10月初旬に「篠山紀信展 写真力」へ行ってきた。
入ってすぐに、その大きさに圧倒されるが、大きさもさることながら、
最初のGODの場に掲げられた人々のオーラに押し返されそうになる。
特に三島由紀夫は誰よりも印象深かった。聖セバスチャンが乗り移りそうな
その哀しげな視線と、繊細な表情に相反するようなその肉体に、なんとも
複雑な感情がこみ上げてくる。衝撃的な最後を遂げる作家の美学の結晶なのか?
当時の彼を知る写真家であればこそ撮れた姿が、本当の彼を垣間見せている。
また、写真であればこそ本当の姿や虚像のハザマの微妙な感覚を伝えられる。
たくさん撮った中の一枚の選択と、今回の配置の仕方、見せ方が篠山紀信の
見る人への挑戦なのだろうか?
それが良くわかるのが、現在も注目される人々のブース。中央付近に展示された
森光子の肖像だ。大江健三郎や小沢一郎がたぶん20年以上前のものに対し、
森光子や松田聖子は現在の姿。どうしても間に流れる時間を考えさせる。
篠山紀信が女性をどのように捕らえているのか、その時々の美があるけれど、あれは
残酷なほどの現実。
現実といえば、市川海老蔵の表情。こちらの見方も反映されるけれど、彼もそう
とらえているなら恐ろしいのはレンズの向こうの人間だ。
写真の奥深さをまざまざと見せてくれるし、見た後は人間のオーラや業に完全に
ノックアウトされてる恐ろしい展覧会だった。
入ってすぐに、その大きさに圧倒されるが、大きさもさることながら、
最初のGODの場に掲げられた人々のオーラに押し返されそうになる。
特に三島由紀夫は誰よりも印象深かった。聖セバスチャンが乗り移りそうな
その哀しげな視線と、繊細な表情に相反するようなその肉体に、なんとも
複雑な感情がこみ上げてくる。衝撃的な最後を遂げる作家の美学の結晶なのか?
当時の彼を知る写真家であればこそ撮れた姿が、本当の彼を垣間見せている。
また、写真であればこそ本当の姿や虚像のハザマの微妙な感覚を伝えられる。
たくさん撮った中の一枚の選択と、今回の配置の仕方、見せ方が篠山紀信の
見る人への挑戦なのだろうか?
それが良くわかるのが、現在も注目される人々のブース。中央付近に展示された
森光子の肖像だ。大江健三郎や小沢一郎がたぶん20年以上前のものに対し、
森光子や松田聖子は現在の姿。どうしても間に流れる時間を考えさせる。
篠山紀信が女性をどのように捕らえているのか、その時々の美があるけれど、あれは
残酷なほどの現実。
現実といえば、市川海老蔵の表情。こちらの見方も反映されるけれど、彼もそう
とらえているなら恐ろしいのはレンズの向こうの人間だ。
写真の奥深さをまざまざと見せてくれるし、見た後は人間のオーラや業に完全に
ノックアウトされてる恐ろしい展覧会だった。