MIRO ITO発メディア=アート+メッセージ "The Medium is the message"

写真・映像作家、著述家、本物の日本遺産イニシアティブ+メディアアートリーグ代表。日本の1400年の精神文化を世界発信

マグリットの雲と白い蛇の夢

2007-06-17 20:57:25 | Weblog
マグリットの雲と白い蛇の夢

ベルギーの画家ルネ・マグリットの雲といえば、空が鳩のかたちにくり抜かれ、その先にもまた別の空がある、幻想的な空の夢を思い浮かべます。「大家族」と題されたこの作品は,宇都宮県立美術館で観ることができます。

東京でも、マグリットの雲のように、ユーモラスな詩情を湛えた雲に出会えることがあります。
6月11日に見た雲は、まさ空想の中の空の姿そのものでした。
その柔らかに立ち上るシュークリームのような外観は、入道雲とか雷雲と呼ばれるように、実は、雲の中でも最も荒々しい雲とされます。雨、雹、雷ならまだしも、竜巻さえも起こします。

竜巻といえば、古代より龍の仕業をされていました。
竜といえば、青龍は中国では皇帝の印。
この龍が地に落ちて蛇となり、日本でも、白い蛇はお金の神様、良い情念の象徴として、関西圏、九州地方では、関東の「お稲荷さま」のような民間信仰の一つです。

白蛇は、龍神の使者として、もともと『無病息災』等のシンボルです。
一方、悪い情念や「怨念」を表すのは、黒や茶色の蛇とされます。
白い蛇の夢を見たら、金運だけでなく、龍の使いに守られていることを思い出してください。
私自身、子供の頃に白い蛇の夢を見た夢をはっきりと思い出すことができます。

マグリットの入道雲は、気性の荒い雲である一方、白い蛇の夢は幸運の兆しです。
その最高の姿がともに龍です。
ここまで空想を巡らせたとき、マグリットの雲と白い蛇が繋がり、私の中では、
思いの丈がいつか龍になって、空に昇る夢へと変わりました。

text and photo by miro ito, all rights reserved.
sky over kamiuma, 2007.6.11

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 『魅せる写真術 発想とテーマを生かす撮影スタイル』
 著:伊藤美露 定価:1,980円(+税)       
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 150-0001 東京都渋谷区神宮前6-27-8
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真珠のような太陽 : 空を観るこころ

2007-06-09 10:51:05 | Weblog
真珠のような太陽 : 空を観るこころ (by Miro Ito)

 「空の真珠」といえば、月を思い浮かべるかもしれません。
 光の強さや雲の動きによって、太陽も真珠のような神秘的な輝きを放つ「魅せる瞬間」に出会いました。
 その雲といえば、天使の翼のように見えたり、龍の舞う姿に見えたり、空はまさに天のこころ次第で気侭に移ろう、劇場さながらです。

 さて弊著『魅せる写真術』(MdNコーポレーション)のご紹介がてら、空の話の続きを__。

 写真家と呼ばれる人々は、日常世界の詩人でもあれば、多くの人の「眼」と「好奇心」を先取りして、世界のどこへでも飛んでいくイメージの旅人です。
 新奇な出来事、未知の驚きを伝えるメッセンジャーでもあります。

 長年ドイツ、日本、アメリカと三つの文化圏で写真家・アーティストとして創作活動をしてきましたが、弊著『魅せる写真術』では、私自身、写真の初心に立ち返り楽しみながら書くことができました。
 作例として使用した写真は、ほとんどが世界各地でのドキュメンタリーやプライベートショットで、本来、作品として発表することを前提としないで「写真の眼」の記録として、撮ったものばかりです。

 写真作品において、常に目に見えない「聖なる世界」を求めて、研ぎ澄まされた身体表現の世界を専ら追究してきましたが、この本を書きながら、最近はどちらかというと「あるがままのもの」に立ち顕われるものの「こころ」を見つめようとしている自分に気がつきました。

 「あるがままのもの」を支える大きな力に気づくこと_。それは禅の世界に通じていきますが、空を観ることは禅に限りなく近づいていきます。
 空を通して、天と天を観ている自分たちが溶け合い、人々のこころが繋がるのだと思います。

 伊藤美露
 http://www.miroito.com
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 photo: sky over kamiuma, 2007.6.7

