、その山肌に沢山の家が建つ この坂道を上り下りする人達は毎日大変だと実感









これは墓地 お墓も山の上まで沢山連なり、老人のお墓参りなどを想像して大変さを思う




やっと峠を越えて里に下る 路面電車が懐かしい

江戸時代 その当時を知るシーボルトの功績を探る


ここはシーボルトの宅跡 しばし休憩しつつその面影を探る 江戸時代にこの長崎から江戸まで歩きながらの見聞録は当時の日本を知る上でも面白い




シーボルトの銅像から見た反対側の景色


シーボルト邸跡(国指定史跡)に立ち寄った後、その隣りに建つシーボルト記念館を見学し、更に江戸時代の姿を知る
シーボルトはドイツの医学者 文政6年(1623年)に出島和蘭商館医として来日 塾を開き多くの門弟に西洋医学や学問を教え、一方では門弟の協力を得ながら日本各地の調査研究をし、その成果をヨーロッパへしている



長崎の街に入り、街道と関わる名所旧跡を訪ねる





これは当時の長崎奉行所を再現したものとか TVの遠山の金さんを想う






さあいよいよ長崎・出島に到着だ 
門番に入門を検められ、当時の出島の様子を忠実に再現したという町並みを見学する タイムスリップするようで旅人の自分がやっと辿り着いた長崎を実感する













出島の旧神学校とか

「史跡 出島和蘭商館跡」を長崎街道の到着地とし、あの小倉・常盤橋を起点地とする東西の起点地を結び歩いてきたので旅の完歩と確認した
出島和蘭商館跡を見る

それぞれの歴史を語るには長い文言が必要だが、徳川幕府 鎖国時代に唯一海外との交易を図り新しい学術や文化が伝えられた場所だ
 また出島和蘭商館長は毎年、長崎街道、山陽・西国街道、東海道を経て江戸幕府に参上し多くの貢ぎ物をしていたが、その各街道を自分が歩き終えたので余計に感慨無量だ それにしても昔の人は健脚で驚く

長崎街道終着の地碑をみて確認、とうとう長崎街道を完歩できた



完歩に浸りながら夕暮れの長崎の街を散策 江戸町商店街へ











出島の港に出てみた


ハワイのサンセットクルーズを思い出す









大浦天主堂は18時までだが、17時半で入場券売り場が閉まるとか 残念!




グラバー邸も同じで中に入れなかった 残念!








偶然だが、今日の宿は長崎市庁舎第3別館という古い建物の前に建つホテルだが、その地名が江戸町とあり最後の締め括りとして印象に残った




ホテルで一日の汗を流し、着替えをして完歩できた自分の足腰体に乾杯をしようと、出島の海岸沿いに出かけてみた  
暑かった日中と比べ随分と涼しくなった夕べの散策を楽しみ、海辺のオープンレストランで今回初めてのデイナーを楽しんだ






あれだけ食欲がなかったのに、完歩できたと思うと存分に食べ飲みながらこの暑さに閉口した15日間の歩き旅を振り返った 
当時の旅人はこの半分ぐらいの日程で長崎から小倉まで歩いたというから凄いことだ



暮れ行く港町の雰囲気を楽しみ、ほろ酔い気分でホテルに戻り、支えてくれた皆さんに感謝と共に完歩の報告をし、達成感に浸りながら夢路についた 
ありがとうございました 皆さんに感謝です🙏





(15日目)20.14㎞、27.675歩
   累計(352・24㎞、48・08万歩)

この15日間の累計距離 
 352・24㎞   48・08万歩 
1日平均
 @23・48㎞ @3・21万歩

この間の気温 平均 31.8℃

コメント (1)
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