京都逍遥

◇◆◇京都に暮らす大阪人、京都を歩く

平安神宮・神苑

2010-09-19 23:28:42 | まち歩き

平安神宮は、明治28年(1895年)3月15日創建で、鳥居のある南面を除き建物を取り囲むように庭がある。大正2年完成の中庭(1300坪)・西庭(1500坪)、大正15年の東庭(5500坪)、昭和56年開設の南庭(1700坪)。南庭の開設日(9月19日)を記念して、毎年この日に無料公開を行っている(花菖蒲の時期――今年は6月4日――にも無料公開)。

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10_006 案内板の左下が南庭、左上が西庭、右上が中庭、右中央より下にかけての広い範囲が東庭。南庭に設けられた「神苑入口」より入場し、時計回りに周って東庭の出口より退出する。

南庭は、平安文学(『伊勢物語』『源氏物語』『古今和歌集』『竹取物語』『枕草子』)に記された、約200種の植物を見ることのできる「平安の苑」。イチイやアスナロ、ナツメといった木もあれば、オミナエシやツユクサなどの草花も。それぞれのプレートには、植物の名称と、文学作品からの抜粋。

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アサガオのプレートには、『伊勢物語』37段「我ならで下紐とくなあさがほの夕影またぬ花にはありとも」が記されていた。

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『伊勢物語』は、平安初期の成立。万葉の時代から平安初期まで、「あさがほ」といえば今の桔梗だったはず。しかし、桔梗は夕方しぼむことはないから歌意に合わない。アサガオ(ヒルガオ科)は早朝のみ開くのだから、今のアサガオで辻褄は合う。『伊勢物語』は平安初期に業平によって創られ、その後、段階的に成長したという説が有力だから、この段を後世の追加と見て、「あさがほ」を現在のアサガオと解釈し、ここに掲載しているのだろうか。そんなややこしい。こんなエロい歌をわざわざ採用しなくても、平安中期成立の『源氏物語』朝顔の段に、いくらでも例があるだろうに。「枯れたる花どもの中に、朝顔のこれかれにはひまつはれて、あるかなきかに咲きて、匂ひもことに変はれるを、折らせたまひてたてまつれたまふ」「見し折のつゆ忘られぬ朝顔の花の盛りは過ぎやしぬらむ」。

ついでに言えば、『伊勢物語(新潮日本古典集成)』の頭注では、「『朝顔』は今の木槿だともいう」とある。ムクゲは、朝花開いて夕方閉じ、翌朝また花開く。朝顔=ムクゲの典拠は、寡聞にして知らない。他にも一日花と呼ばれる花や夕方毎にしぼむ花は、いくつもある。例えばムクゲと同じアオイ科ではハマボウ、芙蓉、棉、ハイビスカス。ユリ科のニッコウキスゲやノカンゾウ、ヒュウガギボウシ、キク科のノゲシ、アヤメ科のシャガ。なぜムクゲが選ばれたのか。個人的には、『新撰字鏡(892年)』の「桔梗:阿佐加保 又云 岡止々支」から、基本的に桔梗=アサガオでいいと思うが、『伊勢物語』のこの段は後世の追加で、「あさがほ」=アサガオと想像する。だからといって、アサガオのプレートに、この歌があってもいいとは思わない。  

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さて。お庭。南庭は、春のしだれ桜を見に行くべき。西庭・中庭は、カキツバタ・花菖蒲・スイレンを。東庭は栖鳳池にかかる泰平閣と周囲の松が美しいので、どの季節でもいいだろう(写真上)。10_010 あちこちに咲いている萩は風情があったのだが、夏の暑さが残るこの時期、わざわざ行くほどのこともない、という感想。やはり、花がないと。「平安の苑」の秋の七草は、咲き揃っていなかったし。

10_022 お庭を巡っている間に見かけた軒丸瓦は、ほとんど三つ巴だったが、ところどころに「平安神宮」と文字の入ったものもあった。

お庭を出てから、西側の建物で宇治茶(水出し玉露)を頂き、玉露・煎茶・雁が音の淹れ方実演を見た。

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10 玉露は、お湯を40度に冷まして。甘くて美味しかった。甘すぎるぐらい。これから涼しくなったらもっと温かいお茶がいい・・・・と、雁が音を買って帰る。これは70度ぐらいで淹れるお茶。

コメント
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