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「魅せる写真術」の世界へようこそ

2007-06-02 10:35:53 | Weblog
「魅せる写真術」の世界へようこそ

 6月1日に上梓した弊著『魅せる写真術』(MdNコーポレーション)では、
 日常世界への写真を通した新しい接し方を、作画上の技法とともに解説してみました。

 「小さな草花に秘められたいのちの輝き。
 風と戯れ、光と遊ぶ空の詩情。
 写真を通して、世界へと新鮮なまなざしが開かれ、
 毎日が思わぬときめきで溢れてくる体験は、
 写真を撮る大きな喜びのひとつです。
 写真を撮ることで、自然の小さな造形の世界に
 目が向くようになる経験が、世界の中での自分の位置や目線、
 意識の持ち方を変える体験に繋がるかもしれません。」(同書「はじめに」より)

 デジタル時代だからこそ、最先端のデジタル機材を使う前に、
 「心の眼」をもう一度、素朴かつ透明に、世界の輝きに向けて開いていきたい_
 そんな願いをこめて、身近な日常世界を美しく撮る方法も、私なりの秘訣を本著の中で
 公開しています。
 少しでも多くの方々がお読みくださり、夏に向かうこの美しい季節に
 「魅せる写真術」の世界を共有していただけたら、本望です。
 
 2007年6月吉日
 伊藤美露

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空を撮るー新刊『魅せる写真術 発想とテーマを生かす撮影スタイル』(弊著)から

2007-05-25 02:25:23 | Weblog
  空を撮る
  新刊『魅せる写真術 発想とテーマを生かす撮影スタイル』(弊著)から

  空を撮り始めて半年になります。
  3月から5月後半までブログを中断していましたが、いつの間にか、夕暮れ時の太陽を南の方角で撮れた冬が終わり、夏に向けて太陽は次第に、南東の方向に移行しつつあります。
  空を撮る秘訣について、今週出たばかりの新刊『魅せる写真術 発想とテーマを生かす撮影スタイル』(MdNコーポレーション刊)にて4ページで解説していますので、ご覧ください。

  「被写体として、最も素晴らしいものの一つでありながら、単独の被写体として観る機会の少ないものとして、空の写真があります。空は作為などまったく手の届かないスケールです。美しい光と雲を探し始めるなら、空は最も身近で、いつでもどこでも被写体になってくれます」(弊著より)

  都会の中でも、空を思いっきり仰げるスペースを見つけて、空を撮り始めてはいかがでしょうか。
  空を見つめることで、天に愛されていること、「大いなるもの」に抱かれた豊かな気持ちで日常を見つめ直すことができます。
  空は世界のどこにいても、見つめる人には「平等」な美しさを与えてくれます。
 空を撮る魅力は、まさ天の懐の深さと公平さとに気づくことです。

 伊藤美露
  2007/5/25
  photo by miro ito: sky over kamiuma, 2007.5.4.
  all rights reserved.

 『魅せる写真術 発想とテーマを生かす撮影スタイル』について、詳しくは
  http://www.miroito.com/nwsltr8.html
  をご覧ください。

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空に愛されて

2007-03-05 21:47:28 | Weblog
空に愛されて

空を見てるいると、天空が目に見えぬ光の波動の太鼓のようになって、声にならぬ声を響かせてくれます。
それはどこか遠いところからの直感のようなメッセージです。

空を愛するように、全てを愛すること_。
空に抱かれるように、あるがままの宇宙の流れに身を任せること_。
そうすることで、現実とは別の「もうひとつの時間」に気づくようになります。

空に抱かれるには、いまのこの瞬間に、自分の心が開かれ、純粋な喜びが込められていなくてはなりません。
過去の心の痛みや落胆を手放し、未来への危惧を解き放つとき、
空の美しさ、永遠性、その輝き .... 空がいつもそこにあることに、はじめて眼が開かれます。

人生も心が開かれていなくては、過ぎ行く雲のごとき速さで流れて去っていきます。
その美しさを味合うためには、そこで歩みを止めて、心を開く必要があります。

写真を撮ることも、詩を綴ることも、世界の美しさを味合うために、まさに一瞬だけ、歩みを止めることな のかもしれません。
喜び、調和、安息、永遠、平和...それこそが芸術という「もうひとつ」の時間の本質です。

空から愛されていることを感じるとき、人生の時間の本質を感じます。
時間が本質に立ち戻るとき、そこにこそ生きる喜びがあります。


伊藤美露
2007/3/6
text and photo by miro ito, all rights reserved.

