走るナースプラクティショナー ~診断も治療もできる資格を持ち診療所の他に診療移動車に乗って街を走り診療しています~

カナダ、BC州でメンタルヘルス、薬物依存、ホームレス、貧困層の方々を診療しています。登場人物は全て仮名です。

家族を失う悲しさ

2016年10月10日 | 仕事
この仕事をしていて頻回に起こる事。なぜ鬱や不安症になったのか原因になった事がないか聞く事。新患さんの話は私の心に深く沈んでいった。

夫を事故で亡くし6年後に一人娘を失う。そして悲しみに伏している間に家も自営業も失った。親友に勧められこの街に越し、私のところへ患者としてやってきた。

人の話は話す人の数だけ違うバージョンがある。これはあくまで彼女の話だ。

娘を亡くして10ヶ月。この街に越すまで症状はかなりひどかったらしい。家に閉じこもり服も着替えなくなった。娘が残した孫たちの世話もできなくなった。看護師やNPの友達が大勢いたと言う。誰もが不安症だ、鬱だ、トラウマだと「診断」してくれたらしい。しかし彼女は医者に行かなかった。

娘の死には色々疑問が残り、看護師やNPの友達は医療ミスだと言う。しかし、その先がないのだ。

なぜこの’友達'は中途半端な事ばかりしていたのだろうと思った。それも私と同じ業者なのに、、、と。

前にも書いたが、鬱や不安症の人を安易に励ましたりするよりもプロのケアに任せるのはとても大切な事。

医療ミスを疑っているのなら、家族は事情を納得いくまで病院側から説明してもらう事ができる。最終的にケアをしてもらった病棟で納得がいかなければ、クオリティーコントロールと言う部門がどこにもあるものだ。そこへ行って調べてもらう。説明を受ける。それでも納得いかなければもちろん弁護士に相談する事だってできるのだ。そして訴訟という事だってあり得るのだ。

彼女が私の友人だったら、鬱や不安症の治療を受けれるように付き添ったり、医療ミスの疑問が解けるよう付き添ったり、そんなサポートをするけどな、と思った。

もしかしたらキチンと説明を受けていたのかもしれない。しかし動揺して何も頭に入らなかったのかもしれない。悲しいかな、今言える事は後悔の思いが彼女の症状を悪化させている。

私は診断をして治療の選択を説明して、納得を得た上で治療を開始した。娘さんの死に関してはあるべき順序が存在する事を伝えた。医療記録は死後も保管されます。ある程度今の症状が落ち着いたら手順を追って納得できる答えを探す事も大切ですね、と伝えた。

英語でempowering と言う。落ち込んでいる時、自分は無力だと思うのが人間だ。 しかし人間はどんな状況においても底力と言うか、隠されたパワーがあるのだ。彼女の場合は知る権利や生きる権利。それを認識させる事も大切なのだ。



昨日の大雨とは異なり太陽が出ています。




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