無題
( むかし むかし ・・・ )
「 お父さん どうもできたらしいわ 」
「 できたって なんだい 魚の目か 」
「 バカ言っちゃいけないよ 赤ん坊 」
「 冗談じゃないよ 八人目 喰わせられんよ 」
「 なに言ってんのサ あなたの責任でしょ 」
・・・ なんて言って あんまり歓迎されず(?)に
お腹の中で育った子ども(私)でも
いざ お産になったら ・・・
「 神様 どうか 母子とも健康にたのみます。
少々ご面相が オカチメンコでもかまいません 」
・・・ なんて父親は 手をさすりながら
産室の前を行ったり来たりします。
それが 親の心だと思うのです。
生まれてくると
「 幸子にするか 美しく恵みの多い子 美恵子にするか 」 なんて
生まれ出たばかりの行く末の幸いを祈りながら
命名するのではないでしょうか。
のちに 「 このバカめ! 」なんて
しょっちゅう叱られている子ども(私)だって
「 バカ夫 」とか「 バカ子 」なんて
命名されたりはしませんよ。
( ちなみに ・・・ 私の名前は オサムですが )
人はみんな
不幸を願われて 生まれてきたりはしません。
幸せを願われて 生まれてきた存在です。
いったん 人生のいちばん初めに ・・・ もどります。
「 生命のなつかしさに 」 ・・・ 還ります。
いまの子たちは みんな
「 いのちのなつかしさ 」を知らないのでは ・・・
つまり
ほんとうのお母さんとお父さんを知らないのでは ・・・
心が 父母の心の世界に還りつくと
なぜか ・・・ 「 安らかな心 」になります。
「 安心 」とは ・・・ 幸せの別名ですよね。