心配なこと

2012年11月25日 | 日記
ついに恐れていた事態になりつつある。
個人的にも否応なしに進むことは、気持ちの持ちようでなんとかなるだろう。

しかし、あのヒステリックな人が、この国のトップとは危険な前兆だ。
これからの社会がどんどん右系化しつつあるようで、不安になる。

人を選ぶのは人だから、しっかりとした目で厳しく見て聞いて考え、大事な事は何かを一人一人が大切にしていかないと、子ども達の未来は益々暗くなるだろう。


川越散策

2012年11月18日 | 日記
 久しぶりに川越の町を歩いて散策&ランチ。

 札の辻から歩き始め、蔵造りの通りを菓子屋横丁に入るり少しいったところにある手作りのお店を見る。布のバッグからフェルトのブローチ、かわいい小物が並べられている。姉妹店は「はるり銀花」らしい。道理でおいてあるものが同じ感じだ。
 
 いつもは菓子屋横丁に行ってしまうのでわからなかったが、横丁を曲がらずに少し歩くと、美味しい天然酵母のパンやオリジナルアンパンなどが豊富な「川越ベーカリー楽楽」がある。自分ではわからないけど、人につれてきてもらうと発見が多い。いただいたパンは隣のベンチスペースや古いバスを開放した場所で食べることもできるそう。

 蔵作りの通りを行かず養寿院、長喜院の間をぬけて、仲町から時の鐘方面へ。途中で自然食のお店でランチ。動物性のものは油揚げくらいで体によさそうなマクロビランチ。松花堂だったけど、ミートソースのスパゲティもたべてみたかった!

 コーヒーは「あぶり珈琲」でケーキをいただきながら。ガトーショコラもチーズケーキもコクがあって美味しかったです。
 その後いつも美味しくいただいている「大玉や」でフライせん濃い口購入。夜のビデオのお供にもってこいなんだぁ。これが・・!

 いつも混んでいるので、最近は歩いてなかったけど、平日午前中が狙い目ですね。

 

東京タワー

2012年11月13日 | 日記
これは夏に六本木ヒルズから撮った写真だが、いつみても天に伸びる鉄骨のラインとバランスのとれたデザインが東京の景色に浮かび上がって美しい!

スカイツリーに人気を取られ今は少し寂しいが、東京の象徴はやはり東京タワーだと思う。これからのクリスマスシーズンにはライトアップされて益々美しい姿を見せてくれる。

表参道のイルミネーションと同様に東京の冬の風物詩のひとつとして私達の心に暖かさをくれるのを楽しみにしている。

三軒茶屋界隈

2012年11月12日 | 日記
 世田谷パブリックシアターへ行った帰りに、元住んでいたあたりを散策する。

 もう25年以上も前なので変わっているのは当たり前だが、茶沢通りの雰囲気は下町の名残をとどめているし、太子堂商店街も昔ほどの活気は無いものの、よく通った青果店はがんばっているし、お菓子の太子堂はおしゃれなカフェになっても本社はそのまま、お惣菜やさんは懐かしい煮物の香りを漂わせ、あのころにタイムスリップした感じ。

 残念ながら有名だったタイルの家はなくなっていて、住んでいたアパートは素敵な一戸建てに変わっていた。おいしいお肉の三河屋さんもこじゃれたレストランに変身していた。たまにお世話になった銭湯は・・健在だぁ・・!うれしいかったなぁ。

 日曜になると歩行者天国になる茶沢通りをぶらぶらし、釣堀をのぞいてレンタルレコード屋に行くのが定番だったこと、日によって下北まで散歩をしたこと、世田谷線で下高井戸で乗り換え代田橋のスポーツクラブに通っていたけど、三茶に新しくできて変えたこと、友達を呼んで飲み会をしたこと、空き巣に入られて怖かったこと、好きな人に京都土産といって一升瓶をもらったこと(どれだけのんべだったんだ!)、でもその人に振られて涙したこと、いろんな経験をさせてもらった思い出深い町。

 仕事もプライベートも充実していた時期のうちの4年間はこの町で過ごしたのだった。
 弟が来なければまだずっと住んでいたはずのこの町には、今も帰ってきたいと思っている。

 年をとってまたいつか戻ってみたいなぁ・・


二兎社「こんばんは、父さん」  世田谷パブリックシアター 

2012年11月08日 | 演劇
 バブル期を経、リーマンショックを経験し、日本の経済が不透明な時代にふさわしい家族の物語。
 
 町工場を経営していたが今は闇金からの取立てに追われ夜逃げをする 父に平幹二朗。
 一流会社でエリートでいたはずが海老の投資話ですっかりおちぶれて、父の廃墟となった工場に隠れている息子に佐々木蔵之介。
 闇金の取立て屋なのにどうしても人の良さがでてしまう男に溝端淳平。

