震災前のわが家の庭で
玩具屋さんが店先いっぱいオモチャを並べているために こどものオモチャは少なくなります。
玩具屋さんさえ世の中になかったら ・・・
子どもたちは一本の棒を鉄砲にし 刀にし ステッキにし 旗にし 指揮棒にします。
子どもたちは一枚の紙を鶴にし 自動車にし 箱にして遊びます。
・・・ この自由な空想が 新しいものをこの世にもたらす原動力になります。
玩具屋さんがあるために ・・・
子どもたちは自動車の形をしていないと自動車と思わず ピストルの形をしていないとピストルと思いません。
・・・ その空想の自由にはたらくことを制限され 活き活きした創造力を失ってしまいます。
もちろん オモチャが所有ということを教え 造形の意欲をそそり 社会に接触の窓を開くことは確かです。
それゆえに ・・・
大人はオモチャを与えることのみ考えないで 与える時期と方法の問題について慎重に考える ・・・ ことが必要です ね。
ちなみに 部屋いっぱい あふれるほどのオモチャなど ・・・ 問題外ではないでしょうか?
それは 親の愚かさの象徴では? ・・・ 失礼。