「To Imagination~想像力へ」by Emily Bronte(全訳: Miro Ito)

2007-02-15 08:38:27 | Weblog
To Imagination ~ 想像力へ

長い一日の心配に疲れ果て、
苦悩から苦悩へと移り行く 地上の変遷にも、
途方にくれ 絶望の覚悟もできたとき、
あなたの優しい声が わたしを呼び戻すー
ああ わたしの真実の友! わたしはひとりぼっちではない、
あなたがそんな口調で 話してくれるときは!

こんなにも絶望的なのは あなたのいない世界?
私が二重に讃えるのは あなたのいる世界?
あなたの世界よ そこでは悪だくみや 憎しみや 疑惑や、
冷たい疑念もまた 決して聳え立つことはない_
そこではあなた わたし 自由とが
明白な至高性を抱くのだ。

肝心なこと それは 四方八方にある、
危機や 罪や 無明の偽りで、
われわれの胸中に 縛られているとしても
輝く安らかな空を 抱くこと、
混ざり合った 無数の光線に暖められ、
冬の日々を知らぬ 太陽のことではないか?

理性よ いかにも 不平不満をいいがちなのは
自然の悲しい現実であっても、
苦悩する心に伝えてほしい かくも虚しいのは
常にその胸に秘められた夢?
そして真実は不作法に踏みにじのるだろう
いま弾けたばかりの 空想の花々をー

されど あなたの芸術がそこにあり もたらすもの
彷徨う幻影が戻ってきて 息をつき
新たな栄光が 輝きに照らされた春にかかり、
そして死から 愛しい命を呼びかけ、
そして囁くのだ 神の声を以て
本当の世界とは あなたの世界のように輝くもの、

わたしが信じるのは あなたの幻の姿の無上の歓びではなくとも
いまなお 夜の静粛の時間に包まれて、
決して消えない感謝の気持ちで以て、
わたしは迎える あなたという 慈悲深い力を
確かに慰めとなるものは 人らしい抱擁、
そしてさらなる希望、希望が絶望するときも!

poem by emily bronte,
photo & japanese translation by miro ito, all rights reserved.

photo: sky over kamiuma, 27.01.2007

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 

St, Valentine に捧げた数節を、詩全体で読んでみてください。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

~St. Valentineに捧ぐ~

2007-02-14 16:01:01 | Weblog
 Happy St. Valentine’s Day !

 今日はSt. Valentine’s Day です。
 もともと西暦269年に、兵士の自由結婚禁止政策に反対したヴァレンティヌス司教が、ローマ皇帝の迫害によって殉教した日を記念したものです。
 今日は空の詩の習作ではなく、不朽の名作『嵐が丘』を著わして30歳で夭逝した詩人・小説家、エミリー・ブロンテの詩「To Imagination」の一節を載せてみたいと思います。

  ~St. Valentineに捧ぐ~
  . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .

 肝心なこと それは 四方八方にある、
 危機や 罪や 無明の偽わりで、
 われわれの胸中に 縛られているとしても
 輝く安らかな空を 抱くこと、
 混ざり合った 無数の光線に暖められ、
 冬の日々を知らぬ 太陽のことではないか?
 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .

 されど あなたの芸術がそこにあり もたらすもの
 彷徨う幻影が戻ってきて 息をつき
 新たな栄光が 輝きに照らされた春にかかり、
 そして死から 愛しい命を呼びかけ、
 そして囁くのだ 神の声で以て
 本当の世界とは あなたの世界のように輝くもの、
  . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .

 わたしが信じるのは あなたの幻の姿の無上の歓びではなくとも
 いまなお 夜の静粛の時間に包まれて、
 決して消えない感謝の気持ちを以て、
 わたしは迎える あなたという 慈悲深い力を
 確かに慰めとなるものは 人らしい抱擁、
 そしてさらなる希望、希望が絶望するときも!

 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 

 写真は、先の連休で日光・中禅寺湖で雪の中を歩き、空を眺めて撮ったものです。

美露 2007.2.14

( from emily bronte's poem, “To Imagination”
japanese translation and photo by miro ito- all rights reserved.)

