異文化異聞記

異文化に絡んだつれづれをつづる記録。

最終講義

2009-02-15 12:52:50 | Weblog
昨日は王さんの中国語講座、最終講義だった。

外は大風。洗濯を終えふと携帯を見ると、メールが入っていた。「鉄道が風で運行見合わせ。復旧の見込みが立たず4時ごろまでかかるかも、で遅れるかも知れません。」どっひゃー、マンツーマン教室!?

どえりゃーことになった。25課以降は、文章はかなり複雑で、まねっこすら苦しいくらい長い。まだ、故宮博物院はどこですかの辺りまでしかわかってないんだけど。条件節まで進んでしまうのか?ああ、最終日だしなにか差し上げるものはないか?なるべく雑談でのネタになりそうなヤツ。で、伊坂幸太郎原作の映画のエキストラでもらった黒いCDケースを携え中国語講座の会場に向かうことにした。出がけに復旧の見込み立たずというメールが入った。大風で、中々原付が進まない。

市民のためのフリースペースで学習しているので、色々な人が様々な目的で訪れる。今日はALTらしき西洋系の6人連れが脇の席に陣取っている。後ろから英語、前から中国語。そして斜めから日本語。奥のキッズコーナーからは子供の叫び。いつになく賑やかだ。

第25課から26課、27課と進み、雑談も中国のTV局の花火火事、金融危機、日中教育システム、インドと中国、チベット亡命政府、はては金正男の入国拒否の昔話まで飛ぶ。

印象に残った話を少々。
なぜ、花火火事みたいなおちゃらけたことが起こるか→余り法律や結果を考えない人が多い。公共道徳の欠如→まだ国が成長段階で十分に富が国民に行き渡っていない。公衆道徳は人が金銭的にある程度豊かにならないと成立しない。

中国では省ごとに大学への割り当て定員があり精華大学(中国トップの理工系大学)に非常に貧しい寒村の子もその省でトップなら入れると王さんは言う。勿論人口の多い都市部がある省の割り当ては多い。

割り当て制度のお陰で極端に言うと600点とる子と400点の子が同じ大学に入学するという事態が生じる。日本でAO入試が広まったといっても流石に東大では実施されていない。スタート600点の子は大学生活を楽しみながらガールフレンドをつくり楽々と学問をこなしていくが、400点スタートの子は石にかじりついてついて行くということだ。ギャップはあるものの省で一番になるくらいではあるので最終的には追いついて行く。

精華大学の入学時期には地方の親や兄弟が押しかけて公園で寝泊りし子供の応援をするのだそうだ。毎年、新聞にその姿が載るという。学習しなければ(勉強は中国語では古語でいまや無理強いという意味になっている)、家に戻ってもどうにもならない環境なので皆必死で勉強するそうな。

王さんは初めて渡日する際、長春の研修所で3ヶ月日本語の研修を受けた。同級生に本をパラパラめくるだけで内容を記憶できる能力の持ち主がいたそうだ。毎日6時間の授業に復習をきっちりしないとついて行けなかったという王さん(彼は完全理系人間である。日常は物理や数学、化学用語やらで生きている。)に対してこの人物授業のあとは卓球と社交ダンス三昧の研修生活を送り勉強をしているそぶりすらなかったそうだ。それでいて厳しいテストも全て一番。まあ、そういう人は格好よいが、一般の人の参考にはならない。そして学んだことを実際に応用する段階ではその応用の場が一人一人全く異なるので、覚えが悪かろうが出来が悪かろうが、回りがどう思おうが、学習をしておいた方が、個人にとってはしないよりずーっとましなのだ。

で、やっぱり終わりますた。30課まで。どんなに脱線をしようと必ず本題に戻り授業を計画どおり終了する。さすが、このあたり筋金入りの教授なのである。

で、来週は打ち上げなのだ。

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