都七福神まいりの最後、7か所目は萬福寺。都七福神のご縁日である7日は、御朱印には金印が授与されると六波羅蜜かどこかの朱印授与所に書いてあった。
総門をくぐるなり、その規模に圧倒される。三門で拝観受付をした際に、七福神の布袋さまはどこにおまつりされているのか聞いてみる。すぐ先の建物、天王殿とのこと。
☆三門を振り返る
国宝・天王殿の階段を上がり、三門の方を振り返って撮影。
五色の幕の下に、少し怖い笑顔の布袋さまが鎮座されていた。布袋さまは弥勒菩薩に同定されている。解説チラシに「玄関としての天王殿」とあり、布袋さまと背中合わせに韋駄天が、両脇に四天王が祀られていた。
天王殿から七福神の旗のある廊下を通ると、売店前に御朱印所があった。金印は桃の印だけである。この先にある大雄寶殿の桃戸が有名だからであろうか。
☆大雄寶殿と月台の生け花
☆大雄寶殿の桃戸
戸が全開なので、表にある桃の絵は見えない。
☆開山堂
開山堂にも桃戸があった。開山堂のおかげで、桃戸がどんなものかわかった。
萬福寺は「伽藍の配置や堂舎の建築様式は中国の明朝様式を取り入れたもの(上記チラシ)」であるが、桃は古来、日本でも魔除けとされていた。『古事記』では、イザナギが黄泉の国のイザナミから逃げて現世との境にまで戻ってきたとき、桃の実3個で追っ手を追い払ったとある。
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やっとのことで危急を逃れたイザナギノ命は、そこで桃にこう言った。「お前は今、私を助けてくれたが、葦茂るこの豊かな葦原中国(あしはらのなかつくに)に住む、ありとあらゆる命すこやかな人たちが、もしや辛い目にあって苦しむようなことでもあれば。私同様に助けてやっておくれ。」
『現代語訳 古事記』福永武彦訳(河出文庫)
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また『日本書紀』には次のようにある。
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一書に曰く……イザナミノ尊は、その身体が膨れ上って、その上に八種の雷神が取りついていた。イザナギノ尊は驚き恐れ、いっさんに逃げ出した。礼人はみな身を起して、そのあとを追いかけて来た。逃げる途中……イザナギノ尊は……桃の実を取っては雷神に投げつけたから、雷神はこれを避けて逃げた。これが、桃によって鬼を避けることのもとである。
『現代語訳 日本書紀』福永武彦訳(河出文庫)
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都七福神まいりはコンプリート。今年一年、まめに過ごせそうだ。