第九十六番 崇福寺
海を渡る中国の人びとが信じた媽祖神
JR長崎駅から東方向約3kmに風頭山がある。標高は約150mで頂上には風頭公園があり、長崎港を望む絶景の場所である。その風頭山の麓の寺町には山に沿って14の寺が並んでいる。その中に興福寺と今回の崇福寺が建っている。興福寺を最初に参拝し、その後700mほどを歩けば崇福寺にたどり着く。市街地から直ぐのところに竜宮城のような建物が見えてくる。これが崇福寺で、国宝2件をはじめ多くの文化財がみられる黄檗宗建築の粋を尽くした寺院である。
崇福寺は、嘉永6年(1629)に長崎で貿易を行っていた福建省出身の華僑の人びとが、福州から超然という僧を招聘して創建した。中国様式の寺院としては日本最古のものである。福建省の出身者が門信徒に多いため福州寺や支那寺と称せられた。
参拝日 平成29年(2017)12月14日(木)天候晴れ
所在地 長崎県長崎市鍛冶屋町7-2 山 号 聖壽山 宗 派 黄檗宗 創建年 寛永6年(1629) 開 基 超然 文化財 大雄宝殿、第一峰門(国宝) 三門、鐘鼓楼、護法堂、媽祖門(国重要文化財)
境内図
三門 【国指定重要文化財】 日本の寺院には見られない童話的な門はかなり目を引く。その形の通り竜宮城にある「竜宮門」の別称で呼ばれている。この寺の「三門」の名の由来は、中央と左右に門戸が設けているためだそうだ。当初の山門が倒壊したあと、嘉永2年(1849)4月に、棟梁 大串五郎平以下、日本人工匠によって再建された。
2階に掲げられた『聖寿山』の扁額は、隠元禅師の筆によるもの。
通路の天井に一対、「魔伽羅」(鯱。体が水でできている)が設けられている。
門扉にはめ込まれているのは、国内唯一の「獣環」。模造品とはいえ貴重な装飾品。
屋根にも一対の「魔伽羅」(鯱。体が水でできている)、その中央にひょうたんを模した瓢瓶と、念入りに火伏を念じている。
境内側から見る三門全景
三門を潜り階段を上って本殿にむかう。
「三門」から「第一峰門」にあがる石段途中に、「桃と鯉が刻まれた袖石」がある。知らないと気が付かないが、長寿や出世を意味する演技物だそうだ。
階段の途中の堂
第一峰門【国宝】階段を上り切ると煌びやかな門がある。創建は正保元年(1644)で、元禄8年(1695)に中国寧波から運ばれた資材で再建され現在の姿となった。もともとはここが山門で、明暦元年(1655年)にこの門より隠元禅師を迎えた。
門の中央に掲げられた、隠元禅師の門生「非禅師禅師」筆による『第一峰』の扁額がその名の由来。
軒下の複雑巧緻な詰組みは、四手先三葉栱(よてさきさんようきょう)と呼ばれ、国内では類例がない大変貴重な様式となっている。
第一峰門より境内を見る
大雄宝殿の前を見る。
護法堂 享保16年(1731)の建立。黄檗宗寺院としては、弥勤(布袋)と韋駄天を背中合わせに安置する聖福寺・宇治の萬福寺の天王殿に相当。関聖・韋駄天・観音の3神を祀るため、観音堂、関帝堂、韋駄殿とも呼ぶ。
4本の柱の礎石には、獅子・鹿・麒麟・梅の彫刻が刻まれている。
護法堂の中央に観音堂。 「威徳荘厳」の扁額。
観音堂には観音菩薩坐像
観音堂の右手が関帝堂。関帝(関羽)像を中心に周倉像と関平像が従う。
本殿 大雄宝殿 【国宝】 いわゆる本堂である。護法堂の前の建つ。もともと唐商 何高材の寄進によって正保3年(1646)創建された単層(1階建て)建築物で、長崎市最古の建物。天和元年(1681)頃に2階建てに重層化されたことが建築上の特徴。
下層は「黄檗天井」に「擬宝珠付き垂花柱」と黄檗宗建築様式が色濃く、逆に上層は日本人工匠の手による和様を基調に据えている。
和中の建築様式と、単層での完成と重層化された時代の差異にもかかわらず、上下の様式が違和感なく溶け込んだ壮麗なたたずまいは、崇福寺本殿としての尊厳をこれ以上になく示している。
1階屋根軒丸瓦の瓦頭には「崇」、2階屋根瓦頭には「福」の文字。両方合わせて「崇福寺」。
海西法窟の扁額
向拝の上部は黄檗天井と言われる天井面が円形。
紅梁には彩色された魔枷羅の彫刻が施された。
本尊は、昭和10年(1935年)頃の修理の際に、銀製の五臓、布製の六腑が発見された「釈迦如来坐像」。その脇を固めるのは雄々しい「十八羅漢像」。
本尊の真上の天井に付けられている扁額「世尊」
本尊の脇を固める十八羅漢像
横側から見た大雄宝殿
媽祖門【国指定重要文化財】 背後の「媽祖堂」との対になる「媽祖門」の組み合わせは、国内では他に例がない。
機能上は、媽祖堂の門としてだけでなく、大雄宝殿への廊下の機能も有している。
和式の舟底天井(写真左手)と中国式の黄檗天井(〃右手)と、2層に分かれ天井が注目ポイント。
媽祖堂【長崎県指定有形文化財】 航海の神「媽祖」を祀る「媽祖堂」は、寛政6年(1794)唐船主からの浄財により再建された。黄檗様式と和様が混在する建物には、他と同様に、蝙蝠、牡丹など縁起物が装飾されている。媽祖門のある媽祖門はここだけだという。
建物内部に安置された媽祖像。媽祖増を中心に左右に千里眼、順風耳を従える。
開山堂 隠元禅師の招かれて来崎し、崇福寺の伽藍を整備した中興開山の人、即非如一を祀る建物。
大釜【長崎市指定有形文化財】
延宝年間末(1681年頃)、飢餓で苦しむ長崎市民3000人に施粥するという、大殊勲をあげた大釜。
鐘鼓楼【国指定重要文化財】 享保13年(1728)建立の和中混作の建築物。
媽祖門から大雄宝殿の廊を見る。
帰りは再び第一峰門へ。左側に小さな札所(売店)が
第一峰門から階段方向を見る
第一峰門から三門を見る
三門の外はすぐ長崎の市街地
案内図
五木寛之著「百寺巡礼」よりーーーー興福寺と崇福寺を訪ねて実感したのは、長崎という場所は、ある意味でアジアにおけるスクランブル交差点だったのではないか、ということだ。そして、こうした唐寺が異国の面影を残しつつ、今も長崎の一角に存在しているということに、あらためて興味をもった。そういうものをふところに抱きかかえているところが、長崎という街のおもしろさであり、魅力ではないかと思う。これから先、国際社会のなかで、日本人はさまざまな民族と共生していくことが求められている。長崎のかってのすがたや、崇福寺をふり返ってみることで「共生する」という意味をもう一度考えてみたいものだ。
御朱印 なし
崇福寺 終了
ついでに崇福寺近辺を散策
浜町アーケード
思案橋
カステラの福砂屋本店
料亭花月
丸山町の細い路を往く
本当のオランダ坂という私看板
そのオランダ坂
おしまい