「空のように 風のように 光のように」

2007-02-01 09:46:19 | Weblog
「空のように 風のように 光のように」

空のように生きたい。
流れ移ろい消えてはまた生まれる雲とともに_。
空は流れ行く万物の姿。
悟りの境地を「空」というのは、空になること_。
いつか空になりたい。

風のようにさすらいたい。
どこにも執着せず、何にも拘泥せず、生の苦悩とため息さえも、
微塵のように颯爽と吹き飛ばす風でいたい_。
何にも縛られない魂の自由なエネルギーは風となって、
いつか天に届くだろうか。

光のように輝きたい。
雲の奥に絶えず輝く太陽の一筋、
闇に隠れてもひたすら輝く星の煌めきの雫となって_。
光こそ、宇宙の粒であると同時に波動、
Universe からの贈りもの_。
いつか光になりたい。

photo & poem by miro ito; all rights reserved.
"sky over kamiuma",27.01.2007

永遠に向かう「いま」

2007-01-27 21:46:16 | Weblog
永遠に向かう「いま」

永遠の空が担うのは、
永久に繋がる「いま」という一瞬。

「いま」のこの一瞬へと こころの眼を開き、
調和と平静を内に見出すならば、
そこに魂の気づきも訪れる。

空は一瞬にして移ろうものの集合だ。
だからこそ 空の一瞬ごとに流れ移ろう姿を見極めること、
すべては依存し合って変化し、消えてはまた生まれることを、
空は気づかせてくれる。

「いま」の空が担うのは、永遠
空は「究極のいま」をいつも見せてくれる。

  ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

写真や詩が目指すのも まさに永遠に向かう「いま」_ですね。

photo & poem by miro ito, all rights reserved.
"sky over kamiuma", 22.01.2007

空の一日

2007-01-24 10:48:25 | Weblog
「空の一日」

雲は空の呼吸。
空の吐く息。

風は空の運動。
空の遊び。

雨は空の洗濯。
空のお浄め。

光は空の栄養。
空のお食事。

星は空の瞳。
空のまたたき。

夜は空の眠り。
空の休息。

そして今日も空の一日が始まる。

今日もどうかよい一日でありますように....

poem and photo by miro ito, all right reserved.
"sky over kamiuma", 28.12.2007

光の先には 何が在るのか?

2007-01-20 10:53:54 | Weblog

「光の先には 何が在るのか?」

 光の先には 何が在るのか?
 光の先には 光がある。
 そのまた先にも 光がある。
 その先の先にも また光がある。
 光は闇が来ても いつも天に溢れている。

 闇があるのは いつも地上に_
 闇が在るのは 太陽が見えなくなってしまうから。
 闇は 光を覆うものではなく、
 闇を消すには 光で照らすだけでいい。
 神々を喜ばせる踊りも かつて そうして始まった。
 たとえば 天の岩戸の前で。

 暴力に怒り狂った 日の女神の悲しみが癒され、
 そして日はまた昇り、地は光に覆われるようになった。

 けれども 地から闇はなくならない。
 光に気がつかない こころのために。
 闇があっても いつも天にあるのは 光。
 そのことを どうか忘れないでほしい。

 photo & poem by miro ito, all rights reserved. 

「明日よ、目覚めよ、されど、今宵に夢見よ」

2007-01-17 12:44:26 | Weblog
「明日よ、目覚めよ、されど、今宵に夢見よ」

 Emily Bronteの詩「How Clear She Shines」の詩から一節...

  天と地球とが わたしに囁きかける間に、
 「明日よ 目覚めよ されど 今宵に夢見よ」
 そうだ 空想よ おいで わたしの妖精の姿をした恋人よ!
 この脈に震える顳かみに  柔らかに接吻してほしいー
 そして わたしの寂しげな 長椅子の上に屈み
 わたしに 安らぎをもたらし、無上の歓びを与えてほしい。

 この詩は「月」を詠ったものです。タイトルは「How Clear She Shines」を「かくも澄んで輝くひとよ!」と訳してみました。
 ある英文学者の訳では「なんと皓々と 月は照ることか!」となっていました。

 月を語りながら、「月」と呼ばなかったエミリーの奥ゆかしさが、まさにこの詩の象徴性を際立たせ、イマジネーションを掻き立てるのですが、詩のタイトルというのは、実はとても難しい問題といえます。

 絵画にタイトルをつけることの是非と似ていて、観るものの想像力を刺激するのか、あるいは限定してしまうのか、作品によってケースはさまざまです。タイトルが抽象的であればあるほど、それがより強いインパクトを持つ場合もたくさんあります。逆にタイトル次第で、例えば、抽象的な絵画作品も「詩的」な余韻をもつようになります。
 テキストがそのまま芸術作品になる詩では、タイトルにこそ詩のもつ「生命力」というか、エッセンスとしてのエネルギーが集約されています。