 この配役だからこそ、この脚本が生かされたのかと思う。

 夜逃げして出て行った父を恨みつつ心の底では父の背中を見て育った工場を愛し、下町の暮らしに心を残している息子は、その寂れた廃墟の工場で10年ぶりに闇金の取立てに追われる父に出会う。冷たくしながらも年老いた父をかばってしまう。エリートになりきれなかった真面目で小心の息子の役に、佐々木蔵之介は、平幹二朗の父に対し、役ではなく本当の父や尊敬する役者としての敬意を持って演じているようだ。

 平幹二朗は、したたかで煮ても焼いても食えないが、息子や家族にしてしまった仕打ちを悔いていて、しかし時代に飲み込まれて抜け出せなかった町工場の経営者の悲哀を年老いた老人としてではなく、たまにぼけながらも若々しく演じている。この父があってこそ芝居が回り、この先の見えないどん底の状況を明るい印象に感じさせている。

 溝端淳平にとっては芸達者の二人にも引けをとらない明るい演技で、現代の若者の生きずらさをしっかりと見せていた。

 永井愛は「こんにちは、母さん」でたくましい女性の生き様をみせてくれた。「こんばんは、父さん」では今の時代が男性にとってつらいものであっても、どこかに希望は必ずあるとエールを送っているようだ。

 最後に息子の佐々木蔵之介が、自分の子供のために隠しておいた高級時計を、父の借金の返済のためと取立て屋の立場を救うために手放し、それを父が孫を思ってすまないと思うシーンは、救いと悲しみがあいまって切ない。
 
 また、息子が亡くなった母を語る場面も、我が母の生き方を語られているようで、少し涙ぐんでしまった。
 
 場面展開も無い短い作品だが、役者の力と脚本の妙が織り成す、素敵な舞台だった。


伊勢志摩にて

2012年11月05日 | 日記

久しぶりに旅行らしい旅。初の伊勢神宮は外宮から参拝。いくつものお宮を巡る。秋の日にまだ早い紅葉がさざめき、鬱蒼とした古木はその香りと木の内側から溢れる湿潤な空気で、訪れた参拝者に、神様の気配を届ける。外宮は場所そのものが神々しい光に満ちて、原始神の時代を思いおこさせる。
内宮は、来年の式年遷宮に備えた準備が始まっていて、また観光地らしい団体客も多くなんとなく落ち着かないが、本宮の見えない空間にはその場所にいなければわからない何かを感じることができ、日本人であればこその幸せをかみしめる。

かわって、海を左手に近鉄特急に乗り賢島へ。伊勢とは打って変わって明るい日差しと煌めく波が心を弾ませる。ここにも神々はいることを感じる。人間は自然環境の一部でしかないのだ。


11月の予定

2012年11月03日 | 日記
 10月もいろいろあったが、今月は活動月間。
 
 子供も学園祭に忙しく、その後の旅行やら観劇やらOB会やら何やかんやで、こちらもバタバタしそう・・・でも忙しいほどやりたいことは増えるもの。
 どこかで会いたい人もいるし、秋を探しにいきたいし、やらなきゃいけない仕事もあるし。

 残すところ今年も2ヶ月。来年はまたトホホの活動が待っているので、いまのうちに好きなことをやっておかなければとあせっている毎日。ストレス解消は、ガンガン音楽かけて踊る?ことかな!!
  

「篠山紀信展 写真力」  東京オペラシティーアートギャラリー

2012年11月03日 | 美術
 10月初旬に「篠山紀信展 写真力」へ行ってきた。

 入ってすぐに、その大きさに圧倒されるが、大きさもさることながら、
最初のGODの場に掲げられた人々のオーラに押し返されそうになる。

 特に三島由紀夫は誰よりも印象深かった。聖セバスチャンが乗り移りそうな
その哀しげな視線と、繊細な表情に相反するようなその肉体に、なんとも
複雑な感情がこみ上げてくる。衝撃的な最後を遂げる作家の美学の結晶なのか?
 当時の彼を知る写真家であればこそ撮れた姿が、本当の彼を垣間見せている。

 また、写真であればこそ本当の姿や虚像のハザマの微妙な感覚を伝えられる。
たくさん撮った中の一枚の選択と、今回の配置の仕方、見せ方が篠山紀信の
見る人への挑戦なのだろうか?
 それが良くわかるのが、現在も注目される人々のブース。中央付近に展示された
森光子の肖像だ。大江健三郎や小沢一郎がたぶん20年以上前のものに対し、
森光子や松田聖子は現在の姿。どうしても間に流れる時間を考えさせる。

 篠山紀信が女性をどのように捕らえているのか、その時々の美があるけれど、あれは
残酷なほどの現実。
 現実といえば、市川海老蔵の表情。こちらの見方も反映されるけれど、彼もそう
とらえているなら恐ろしいのはレンズの向こうの人間だ。

 写真の奥深さをまざまざと見せてくれるし、見た後は人間のオーラや業に完全に
ノックアウトされてる恐ろしい展覧会だった。