今日は母の日。
気が付けば・・・贈り物をおくる方からもらう方になって幾年か。
今年も、身銭を切って?母がヘソを曲げないようにと”思いやりの塊”が届いた。 ありがたいことである。
未だ、たいした孝行はしてもらった記憶もないが、
文句を一つつぶやきながらも、頼んだ用事は断らずにやってくれていることは良い息子達に恵まれたと思うべきなのであろう。
母の日と言えば・・・忘れる事のない小学校の頃の思い出がある。
毎年母の日の前には、学校で終礼の時にカーネションの造花が配られた。『お母様に感謝の言葉を言ってお渡しいたしましょう。』と先生のお言葉。
机の上にのせたランドセルの上に、つぶさないようにと先生が一つずつ配ってまわった。
殺風景な教室に赤い花が列ににならび、子供心にきれいだなぁと思った記憶がある。
その中で、私のランドセルの上にのせられているのは皆と違う ”白いカーネション” である。
赤色がつづく花の列の中で、ひときわ目立つこの白いカーネションが、当時は嫌で仕方がなかった。
ほんの少し気持ちが楽になったのは、クラスの中でもう一人”白いカーネション”が配られていた子がいたことである。
富美ちゃんである。生まれて間もなく数時間後に母親が亡くなった私とは異なり、低学年の頃にお母様が亡くなった富美ちゃんは記憶が新しい分、私よりずっと複雑な心境であったろう。
帰宅したあと、ランドセルの下に入って、すっかりつぶれてほぼ原形を留めていない ”白いカーネション”を祖母が仏壇に供えてくれた。
当時は、母親のいない事よりも、いないことで人と違うことや、物珍しいがるような同情のこもった目線が嫌でたまらなかった。
私は生まれた時から母親はいないのだから、それが当たり前の日常で、さしたる不便もなくこれといった特別な感情はないのである。
そんな私もだんだんに知恵がついて、本などから得た知識から周りの期待に?こたえるべく『母の愛を知らない可愛そうな私』を演じることもあったが、
だんだんそんな自分にもシラケてきて、
”母親がいない事を知ったところでヒトは誰も助けてはくれないし何も変わらない。わざわざ面白がるような話題を提供してやることもなかろうと ヒトはヒト、ワタシはワタシ”と,腹がすわってきた。
奥手ながら大人に近づいた瞬間である。
時はながれ・・・・
そんな私も母になり・・・
息子が生まれた時に『あぁ、私は死なずにちゃんと子供を産むことができた!この子をちゃんと育てれば、母親がいなかった自分はオチャラになる!』と、おもった。
とはいえ、産後すぐに一度だけ・・・初めての子育てを、ひとりでのりきれなければならない時に・・・
こんな時は・・・母親が生きていればアレコレやってくれるのだろうな~~~と、ベソをかいたことがある。
でも、そんな時、愛くるしい息子の顔を見ているだけで、嬉しくて楽しくて力が湧いてきて幸せな気分になれた。
続編……私の原点に思えるので、いつか書くかも。
この世に生まれた誰もが、誰かの子でお母さんから生まれた子である。 誰もがお母さんがいるね。 < 2016母の日 >