 「皓々と月は照る」という事実は、「燦々と太陽が輝く」のと同じくらい自明のことなので、そのこと自体は象徴的力を持ちません。つまるところ、 訳詩の場合の問題は、英語でもドイツ語でも扱う言語に拘わらず、訳者にも「詩人の感性」が求められることです。言語のレベルを越えた、作者のイマジネーションを共有し「想い見る」という作業が求められます。

 逆に現実の世界から想像力の世界へと、想い見る「心の窓」があれば、それはもう詩人の感性の世界です。
 これは写真家についても同じことだと思います。
  写真家は「光の詩人」であってほしい、と私はいつも願っています。

 エミリーの詩の一節に似合う、写真を選んでみました。
 東京の空を撮っているシリーズからの一枚です。

 タイトルは、「明日よ 目覚めよ されど 今宵に夢見よ」__。

 伊藤美露
 2007.1.17
「"赤い月"のような太陽」 (Jan.13, 2007)
 text and photo by miro ito, all rights reserved.

空を 奇跡と呼びたい

2007-01-12 01:26:45 | Weblog

  「空を 奇跡と呼びたい」
 
  空を昨日 奇跡と呼んだ。
  光 風 雲 星 .... 
  空に散らばった 無数の奇跡を_。
 
  光の波の「輝跡」と呼びたい。
  雲の動きの「稀跡」と呼びたい。
  風の流れの「氣跡」と呼びたい。
  星へ想いの「期跡」と呼びたい。
  天への願いの「祈跡」と呼びたい。

  空を明日も 奇跡と呼びたい。

  photo & poem by miro ito, all rights reserved.
 "sky over kamiuma", 09.Jan.2007

空、そして二つの詩

2007-01-09 09:25:01 | Weblog
 思い起こさせてほしい、今日という日を
 憔悴せんばかりの捕われの身でありながら
 明日は二人とも高みへと飛び去ろう
 永遠に、まったきに、思いのままに  (”The Caged Bird” by Emile Bronte)


「地すべり」 ("Landslide" by Anno Birkin)

 生気を取り戻す太陽
 偽造者の 輩 ( やから ) から 光を 剥 ( は ) がして取り戻し
 均整のとれた線の描く 行き届いた秩序に戻しながら
 世界の夜明けの 欠片 ( かけら ) を切望しつつ
 時の矢を万物につなぎ止める …

 まだ走り続けながら

 まだ存在という舞台の出番を待ち続けて
 鼻歌混じりに
「まあだだよ … まあだだよ
 けれども僕 ちょっとだけ行き過ぎたみたいだ」
 僕らに罪を与えても 思考のミルクになるのが関の山

 主よ 地すべりをもたらし給え
 世界の表層を洗い浄めるために
 すべての悪なるものを葬るために
 童話の中の出来事のように 悪事はあるものの
 僕らはそいつを永遠に葬り去ろう

(アンノ・バーキン著 『Who Said the Race is Over ?』より、伊藤美露訳)

 関連リンク:アンノのサイト(http://www.anno.co.uk)
「地滑り」のオリジナルの英語の詩(http://www.kicksjoydarkness.co.uk/words.shtml#Landslide)
 伊藤美露のサイト("Anno meets Anno" - http://www.miroito/anno1.html)
 photo by miro ito "sky over kamiuma", 2007.1.5

気づきの写真と詩の世界へようこそ

2007-01-04 22:49:56 | Weblog
 写真を撮るということは、日常の向こう側の隠された世界を想い見ることです。
 カメラが一種の「窓」になって、ファインダーがそれを見つめる「眼鏡」の役割を果たしてくれます。
 この窓を通して、身のまわりのさまざまな事物の細部にまず眼を向けます。
 その細部がどれほど豊かな形と色彩であるか、突然輝いて見え始めたら、
 それが「こころの眼」が開かれる瞬間です。

 写真を撮るということは、詩人のように、万物が生まれ、死滅する時間の流れと自分の心を一体化させる、全く直感的な作業です。
 詩人ほど想像力を駆使させることなくても、直感の火花といえるような、時空の瞬きやひらめきを捕まえるような… その意味では、俳人に 近いものかもしれません。

 このブログでは、こころの眼、そして癒しのことばを募集していきたいと思います。
 あなた自身が出会った「こころの眼」の体験、そして癒しのことばを教えてください。
 私も20年来、アーティストとして写真を撮り、詩を綴りながら、その経験を分かち合っていきたいと思います。

 皆さんと綴る、 こころの眼・癒しのことばが、少しでも世の中を豊かに彩り、そして争いやいじめを減らすために、少しでも役立つものとなりますように!

 2007年1月4日
 伊藤美露